Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

悲しき現代の肖像-エイジ・フリー論?!

この週末、とある飲食店に二軒行きました(ラーメンじゃないですよ)。

そこで見た風景。

①某チェーン寿司店

たまに行くチェーン寿司店に、60歳~65歳くらいのおじちゃん店員さんがいます。そのおじちゃんは、見た目的には、「寿司屋の親方」みたいな風貌の人。年齢も年齢で、貫禄もあって、見た目だけなら、どこかの企業の社長さんくらいの年齢です。いわゆる「お寿司屋さん」であれば、立派な板前さんであろう年齢の方です。

が、このおじちゃんは店主でも店長でもなさそう。店長さんは、30代くらいの若い男性の方。その若い店長(チェーン店の雇われ店長っぽい感じの人)の下で、もくもくとお寿司を作り続けています。僕はこのおじちゃん、結構好きで、このおじちゃんが厨房にいると安心します。ですが、立場的には、店長の下。店長さんにたまにきついことを言われたりもします。おじちゃんの息子くらいの年齢の店主さんに…

見た目的には名寿司店の板前さんなんだけど、実際には「一従業員」という扱いの方でした。

②某ファミリーレストラン

40代っぽい女性の店員さんがいました。その方は、見た目的には子育てを一通り終えたくらいの女性で、このレストランに入ってきたばかりのようです(どれくらい働いているかは不明)。この人、レジ打ちがなかなかうまくできず、10代と思われるバイトの女の子に、レジの使い方を習っていました。ヘタしたら、自分の娘みたいな年齢の女の子に、「このレジの使い方はどうなのですか?」と、丁寧語で話す姿は、見ていて、少し悲しくなった。人生としては、立派な先輩なのに、レストランのバイトということで、10代の若い女の子よりも立場は下。自分の娘くらいのバイトの先輩に、レジの使い方を習うってどんな気持ちなのでしょうか。人生としては先輩であっても、こういう労働環境では、長くバイトしている方がどうしても有利。どちらにとってもきついと思います。自分の母親くらいの人に、レジの打ち方を教えることも、それはそれでとても大変なことですし、気を使います。

本人たちは何にも思っていないかもしれませんが、改めてその光景を眺めていると、奇妙な気持ちになります。人生を生きた年数が、キャリアにならない。人生で学んだことが、そこでは生かされない。また、そのレストランで学んだ知識や経験は、別の場所では、キャリアとして生かされない。40代の女性店員も大変だとは思うけれど、10代のバイトの子も、その「長年の経験」が後のキャリアに生かされるわけでもない(精神的には強くなると思うけど、それが実利につながらない)。この10代の若者と40代の女性の間に、時給の差もほとんどないだろう。あったとしても、数十円、よくても数百円といったところでしょう。バイトはどれだけ仕事ができても、その能力が時給に反映されないんです。

現在の労働環境の目に見えない複雑さが垣間見れます。

***

なんてことない日常の風景だけれど、日本って、いつからこんなに「エイジ・フリー(年齢による序列からの自由)」になったんだろうって思います。年上の人、年配の人の威厳がなくなった。尊厳がなくなった。長く生きてきたという経験が大切にされなくなっているようにも思いますし、また、産業社会がそういう「エイジ・フリー」を煽ってきたようにも思うのです。「非正規雇用」は、人々の「キャリア」を前提としていません。ただ、雇用者(会社)が部分的にしてもらいたいことをただしてもらいたいわけです。そこに自主性や主体性や自己判断はいりません(あったら、逆に困ります…)。

上にみたお二人も、年齢的には人を統率し、人を動かすくらいの年齢の方でした。でも、実際には、若い人に教えを受ける立場にあり、そこでは上下関係がひっくり返っています。それが悪いとは思いませんが、やはり「なんかおかしくないか?」と思うのです。

色んな意味で人生の酸いも甘いも知っている人が、上に立つべきだと思うのです。もちろん年齢が上というだけで、みんなが酸いも甘いも経験しているとは限りません。が、「生きてきた」という事実は変わりません。そういう「生きた」という事実が無視される社会が、本当に発展した社会と言えるのでしょうか。

僕なんかは、36歳ということで、若くもなければ、高齢でもない中間的エイジを生きています。だから感じるのかもしれませんが、もっと40代~50代の人にはガンガンいってもらいたいし、20代の人にはもっと謙虚に学べ、と言いたい(苦笑)。年齢のヒエラルキーはなくなってもらいたくない。年功序列がいいとは思わないけど、でもエイジ・フリーはとてつもなく虚しく感じます。

年上だから偉いんだという考え方には同意できませんが、年上・年下なんて区分は不必要だという考え方には抵抗感を感じます。やはり年上の人、年配の人には、それ固有の価値があるわけです。歳を重ねれば重ねるほど、全体が見えてくるし、冷静に判断できるし、まわりへの説得力も増します。年齢差は、やはり人間の差として歴然としてあると思うんですよね。

年齢の差が小さければ小さいほど、その中で小さないざこざが勃発します。年齢の差が大きければ大きいほど、なんとなくまとまっていきます。世代間というのは、なければならないものだと思うんですよね。どこかの元議員が「世代間格差」が問題だと言っていましたが、僕的には、「世代間無理解」こそが大きな問題だと思います。

僕はやっぱり50代以上、60代以上の人の方が好きですし、素直に信じられます。30代、40代の人は(自分を含めて)胡散臭い(苦笑)。20代の人はまー、頑張って(苦笑)。そんなもんじゃないですかねー。

なんともいえない悶々とした気持ちです、はい。

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