Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

真夏の涼しいお盆の「第三日曜日の会」 8月編 

毎月第三日曜日は「第三日曜日の会」。

今日はお盆の最中、会を決行しました。真夏なのに、とても涼しい一日でした。でも、お盆とあって、正直なところ、誰も来ないかなと思っていた。が、8人の卒業生と在校生が集まりました。合計9人でした。僕はちょっとビックリ。しかも発表も3つあり、少ない人数ながらもたっぷり議論できてしまいました。こんなこともあるんですね~

また、ちょっと久々の人もいて、懐かしく、また成長しているお姿を見ることもできました。少し会わないだけでも、人って随分と大きくなるもんだなぁとしみじみ思ったりもします。卒業生たちとこういう形で会えるのはとても嬉しいこと。遊びに来てくれる学生もとても嬉しいけれど、やっぱり「学び」という仕方で再会できるのが、「教師」としての僕の最大の喜びなんだな。

さて、今回の「第三日曜日の会」では、三つの発表を行った。

一つ目は、頼れる姉さんタイプで懐の深いIさんの発表。彼女曰く、「わけわかんない子」とのかかわりを描いた発表だった。その子は7月入所の幼児で、行動や発言に脈略がなくて、理解するのがとても難しい子。その子のことをなんとか理解しようとするIさん。けれど、それを凌駕するほどによくわけの分からない幼児(例えば突然唐突に「せんせえ かわいい」と言ってきたりする)。よく分からないけれど、それでもその子をまるごと受け入れていこうとするIさんの実践には、彼女なりの保育哲学があるように思えてならない。

Iさんは、徹底した受動性の保育を目指している。子どもに対して、何かを強制したり、何かを要求したりすることを絶対に肯定しない。新教育が好きな僕からすると、「君はペスタロッチか?」、と言いたくなるほどに。しかし、他方で、やはり「理解しがたい部分」というのは、実際どの子にもある。Iさんは、今回の事例を通じて、理解しがたい子どもを受け止め、受け入れることの難しさをわれわれに伝えてくれたようにも見える。

議論の中で、「受け止め」と「受け入れ」の違いについて話をした。Iさん自身は、最初とりあえず子どもを受け入れて、その子にこうしたほうがいいんじゃないかな、といったことを言っていたが、最近はちょっと距離を置くようになった、と思っていた。だが、実はそうではなくて、最初の方が距離をとっており、子どもの様子を遠巻きに見ていたのではないか。これを「受け止め」としよう。けれど、最近のIさんのかかわりは、相手の子のパターンや考え方やこだわる部分を理解して上でのかかわりとなっていて、より「受け入れ」に近くなってきているのではないか。そんな議論を交わした。

二つ目は、毎回独特なスタイルで一風変わった実践しているOさん。祖母も離婚している母子家庭の子どもとの格闘を描いた発表だった。家庭環境的には超複雑。けれど、それでも保育者は子どもたちとかかわっていかなければならない。親の一方がいなければ、その分の親業を引き受けるのが保育者だ。

その子は、「べーだ」といって、あっかんべーをする子だった。女性だけの家庭で育っているせいか、他者への攻撃性は隠蔽され、「いい子」で通っている。しかし、その子は、Oさんには、「べーだ」の姿を見せる。「べーだ」は悪い言葉なので、(ベーだを否定するのではなく)Oさんは、「(アルプスの少女ハイジの)ペーター」と言い換える。すると、その子も次第に「ペーター」と言うようになる。が、問題はそれだけではなかった・・・

かなり厳しい家庭環境にいるその子にとって、「べーだ」は、彼の唯一の自分の怒りを表現する言葉だった。その言葉でさえ、祖母によって否定される。彼にとっては唯一の自分の心情を示す言葉だけに、Oさんは、この言葉をどう捉えてよいのか、激しく悩むことになる。Oさんの「ペーター策」は絶妙だったが、Oさんはさらに考える。「最初、私は○○君はべ~っとやって遊んでいるんだと思っていたんですけど、ある時、○○君にかまわないで片付けをしていたら、すごい顔でべ~っとやっていたんです。一年半見ていて、あんな顔は初めて見て・・・」、と言って、言葉をつまらせた。

三つ目は、温和でいて頭脳派のKさんの給食時の実践報告。「牛乳を飲まない子ども」とどう向かい合うか。簡単なようでとても難しい問題を取り上げてくれた。「牛乳なんて、飲みたくない!」という子どもに、どうやって牛乳を飲ませるか。これって、実は教育学的には超問題な難問なのだ。

それは親にとっても同様だ。通常の親は、「飲みなさい!」といって、強制的に飲ませるか、「じゃあ、いいわ」といって、子どもの訴えをそのまま飲み込んでしまうかのどちらかをしてしまう。「強制」か「放任」か、のどちらかである。通常の親だと、このどちらかの選択肢からどちらかを選ぶことになる。しかし、そのどちらをも否定するのがプロの教育者だ。「飲みなさい」も、「飲まなくてもいいわ」も、原理的には同じことの表裏でしかない。どちらも、牛乳を飲む決定権は親の側にある、ということだ。「飲め」、「飲まなくてもよい」という判断は、一見親のしつけや思いやりとも思えなくもないが、どちらも実は子どもとの対話の可能性を奪っている。「子どもが自ら牛乳を飲む」という可能性を破棄しているのだ。では、どうしたら子どもは自ら、嫌がる牛乳を飲むことが可能となるのか? その点について、会で議論をした。

今回は、人数こそ少なかったものの、内容的にはかなりガツンとくるものばかりだった。先月のスザンネさんも先々月の梅本さんもとても魅力的だった。が、この会は、参加者の発表がメインの会である。参加者の発表が面白ければ面白いほどよいし、深ければ深いほどよい。今回は、そういう意味で、本来の第三日曜日の会になっていたかな、とも思った。

是非、卒業生諸君には、この会にきてもらいたいと思う。僕が本領発揮するのは、実践の解釈をするときだ。一応、解釈学専門なので。実践解釈をしているときの僕は、多分一番生き生きしていると思うし、また、こういう仕方での学びこそ、僕が一番求めているものだ。今日は心底熱くなれたなぁ~と、すがすがしい気持ちで一杯だったなぁ~

コメント一覧

kei
さつきさん。

こんばんは! コメントありがとうございました。こういう記事にコメントがつくと、とても嬉しいです。

「お腹がゴロゴロしちゃう」ってよく聞きます。牛乳って合わない子どもには本当に合わないみたいですね。そこを見極めるのがすごく難しいんですが・・・

でも、身近な人がさつきさんのことを理解してくれてよかったですよね。まだ救われるっていうか。「みんな飲んでる」で押し付けてくる先生や保育士だけは、育てたくないな、って思ってしまいます。ただ、飲めない子どもが飲めるようになるように支援するのは、やっぱり教師の仕事かなとも思うんですが、、、

さつきさんは今でも牛乳が苦手ですか??

招き猫さん

こんばんは!!暑いですね~

関東の牛乳と北海道の牛乳は違いますか?? 僕はドイツと日本の牛乳の違いがちょっと気になります。。。でも、日本の牛乳はあんまりこってりしてなくていいかなと思ったりもしますが、、、

是非お時間があったら、研究会にもいらしてください。。。たいしたことはやってませんが(汗) 千葉市内です。こじんまりとやっている会なので、招き猫さんがきても全然OKですよ~ 
招き猫
とても興味深く記事を読ませていただきました。
私も牛乳が飲めなかった子供の一人です(笑)
私の場合は関東の牛乳が薄くて不味いという理由だったのですが(^_^;)
(北海道産まれなもので)

心理学とか教育学とか学んだことは無いんですけど
記事を読んでみて私も参加したい(聴講したい)と思いました。
さつき
牛乳
「飲めない」子供でした。お腹がゴロゴロしちゃうんです。でも先生には「飲まない」子供として扱われていましたねぇ。母は、飲まない理由をきちんと聞いてくれましたが、先生は、体によい、みんな飲んでいる、そればかり。好き嫌いじゃないのに~!と毎日が戦いでした。
なんとなく、思い出したので…(笑
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