Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

ペスタロッチと児童救済-児童救済と教育学の連関2

3月という時期だからこそ、書いておきたい。昨日に引き続き、ペスタロッチと児童救済の話。あくまでも、僕自身のためのメモでありますので、その辺はご理解のほどを。

今夜は、奥平康照さんの文章(「ドイツ語圏における教育学の発展-教育可能性の探求」)から、ペスタロッチについて考えてみます。奥平さんは、和光大の先生です。今は理事長さんなのですね! 当時は大阪の大学におられたようです。
http://www.wako.ac.jp/hattatsu/dkyouinprofile_okudaira.htm
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai01/tz0113.html


僕の関心はただ一つ。孤児救済、孤児教育を行ったペスタロッチは、児童救済と教育学をどうつなぎ合わせていたのか、ということ。ペスタロッチが後の新教育運動の理論的原動力になったことは間違いない。けれど、それが問題ではない。児童救済=児童福祉と教育学が、彼の中でどうつながっていたのか、そのことに尽きる。

その手がかりとなるのが、『隠者の夕暮』で述べた次の言葉である。

人間をそれぞれの境遇でしあわせにする知識というものは、限られた知識であって、その範囲は彼の身のまわりから、彼自身のことから、彼のいちばん身近な人たちとのかかわりのことからはじまって、そしてそこから次第に広がっていくものである。そしてそれはこうしてひろがる際にも、いつもこの、真理がしあわせをもたらす力となるための中心点をふり返りつつひろがっていく必要がある。
 ほんとうの真理感は身近な生活圏の中で生まれる。そしてほんとうの人間の知恵というものは、自分のもっとも身近な境遇についての知識と、もっとも身近な問題を処理する練達した能力とを土台として成り立つものである

このことを僕なりにパラフレーズすれば、よい環境の中で育った子どもは、ほんとうの人間の知恵を経験的に学んでいる。それを「真理感」と言ってもよいだろう。この真理感が欠如した子どもは、土台が欠けている。その欠如の中で、何かを学んでも、真理感は生まれてこない。子どものいちばん身近な人たちとのかかわりが酷いものであったら、「中心点」がないゆえに、本当の意味で人間が育たない、と。そういうことなのかな、と思う。

児童救済は、それ自体が教育学の主要テーマだ、とも思えなくもない。ただ、それはいわゆる学校教育の問題に留まるものではない。けれど、ペスタロッチは学校作りに尽力した。なぜか。その答えは、『リーンハルトとゲルトルート』の中に垣間見える気がする。

「…貧しい木綿労働者たちは、昔と変わらぬ収入を得て、変わらぬ保護を受けても、その仕事から得るものは、永久に腐敗した肉体と貧しい老齢だけなのです。そして領主様よ、こんな紡ぎ労働で腐敗した親たちが、自分の子どもたちを、秩序ある、思慮深い生活をさせるようにうまく育て上げることなど、できるはずもありません。だから結局、残るところは、…学校の仕組みをつくり直して、その親たちからはもう得られなくなっているがしかしどうしても必要なものを、親に代わって補ってやるようにするしかありません

ペスタロッチの中にも、親批判はあるように思う。僕らが生きる今の時代となっては、木綿労働者よりもきつい状況の親が多いように思う。今の労働は、そのほとんどが「騙し合い」ばかりだ。まだ木綿労働者の方が、よいものを得ていた気がする。もっと低俗な労働しかなくなってきているのが、僕らの時代の労働だとも思えなくもない。第三次産業の方がより「生」から遠ざかっているから。そうした生に直結しない労働にもがき苦しむ僕らの時代の親は、それこそ、「秩序ある、思慮深い生活をさせるように育てること」など、できるはずもない。「脳育」だとかいうくだらない言葉に踊らされて、子どもを脳育漬けにする親の心理がもう僕には分からないほどだ。

「親からもう得られなくなっているがしかしどうしても必要なもの」、それを親に代わって与えること。それが、ペスタロッチの教育のねらいの根幹にあったものかもしれない。ペスタロッチの時代より悲惨なのは、僕らの時代においては、もはや家族自体が壊れ果て、疲れ果て、機能不全を起こしている点にあると思う。教育に熱心な家庭もしかりだ。子どもに与えるべきものを与えず、塾漬けにし、習い事漬けにし、進学ばかりに気を取られているとしたら、それはもはや親が与えるべきものではない。親が本来与え得るものを与えること、これがペスタロッチの大きな課題だったはずだ。だからこそ、「親に代わって」という言葉が出てくるのだろうし、また、だからこそ、孤児教育に精を尽くしたのだろう。

やはりペスタロッチの中には、教育の根本的なもの=学びを可能にするものへの問いがあった。それは、本来なら親が与えるべきものであり、思慮深い生活が過ごせるようになるための土台となるもの、と考えてよいだろう。その典型となるのが、孤児だと考えるならば、彼の言動は理解できるし、児童救済と教育学のつながりがうっすらと見えてくる気がする。

奥平さんの記述によれば、ペスタロッチは、フランス革命の時に、思想転回をしているとのことだ。この革命の時に、彼の教育学は転回している、と。この革命の後に、シュタンツの修道院内にある孤児院の院長に任命されている。この時の経験から、彼は考えを変えている、ということらしい。つまり、それ以後に書かれた書物こそ、児童救済と教育学のペスタロッチならではの連関が描かれている、とみてよいだろう。『シュタンツ便り』と『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか』である。もし児童救済と教育学に連関があり、それをペスタロッチが描いているとすれば、それはこの二冊に示されていると言えるだろう。(かつてはそんな風には読んではいなかった…汗)

ただ、このことを知る手掛かりは、奥平さんの文章からは見出せなかった。これは、僕自身の宿題ということにしよう。ペスタロッチのねらいとその問題点について、奥平さんは次のように書いている。

「…ペスタロッチ以後に残された課題は多い。とりわけ『生活の必要』や『個人的境遇』という視点と関連させて、一七八〇年代までのペスタロッチが問題にしていた一面は、民衆の人間的自立への教育論として発展させなければならないものであった。いろいろの事を知ること、できるようになることが、子どもの自立を妨げたり歪めたりすることがないように、そして人間的自立を助け強化するように、そのように作用する教育をかつてのペスタロッチは求めていた。シュタンツ以後、教授方法の工夫に努力を集中するようになったペスタロッチは、この点に十分な注意を払っていたとは言えないし、したがって人格形成の理論を十分に発展させることができなかった

この文章を受けると、ペスタロッチは、実は児童救済実践と教育学の議論を十分にうまくつなぎ合わせることができなかった、と思えなくもない。「民衆の人間的自立への教育論」を考える以前に、孤児救済とそのケアに尽力していたのであり、そこから自身の教育学を発展させることができなかった、と。

もし、ペスタロッチが理念半ばに、この児童救済と教育学をつなげられなかったとしたら、それはSOS子どもの村のヘルマン・グマイナーにも同じことが言えるのかもしれない。児童救済から教育学へと向かうことは極めて困難な道である、と。児童救済は、それ自体として極めてハードルの高い営みである。その営みから、教育学的視点を見出すことはさらにハードルの高いことなのかもしれない。

けれど、それを現代的な地平の中で実践しているのが、SterniParkなのかもしれない。とすると、やはりSterniParkはとんでもない実践をしているということになる(かも)。

児童救済、母子救済と教育学的地平の融合は可能なのか、不可能なのか。まさに、この点が問われているように思うし、僕の問題関心はある種途方もないテーマなのかもしれない。

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