Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

誹謗中傷する人は悪人か?-「普通の人々」の視点から-

大友さんのffを聴きながら、ふと思ったこと。

今、「誹謗中傷」という言葉が話題になっているけど、一番大事なのは「誹謗中傷をどう抑え込むか」よりも「誹謗中傷するような人がいなくなる社会をどう作るか」だと思う。愛がないんだよな…。みんな、色々溜まっているんだ。特に日本人って…

誹謗中傷する人は、ほぼ100%、「匿名」のアカウントでやっている。匿名で、誰かを攻撃することでストレスを発散させていると考えられる。しかも、その人たちは(悪い意味で)とても頭がいい。まともに向き合うとどこまでも傷つく言葉を吐いてくる。

このことから、誹謗中傷する人は、甚大なストレスを感じているわりと知的には高い人、ということになる。表の顔と裏の顔が乖離した人だと推測できる。つまり「表面的にはいい人」。これは、「DV夫」と共通する点だと思われる。ある程度知的で社会的地位もそこそこあり過度なストレスを感じている人…

「ある程度知的で社会的地位もそこそこあり過度なストレスを感じている人」は、ある程度能力がありつつも、それゆえに「劣等感」や「鬱憤」や「現状認識の歪み」がある(と思われる)。けれど、それを表立ってリアルな日常で言うことができない。そういう人であろう、と。

こういう人間の研究は、「<普通の人>論」でいっぱい議論されてきた。日本はずっと「一億総中流」で来たけど、もうその幻想は壊れ、富裕層と貧困層の分断が起こり、中流層が激減している。その中流層の中に、誹謗中傷する人が集まっている、と考えることもできる。中流階級の象徴が「公務員」だった。

けれど、それだけじゃない。現状があまりよくない「中流意識をもつ人たち」もまた誹謗中傷する人になる。いわば「中流になれなかった人たち」。高いプライドを持ちつつ、そのプライドに相応しい地位につけなかった人たち。そういう人たちもまた、誹謗中傷でその闇をぶつけていると考えられる。

大事なのは、そういう人たちを責めるのではなく、そういう人たちを生み出さない社会的背景(あるいは育ち)を真剣に考えることだと思う。加害者をかばう気はないけど、加害者もまたいっぱい傷ついてきた人たちだと思う。誰も誹謗中傷したいと思わない社会であってほしいな、と。

HOUND DOGのffのサビで、「愛がすべてさ いまこそ誓うよ 愛をこめて 強く強く」ってある。誰かに愛されて、誰かを愛している人はきっと誹謗中傷などしないだろう。愛情に欠けた人たちが「愛を求めて」誹謗中傷をしているんだと思う。その愛の求め方が歪んでしまっているだけ。…

誹謗中傷が溢れる社会だからこそ、今こそ、「ff」を聴いて、そして、僕が死ぬほど大好きな「NO NAME HEROES」をみんな歌ってほしいなと(それが言いたかっただけ…(;´・ω・))「駆け抜けてしまえばいい どんな声にも縛られないで いつの日か 振り返るまで お前は誰だっていい」

<追記>

でも、HOUND DOG自体はとんでもない泥沼に入り込み、とんでもない方向に向かっていったんだっけ。

HOUND DOGのその後の経緯について

これを読むと、その壮絶さが分かる…。

愛がすべてだったはずなのに…(;;)

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