一昨年に引き続き、2022年の最後も旅に出かけました。
旅に出かけ、そして、スキーを楽しみました。
すごく、とてつもなく楽しかったんです。
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この時、ふと思いました。
「僕は多分、この47年間の人生の中で、今が一番平凡な幸せな日々を生きているな…」
って。
これまでずっと、(ざっくり言うと)「世のため人のために」と生きてきた気がします。
でも、それがうまくかみ合わずに、色々と問題を引き起こしてきました。
相手のために…と思ってやったことが裏目に出ることも多々ありました。
「もう、世のため人のために生きるのをやめよう」
って、なんかふと思ったんです。
いい意味でも悪い意味でも、「もう、いいや」って。
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振り返れば、1988年に「不登校児」になって以来、ずっとずっとず~~~っと何かに追われて生きてきた気がします。
何か足りないものを必死に補うために、補完するために、がむしゃらにやってきたというか。
虚栄心とかもあって、「なんとか世のために人のために…」って、無理して頑張ってきたというか。
劣等感とかもあって、「なんとか誰かに認めてもらわなきゃ」「劣等な自分をなんとか認めてもらわなきゃ」って、無理して頑張ってきたというか。
14歳で人生が狂い始めてから、30年以上、ずっとそのことを「負い目」に生きてきたというか。
でも、昨年、そこからようやく抜け出せた気がしたんです。
「もう、頑張らなくていいや…」
って。
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もう、負い目とか劣等感とかどうでもいいから、自分のために生きたいなって。
自分自身と一番傍にいる人たちのために生きたいなって。
世の中をよくしたいとか、啓蒙活動を頑張りたいとか、業績を上げて高い地位を得たいとか…
そういう気持ちがほとんどなくなったのが、2022年という年だった気がします。
それより、自分が楽しいと思うことをやりたいな、って。
これまでも、多分人から見たら、自由に好き勝手やってきたように思います。
でも、そうじゃなかったんです。
どこかで、心のどこかで、「なんとか過去を埋め合わせないと」、「何かことを起こさないと」、「一生懸命に、教育活動をしないと(そして、学生たちから認めてもらえる先生にならないと)」って、焦っていた気がするんです。
それもあって、ほぼ毎年、10人くらいの学生を連れて、この時期にドイツに行っていたんだと思います。
でも、それも、自分を犠牲にして、半ば義務的?に、やっていた気がします。
(もちろん楽しい旅ではありましたが、引率教員としてすごくプレッシャーもありました)
2020年2月の「修養の旅」の後、長年続けてきた「ドイツ語クラブドイツ修養の旅」もファイナルを迎えました。2020年に、ずっと大事にしてきた「ドイツ語クラブ」が解体されました。
これも、自分が変わる大きな契機になった気がします。
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2022年は、そういう意味で、すごく特殊な1年でした。
14歳の時以後、初めて「自分のために、のんびり自分の人生を生きた」って気がしています。
もう、「人の人生に関与するのはやめよう」って。
そして、「自分の人生を自分のために生きよう」って。
ある意味では、「敗北宣言」。
でも、ある意味では、「勝利宣言」。
これまで頑張るだけ頑張って、色んなことをやってきた。
でも、それは「本意」ではなかった。
「誰かのために何かをすることが正しい」と思って、その正義に固着して頑張ってきただけ。
その正義が完全に壊れたのが、2022年だったかなって思うんです。
ようやく、利己的な利他性から解放された気がしているんです。
「人のために生きること」をやめて「自分のために生きる」って、なんて楽しいんだ…って。
この楽しさ、このすがすがしさは、14歳以降、味わったことのない<快>でした。
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その<快>を最も感じたのが、この2年、年末に経験した「スキー」でした。
この年末、「こんなに楽しいことがこの世界にあったのか」っていうくらいに、スキーに「楽しさ(享楽)」を感じました。
恐怖を感じながらも、雪の世界を滑り落ちていくことが、こんなに気持ちいいのか、って。
四回目にして、ようやくその「気持ちよさ」に目覚めました。
この時、「人生において、こんなに楽しいと思うことがまだあったのか」と本当に驚いたんです。
今、僕の心の中では、「またスキーをしに行きたい!」という気持ちでいっぱいです。
(告白すれば、そういうスキーやらスノボやらで(自分のために)エンジョイしている人間が大嫌いでした…)
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好きなことと言えば、ずっと「バンド」でした。
でも、バンドって、誰かと一緒にやらなければ成り立たないんです。
誰かと一緒にやるとなると、それはもう色んな事があるわけです。
メンバーが抜けたり、日程調整がうまくいかなかったり…
それに、バンドをやるとなると、聴き手を楽しませないとって、どうしても人のことを考えちゃうんです。曲を作るときも、どういう曲だったら、みんなが喜んでくれるかな、って。
だから、バンドをやっていても、「自分のために」にはならなくて、いつも「誰かのために」って考えちゃってたんです。
そういう意味でも、「バンド」より一人だけで楽しめる「スキー」の方がよっぽど「気楽」なんです。
なんか、47歳にして、ようやく「人生って楽しいもんなんだな」「僕も楽しんでいいんだな」って思えたんです。
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だから、もう、人のために、誰かのために生きるのもやめようって…。
それって、一言で言えば、「放下(Gelassenheit)」(M.ハイデッガー)なんだろうな…。
東洋的に言えば、「悟り」になるのかな?!?!
少し大げさかもしれないけど、2022年は僕のターニングポイントになった気がします。
「これからは自分のために自分の人生を楽しく歩もう」って素直に思えるんです。
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世の中は、いつの時代でも、どの国においても、不平等です。
毎日笑って楽しく生きている人たちもいれば、毎日泣いて苦しんでもがいて生きている人たちもいます。
「リア充」を存分に生きている人もいれば、毎晩のように「リスカ」「アムカ」を繰り返している人もいます。
僕は、「自分は笑って楽しく生きてはいけない。泣いている人や苦しんでいる人がいるのだから、自分は面白おかしく生きてはいけないんだ」って、なんか強く思い込んで生きてきた気がするんです。
それはそれで「高尚な生き方」のようにも見えますが、そういう生き方はすごく疲れるんです。
欺瞞…ではないんだけど、すごく疲れるんですね。
疲れるだけじゃない。妬まれたり、嫌われたり、悪く罵られたりするんです。(人のためにとあれこれ言ったりやったりすることが全く通じない人や誤解する人や勘違いする人がホントいるんです…)
ならば、もうそんな風に思い込むのをやめて、自分の人生を、自分の人生だけを考えて生きた方がよっぽど楽しいじゃないか、って。
結局、自分の人生をどうするかって、自分次第だし、自分がどれだけ真剣に真面目に生きているか、だし。
他人のことはもう知らん、って。
かつての自分も、確かに実に「不幸」で「みじめ」だった。
でも、その「不幸」や「みじめさ」を乗り越えるために、必死にがむしゃらに生きてきました。それで、ようやく手にした「平穏な日々」なんです。
ならば、その平穏な日々を楽しまなきゃダメじゃないか…って。
ケア論を教えていながら、自分自身が自分自身をケアすることを怠っていたんだなって。
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誰のためでもなく、ただ自分自身のためにスキーがしたいなぁって思っています。
こんな感覚がまだ自分の中にあったのか、って驚いています。
30年以上封印してきた「自分の幸せ」を、この2023年から満喫しようと思います。
このブログもそう。
昨年末、念願のトータル閲覧数も5000万アクセスも突破したし、数字的にはもうどうでもいいんです。
僕が楽しくて、僕が満足できれば、それでいいんです。
それで、誰かが喜んでくれたら、なお善いけれど、それがなくてももうかまわない。
僕が書きたくて、僕が書いてて楽しければ、それで万事OK!って。
2023年は、そういう意味で、過去にないくらいに自由気ままに書いていきたいなって思います。
ラーメンも食べたいときは食べるけど、無理に食べる必要もない。
どの道、ブログなんて「オワコン」だし、情報発信者も今や無数にいるし、ラーメン情報なんて、もうSNS上にありあまるほどに溢れかえっている。こっちがブログで一生懸命に書いた記事なんかより、別の何かで皆の関心を惹き付けるインフルエンサーの動画や画像の方がよ~っぽど影響力がありますからね。
これまた敗北宣言。でも、勝利宣言。
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多分、僕自身が「他有化」されていたんだろうな…。
もう(自分の幸せに関係しない)全部が、何もかもがどうでもいいやって。
Live my life for myself.
これが、2023年の僕のモットーになりそうです。
一度「他人」のことを全部リセットして、「自分自身のために」を徹底的に生きてみたいなって思います。
もちろん何かあれば誰かのために喜んで動くし、感謝や愛情や思いやりの心も持ち続けますよ。でも、それに囚われない生き方をするっていうか、それよりも自分が楽しいと思えることをいっぱい率先してやっていきたいなって。
このブログのコンセプトって、「誰もがきっと楽しく生きられる…はず」なんです。これって、実は自分自身に向けた言葉だったのかもしれないなって、2023年の今、思います。
自分は楽しく生きられているって思い込んでいたっていうか、思い込もうとしていたっていうか。
でも、違ったんです。僕自身が楽しく生きてなかったんです。
そこに気づけたことが、2022年の最大の発見だったなって思います。
誰かのために頑張らなくていい。自分のために、自分が楽しいと思うことのために、時間とお金を使いたいなって。それを、素朴に実感として思えたことが、何よりの収穫でした。
人生ももう残り半分以下(なはず)。早ければ数年で、長くても数十年で僕の人生は「おしまい」。そのことをしっかりと胸に刻んで、今日を、明日を、この一年を生きていきたいです。
メメント・モリ。
さ、2023年、どういう一年を過ごすことになるかな?!