Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

これからの日本に必要なのは、したたかで柔軟な知性をもつバランスの取れた「二階建ての家」の住人だ!

今朝、Twitterを見ていたら、らんちばさんがこのツイートにコメントをしているのを見かけました。

どんどん右傾化している日本を憂うツイートかなと思いました。

そして、「平和を大事に!」などと訴えようものなら、「じゃ、日本を出ていけ」と言われるのが、まさに今の時代。「日本国憲法を守れ」と言おうものなら、「売国奴め」と言われる時代。平和を訴えると、「パヨク」だとか「中国の回し者」だとか「共産主義者」だとかと叩かれる時代。

らんちばさんは広島出身と公言していて、僕も色々と教えてもらってきました。なので、「平和」については、普通の人よりも強い思いをもっていると思っています。

そんならんちばさんが上のツイートに対して、

とツイートしていました。

このツイートを見て、僕の頭(思考)がぐんぐんと加速してきました。(思考が動き始めました)

で、これを受けて僕が書いたツイートを再編集してみました。

👇👇👇

こうした(悪いことは良くないと声を上げた人が非難される)空気はどう作られたのか。それを検証するのも大事かもしれない。

この空気の背景には、①日本の衰退、②中国の跳躍、この二つによる日本人の焦りや嫉妬や自信喪失などが無意識にありそうな気がする。だからこそ、「強くならなきゃ」という集団意識が出て来て、保守層の声が大きくなってきているのかな、と。21世紀に入り、日本はどんどん衰退していて、それを憂う人たちが徐々に(ネットなどを通じて)保守的な考えを手にしていくことになった。

それから、③アメリカの権威喪失、これも今の空気の背景にありそうだ。これまでは日本はアメリカにぶら下がっていれば、安全はひとまず保証された。でも、日本人の中で、これに疑う人たちが増えてきた。「アメリカは日本を助けてはくれない」、と。それが更に保守層を刺激し、軍事的独立を求める声が大きくなった。

ただ、保守層の間でも、「日本の完全独立」か「米国隷属(日米同盟強化)」かで揺れている。前者なら、中国並みの軍事力をもたなければならない。後者でも、更にアメリカ並みの軍事費を捻出しなければならない。どちらにしても、膨大な金が必要になる。でも、日本は過去にない「超高齢国」になる。どうする?!

そこで求められているのは、米国とも中国とも(露とも)したたかに対応できる柔軟で知的な外交力だろう。日本は、これまでも大国間の島国として自主独立を守ってきた。そこには柔軟で知的な人たちのしたたかな外交努力があった。幸い日本人は「二階建ての家」(by レーヴィット)に住んでいる。そこで勝負できるかどうか。

具体的に言えば、英語も中国も堪能で、その政治システムや経済システムや文化システムを正しく深く理解し、どちらの国からも「日本は賢い国だ」と思わせる弁論術をもち、きちんと自分たちの「平和主義」を説明できる知性をもつ人が必要なのだと思う。国内向けではなく、国外向けに。

その際に重要なのは、欧米の価値と中国・アジアの価値をどちらも尊重でき、どちらに対しても真摯に向き合えるかどうかだと思う。「個」を重んじる欧米と、「無」を重んじる中国。この双方をどちらも重んじてきたのが日本だと思う。二階建ての家とはそういうこと。その住民を増やせるか否か。

そういう住民(いわゆるエリート)はそんなに多くなくていい。ちゃんとそういう住民が国の枢軸として活躍できるかどうかが重要だ。思想的な偏りがなく、対立する両極をきちんと理解でき、その間でうまくかじ取りできる腕と感性と知性をもった人間をどう育てるか。かつて山崎正和さんが言っていたことでもある。

ただ、エリートと庶民を分ける必要もない。気づいた時にしっかり学べる環境を用意すれば、誰もがしたたかで柔軟な知性を得ることはできる。だから「18歳総進学主義」を批判している。大学は庶民(ショーペンハウアーのいう「俗物」)のためのお遊戯の場ではない。最も高度な知性を得る場だ。その厳しさを今の高等教育は見失っている。

そこを復権しない限り、この国に未来は本当にないだろう。

そして、そういうしたたかで柔軟な知性を皆がもつことで、この21世紀の世界的な混迷の時代を生き抜き、そして、日本の自主独立を保つことが可能となるのだろう。

今こそ、(ネットで一人で情報をかき集めて、偏った思想に陥らないためにも)対話的に、実際に色んな考えをもつ人たちと共に、またきちんと知性や教養や学問的な基礎をもつ教師たちの下で、しっかりと学ぶべき時なんだと思う。

そのためには、やはり18歳で急いで大学に行って、無駄な4年間(あるいは不毛な4年間、またはモラトリアムでしかない4年間)を過ごすのではなく、ある程度、いろんな経験をして、色んな苦労をしてから、やりたいことや学びたいことを見つけた後で、高等教育の道を歩んでほしい、と願う。世界の若者たちが皆、そうしているように。

PS.

今回の話は思いつきで書いているのではなく、3年前に出した「Manabi」の本で書いたことに基づいています。

この本で、アジア的な学びを「無」と「無我」という観点から記述しています。

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