熊本で、ラーメン店めぐりをしている途中…
たまたま見つけたのが、
子安地蔵尊
でした。
子安地蔵は「妊婦の安産を守護する地蔵尊」のこと。
かつて、妊娠や出産は本当に「命がけ」でした。
命をかけて命を産むのが、妊娠~出産でした。
ここに、一つ有名な詩が書いてありました。
念ずれば花ひらく
という坂村真民さん(1909-2006)の詩です。
坂村さんは熊本出身の仏教詩人でした。
この詩も、妊婦の気持ちを考えると、す~っと入ってきますね。
念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
この詩自体は、かなり無限の解釈が可能だと思いますが…
妊婦さんの心情を綴った詩として読むと、すーっと入ってきます。
ここでいう「わたしの花」は、命、新しい命のことと考えたくなります。
それだけじゃなくて、その命と共に歩む自分自身の未来とも…。
…
坂村さんは、46歳の時に片目を失明して、絶望したそうです。
その時に作った詩とされているので、妊婦さんにこれを当てはめるのはダメかもしれませんが…
でも、詩には、解釈の自由があります。
僕はこの詩をこの場所で読んで、妊婦さんの苦しみと喜びを教えてもらった気がしました。
…
念ずれば花ひらく。
念ずるというのは、かなり強い意志や決意を示すものだと思います。
強く願い思い、そして能動的に自ら動くことで、花はひらく、と。
でも、仏教的な文脈で言えば、そのまったく逆にも読めるんですよね。
念ずるというのは、あらゆる意志や決意を忘却し、無になること。
強く願うことをやめ、あらゆる能動性を放棄したときに、花はひらく、と。
念ずるをどう解釈するかで、まったく異なった帰結が出てくるんですね。
仏教詩人だった坂村さんのことを思うと、念ずるには、「積極的な諦め」があるように思います。
ポジティブな意味で、「積極的に自らの意志や決意を放棄する」というような。
…
赤ちゃんを産み、そして母になる・父になるということは、まさにそういうことなんだろうなとも思います。
親になるということは、積極的に自らの欲望や煩悩を放棄して、赤ちゃんに専心するということだから。
色々と考えさせられました。
たまたま出会った子安地蔵尊の前で…。
…
子安地蔵も売っているんですね…
こういう本を読んでみても面白いかも…。
世の中にはいろんなものが売られているんですね…。