Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

エーリッヒ・フロム[Vom Haben zum Sein]の冒頭

ベーシックな考え方で、僕がとても大好きな考え方が、エーリッヒ・フロムの「Have」か「be」か、という二分法だ。シンプルで深い。未だに人は「Have」に突き動かされている。Haveは欲求であり、自然であり、本能的だ。人間だからこそ、「Be」に意味が見いだせるのだ。そういう発想って、今もまだ実現されていない理想的生だと思う。

エーリッヒ・フロム
「持つことから在ることへ(所有から存在へ)」

私の書、「持つことから在ることへ(Vom Haben zum Sein)」において、私は以下のことを留意した。すなわち、Habenの立場の存在様式とSeinの立場の存在様式を描写すること、そして、人間のWell-being(幸福なあり方)にとってどちらの態度が結果としてよいのかを示すことである。そして、私は、「人間が完全に人間化するためには、所有(Besitz)の立場から活動性(Tätigsein)の立場へと向かうことが必要であり、同様に、自己愛とエゴイズムから連帯と利他性へと向かうことが必要である」、という結論に至った。以下において、私は、この目的を達成しようと思っている人に役立つような実践的な提案をしたいと思う。

在るという立場に向かう道を行く人は、まずもって、「われわれはなぜ生きようとするのか(Warum wollen wir leben)」という極めて決定的な問いに答えなければならない。

「なぜゆえにわれわれは生きようとするのか」ということの根拠など、本当にあるのだろうか? もしわれわれがその根拠をもっていなかったとしたら、ひょっとしたらわれわれはもはや生きようとは思わないのではないだろうか? 人間にしろ動物にしろ、あらゆる生物は生きようとしているのであり、この生きようとする願望は-例えば耐え難い痛みを感じている時のように-極限の状況の下でのみ破綻してしまう、というのが実際のところである。人間の場合、生きたいという願望よりも、愛や憎しみ、誇りや信条といったもろもろの情念(Leidenschaften)の方が強くなることがある。きっと自然やあるいは「進化の過程」と呼んでもよいようなものが、あらゆる生物に生きようとする願望を与えたのだろう。たとえ人間がそれに対してどんな根拠を見いだそうとも、それらはどれも二次的な思考に過ぎず、生物学的に規定された衝動を説明しようとするものに過ぎないのである。

われわれは進化に関するもろもろの理論的観念の助けを求める必要はない。マイスター・エックハルト(1927,S.365)は同じことを単純な詩的な仕方でこう強調している。

「善き人に
『なぜ君は神を愛するのかね?』
と、問うならば
『分かりません。まさしくそれが神だからです』
という回答を得るだろう。
『なぜ君は真理を愛するのかね?』
『それが真理だから』
『なぜ君は正義を愛するのかね?』
『それが正義だから』
『なぜ君は善を愛するのかね』
『それが善だから』
『ではなぜ君は生きるのかね?』
『正直に申しますと、分かりません。私は好んで生きているのです』」

われわれが生きようとすることやわれわれが好んで生きていることは、説明のいらない事実なのである。それに反して、もし「いかにわれわれは生きようとしているのか」、「われわれは人生に何を期待しているのか」、「何がわれわれの人生に意味を与えてくれるのか」と問うならば、事実、われわれは、人間が実に様々な答えを出した-多かれ少なかれ同一の-問いに取り組まなければならない。「人は愛を求めている」、と答える人もいれば、「人は権力を求めている」、「人は安全を求めている」、「人は有意義な友人を求めている」、「人は快適さを求めている」、「人は名声を求めている」、などと答える人もいる。しかし、おそらく最も同意が得られるのは、「人は幸福を求めている」、という答えであろう。多くの哲学者や神学者も、人間の死の目標は幸福だと考えていた。しかし、もしわれわれがまさにそのように見なした幸福が、人それぞれのものでそのほとんどが相容れないものと理解されるならば、この概念は単なる抽象概念になってしまい、したがって無益なものになってしまうだろう。われわれは、通常の人間や哲学者がこの幸福という概念で何を言わんとしているのかを解明しなければならないだろう。

Erich Fromm Vom Haben zum Sein, SS.13-14 

 今もまだまだ、信念や信条ゆえに「生きようとすること」をやめる人がたくさんいる。「絶望」だって一つの信念であり、人間に固有な精神だ。「人生に未練がなくなった」と言って、二つの大切なかけがえのない命を奪い、自ら社会で生きていくことを放棄した彼だって、生きようとする願望を自ら放棄した人だ。「実存主義」はすっかり古びた概念になってしまったが、今こそこの「実存主義」の出番じゃないかなと思うのは僕だけかな。フロムが投げかけた問いは、今まさに一番大切なことじゃないかなって思うんだよなぁ~

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