僕が小学生時代を過ごした市原市で、生後10か月の女児が死亡するという事件がありました。
生後10か月女の子死亡 姿見えないと保育園が市原市に連絡 千葉
2020年6月8日 21時29分
ことし1月、千葉県市原市のアパートで、衰弱した生後10か月の女の子を放置したとして、母親が逮捕された事件で女の子が死亡する1か月ほど前にきょうだいの通う保育園が「女の子の姿が見えない」と市に連絡していたことが分かりました。
市はこれまで「事前に緊急性の高い情報はなかった」と説明していました。
自称、住所不定、無職の小西理紗容疑者(23)は、ことし1月に生後10か月で亡くなった、次女の紗花ちゃんが衰弱していたにもかかわらず、放置したとして、保護責任者遺棄の疑いで逮捕されました。
きょうだいが通う保育園によりますと、女の子が亡くなるおよそ1か月前の12月中旬に、送迎の際、母親が女の子を連れていないことを不審に思い「女の子の姿が見えない。様子がおかしい」と市の担当部署に電話で連絡していたことが分かりました。
市原市は、家庭訪問をしても女の子の姿を直接確認できない状態が続きましたがその事実を児童相談所などに伝えず、これまでNHKの取材に対しても「外部から家庭の異変を疑わせる情報はなく緊急性は高くないと判断していたため」と説明していました。
保育園の関係者は「その後、きょうだいも休むようになり心配だった。女の子の安全をすぐに確認してくれると思っていた」と話しています。
この事件は、「赤ちゃんポスト」の問題、「社会的養護」の問題、「児童虐待」の問題、「家庭支援」の問題、「保育」の問題、「地域支援」の問題、「児童相談所」の問題、「子育て」の問題、…ありとあらゆる問題を含んだ事件だと思います。
以下、考えるべき点を記しておきたいと思います。
…
●児童虐待による死亡事件の多くが0歳児に集中している、ということを裏付ける事件だった。0歳児の母親への支援は喫緊の課題である。だが、その支援は行き届かなかった。僕の実感としても、千葉県の緊急下の母子支援はかなりかなり遅れている。というか、そもそも関心をもっていないと強く実感する。赤ちゃんポストや母子支援の研究を続ける僕だけど、全国から色々と問い合わせはあるけれど、千葉県からの問い合わせはほぼない。今回のこの事件の背後には、千葉県の行政的な支援の乏しさをまず示していると言ってよい。
●この事件が明るみに出たきっかけは、保育園から市への連絡だった。保育園は、児童虐待や虐待死に最も近いところにあることが今回のこの事件から改めて明らかになった。保育園からの連絡がなければ、明らかにならなかった可能性もなくはない。保育園は、ただ子どもを預かり、保育・養育するだけの場所ではない。地域の子育て支援の中心的場所なのだ。
●ただ、この記事の最後に「女の子の安全をすぐに確認してくれると思っていた」と語っている点に、「通報だけでは子どもの命は守れない」ということが示されている。市や児童相談所に「通報」するだけでなく、実際にお母さんとコンタクトを取ることができるのも、保育園の強みでもある。市や児童相談所にはやはり「限界」がある。大切な赤ちゃんのいのちを預かる保育園としては、今後、通報だけでなく、虐待防止の観点からお母さんのケア、お母さんの相談、お母さんとの接触の継続をするべく、しっかりと人員やマンパワーを用意する必要がある。そのための支援者(緊急下の母子を支援するエキスパート)を配置するための予算を加える必要がある。(こういう問題に無関心な千葉県行政には、伝わらない話だということは分かっているけれど)
●市原市は猛省すべきだ。保育園から連絡があったのに、児童相談所に連絡しなかったことは致命的な過ちである。市の職員もこの問題(児童虐待というよりは、緊急下の母子の支援という問題)についてしっかり学んでほしい。僕が育った市原市だけに、強く言いたい。今回のこの対応は、致命的な過ちである。児童相談所に連絡しなかったことで、赤ちゃんの命を救えず、また危機迫る母親の理沙さんを見棄てたのだ。まだ若き23歳の理沙さんの孤立や絶望を、市原市は「無視」したのだ。住所不定、無職とある。きっと理沙さんは、経済的にも精神的にも限界状況だったはずだ。そんな理沙さんと10カ月の赤ちゃんを見棄てたということを、当事者として猛省してもらいたい。まずは、勉強してもらいたい。市原市だけでない。千葉県全体において、赤ちゃんとお母さんの支援や緊急下の母子の支援は、全くと言っていいほど無関心状態だ。千葉に生きる人間として、またずっとこの問題に関わってきた人間として、本当に悔しいし、不甲斐なく感じている。各新聞社の千葉支局も全然この問題に関心を寄せていない。千葉は本当にこの点においては酷い。
●市原市は、「外部から家庭の異変を疑わせる情報はなく緊急性は高くない」という判断を下した。その理由は、「情報がなかったから」ということだった。このことからも示されているように、0歳児の虐待死、それ以前の新生児の遺棄や殺害に関する情報など、そもそも出てはこないのだ。赤ちゃんポスト研究でも、「誰にも相談できなかった」という理由で、自宅出産し、赤ちゃんポストに子を託す母親の心情は明らかになっている。妊娠、出産、子育ての苦悩や苦しみは、人には言わないものなのだ。秘密にかかわるものなのだ。そこを理解し切れていなかった市原市はやはり、勉強のし直しを徹底的にしてもらいたい。(市原市だけじゃない。千葉県全体がもっとこの問題に真面目に取り組んで頂きたい)
●野田市立小4年の栗原心愛ちゃんのことも思い出さざるを得ない。心愛ちゃんのあの忌々しい事件も、千葉県柏児童相談所の対応の悪さ故に、防げなかった事件だった。個々の職員さんや支援員さんを責める気はない。そうではなく、千葉県の行政のトップたちが、この問題に無関心過ぎるのだ。表に出てきた事件だけじゃない。千葉県内では、(他県以上に)虐待も遺棄も殺害も多く生じているのに、緊急下の母子の支援についてはほぼ0に等しいくらいに無関心だと言わざるを得ない。千葉県内のマスメディアも同罪だ。千葉エリア版の記事で、「緊急下の母子の支援」という点から「虐待死」の問題を問う記事は皆無だ。何も言えない…。
●こういう問題を千葉で研究し、日々学生たちにこの問題を語っている僕としても、本当に本当に悔しい事件だ。しかも、僕の幼少期にかけがえのない時間を過ごした市原市で、だ。怒りというよりは、悲しさしかない。市原市は僕の愛する町だ。この事件を僕も絶対に忘れないで、これからの研究の強い動機にしたいと思う。理沙さんを救えなかったのは、僕の責任でもある、と。そう思って、今後もこの研究を続けていきたい。理沙さんに出会いたかった…。出会えなかったことを忘れないで、これから生きていきます。
市原市に赤ちゃんポストがあれば、理沙さんも紗花ちゃんも救えたかもしれないのです。
自分にお金と力があれば、すぐに作るのに…。
不甲斐なさと悲しさと悔しさでいっぱいです…。
【追記】
あまりまとめ系のサイトは好きじゃないんですけど、こちらのサイトで、この事件の背景が若干示されています。
【追記2】
6月13日、次のような報道がなされました。
…
千葉県市原市で1月に生後10カ月の女児が死亡し、食事を与えなかったとして母親(23)が保護責任者遺棄の疑いで今月逮捕された事件を巡り、小出譲治市長は12日、「もう一歩踏み込めば幼い命を救えたと悔やまれる」と市の対応を謝罪した。事件直後、女児の情報を公表しなかったことについて、県から「児童福祉の観点から一切の情報を公開しないよう助言があった」ことも明かした。
亡くなったのは、小西紗花(すずか)ちゃん。市によると、保健師が昨年4月に健康状態を確認して以降、乳児健診や予防接種を受けていなかったが、市は約9カ月間、目視で安否確認をしていなかった。きょうだいの通う幼稚園から「紗花ちゃんの姿を見ない」と市に通報があったが、児童相談所に伝えていなかった。
小出市長は事件後初めて記者会見し、「(市の対応に)足りなかったことが多々出てきて、不適切と言わざるを得ない。職員の危機意識が欠如していた」と述べた。県の担当部門に情報を公開しないよう助言されたが、「市民の理解が得られないと思い、県と協議して可能な限り出すことにした」と説明した。
県によると、千葉県野田市で昨年1月に小4の栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死した事件の後、児相に助言する立場の弁護士から「個人情報の取り扱いに注意するべきだ」などと指摘を受けた。それを受け、県は新たに子どもの虐待死事件が発生した場合、一切情報を公表しない方針を決めたという。
今回の事件では、1月3~25日ごろ、紗花ちゃんが低栄養状態で衰弱しているのを知りながら十分な食事を与えず、放置したとして、母親が今月3日に逮捕された。紗花ちゃんは1月25日に死亡が確認された。(上田雅文、高室杏子)
県に問題があったのかなかったのか。検証が必要です。