Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

アルファベットの書き方を教える大学

ユニークな大学の話題がありました。

長いですが、以下、引用します。


 大学のホームページで「アルファベットの書き方」「分数の計算」「原稿用紙の使い方」といった授業のカリキュラムを公開した日本橋学館大学(千葉県柏市)が話題を呼んでいる。入試の偏差値は30台で、一部週刊誌には「バカ田大学」とまで書かれたほどだが、学力低下が著しい日本の大学生の実情を正面から受け止めた英断と称賛する声もある。日本の大学教育の現状に一石を投じた同大の横山幸三学長を直撃した。

 日本橋学館大では1年生を対象に、「アルファベットの書き方・読み方」などのカリキュラムを実施。教材は「学研ニューコース 中学(1-3年)英文法」といった中学生向け参考書だ。

 同様に、数学も「小数の計算」「分数の計算」「比例・反比例」といったカリキュラムが並ぶ。国語は「正しい仮名遣いと送り仮名の練習」「句読点・表記符号の使い方」といった具合だ。

 ただし、これらはいずれも入学直後のテストで点数が低かった学生だけが指導教官の薦めで受講する選択科目。「アルファベットの書き方・読み方」も、最近の中学高校では教えない「筆記体」の話だ。ところが、このカリキュラムをHPで公開したため、ネット上は話題騒然。「高卒のほうがマシだ」「何のために大学行くのか」といった意見が相次ぎ、一部週刊誌が「本当にあった『バカ田大学』」などと報じる騒ぎになってしまった。

 思わぬ形で“知名度”を上げた格好だが、こうした声に同大の横山学長は強く反論する。

 「批判は甘んじて受けますが、なぜ本学がこのような選択科目を用意したのか。それは、中学高校で(基礎教育が)先送りされてきたツケのためです。本学は、学生を社会に送り出す“最後の砦”として責任を果たします。表面だけをとらえてバカにするのは簡単ですが、これが日本の教育の縮図と考えれば、決して笑ってばかりもいられないはずです」

 少子化で、日本の大学はどこも受験生集めに苦労している。日本橋学館大では遠方の受験生に対し、教員が出向いて地元の高校や公共施設などで人物評価を主としたAO入試を実施する「訪問入試」まで行っている。合格判定は、高校の成績や卒業認定基準をもとに行うが、その結果、入学後に冒頭のような“特別授業”を実施せざるを得なくなる。授業にはいずれも、ベテラン教員を配置しているという。

 漫画「天才バカボン」のパパが通っていた「バカ田大学」と実情はまるで異なるわけだ。大学ジャーナリストの石渡嶺司氏も次のように言う。

 「実際には、日本の大学生の4割は似たような状況。上位校でも推薦やAO入試で入った学生は、日本橋学館大を笑えないでしょう。体裁を気にして、こうした授業を正規のカリキュラムの枠外でこっそり行う大学が多い中、むしろよく決断したと称賛してもいいくらいです。学生や親御さん、出身高校からは必ず感謝されるはずです」

 同大では、入学後の必修ゼミも「履修指導(時間割を作ってみよう)」「親睦球技大会(仲間と汗を流そう)」「学生生活マナー(授業の受け方、ノートの取り方)」と、まさに手取り足取りだ。少々甘やかしすぎの感もあるが、横山学長は「学生が居心地良く、生き生きと大学時代を過ごすためにバックアップしているだけ」と胸を張る。

 同大の学生も、今回の騒動を気にかけている様子はない。「偏見を持つ人の評価は気にしない」「日々の学校生活が充実しているから、何を言われても気にしない」「学歴コンプレックスがある人ほど、バカにするんじゃないですか」と、総じて前向きだ。

 こうした学生の“評価”に、横山学長も自信を深めている。

 「私は長らく筑波大で教鞭を執ってきましたが、本学の学生は非常に素直で何事にも意欲的。卒業生も愛校心が強く、今回の騒ぎでも動じることはありません。歴史は浅いですが、本学を笑った人たちには、4-5年後を見ていろと言いたい。派手さはなくとも、世間の中堅層を担う多くの良質な人材を送り出してみせます」

 ■日本橋学館大(にほんばしがっかんだい) 1904年創立の日本橋女学館中・高(東京都中央区)を運営する学校法人日本橋女学館が母体。2000年開学。リベラルアーツ学部のみの単科大で、総合経営、人間心理、総合文化の3学科。受験者数は一般入試28人(倍率1・08倍)、推薦入試73人、特待生スポーツ21人、AO入試52人。東進ハイスクールの偏差値37。学生総数689人(男子465人、女子224人)。初年度学費総計140万7000円。

引用元
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20111014/dms1110141126007-n1.htm


このニュース、僕は笑えない。むしろ、すごい学長の気持ちが分かって仕方ない(苦笑)。そして、大学関係者の人がどれだけ色んな複雑な思いをしながら、教育をやっているかが死ぬほどよく分かります。

学長の言葉、 「…なぜ本学がこのような選択科目を用意したのか。それは、中学高校で(基礎教育が)先送りされてきたツケのためです。本学は、学生を社会に送り出す“最後の砦”として責任を果たします。表面だけをとらえてバカにするのは簡単ですが、これが日本の教育の縮図と考えれば、決して笑ってばかりもいられないはずです」、というところには、強く共感する。

高等教育が充実するというのは、実は基礎教育が先送りされるだけなんですよね。全くです。学歴が高くなるというのは、知的レベルが上がるんじゃなくて、甘やかされる時間が延びる、ということだけなんです。

だから、いつもの僕の主張なのですが、できるだけ早いうちに「第一キャリア」として、(子どもたちが学問をしようと思っていないならば)とっとと社会に子どもたちを出させるべきなんです。社会に出ても、今の時代なら、数年で、ほぼみんな仕事を辞めてしまうでしょう。そういう仕事でいいんです。アルバイトの代わりに、そういう若者を低賃金で使う。所詮、数年で辞めるんですから。で、一度、みんなこけてもらう、と。あるいは挫折してもらう、と。

そうして初めて、学ぶ意味が分かるんじゃないかな、と思うんです。(もちろん、学問やアカデミックなことに関心のあるマニアな子どもたちはすぐに大学に行くべきだとは思うが…)

とにかく、もったいない。遊ばせすぎ。横並びさせすぎ。

暴論を言えば、小学一年生の時から、留年制度を設けるべきなんです。学力が低い子がいたら、とりあえず分かるまで待つ。子ども一人ひとりの成長に合わせるならば、留年システムは絶対に必要。「なんでうちの子だけ?」なんては言わせない。一定の水準以下の子どもをきちんと育てることこそが、「下に配慮する教育」だと思うから。

少なくとも、18歳~21歳くらいで高校をだいたい卒業して、21~22歳から28~29歳くらいまでに大学や専門学校等で学べばいいじゃないですか。

ちょうど今、年金問題が議論されているけれど、これだけ時代が変わって、高齢化してきているのだから、なおさら、就職年齢を上げて、定年退職の時期を延ばせばいいじゃないですか。

もっと20歳代を包括的に、全体的に眺める必要があるんじゃないかな、と思います。もちろん18歳までもです。ある種のゼロトレランスは大事で、「最低限の学力が身につくまで、絶対に卒業させないからな」という気合が学校全体に欲しいところです。親だって、自分の子どもが全然学力を身につけていないのに、卒業させてしまうのは問題だと思うでしょ?!?! 学校の先生は、子どもの学力を見るプロです。そのプロが、「学力なし」と判断しているのだから、それはそれとしてしっかり受け止めましょうよ。

そう、学校の先生は、子どもの学力を捉えるプロなんですよ!!(そうでなければなりません!)

日本橋学館大学のHPはこちら
http://www.nihonbashi.ac.jp/

***

ただ一つ思うのは、そういう基礎知識を大学でやるのも悪くはないけど、教員としては、自分の研究の方で学生を盛り上げてあげたいなって思う。いわゆる一般教養も大事だと思うけど、「学問の世界の奥深さ」をちらっと見せるだけでもいいんじゃないかな、と。

僕ら教員ができるのは、自分のやっている研究を、基礎知識がない学生でも分かるように、噛み砕いて説明することだと思うんです。中学生の勉強を大学でやるんじゃなくて、中学生にでも分かるように、最先端の知を分かりやすく語ることだと思うんです。

基礎知識や一般教養が学生たちに欠けているのは、高校までの学校教育の責任だと思います。それを大学が肩代わりすることもありだとは思いますが、それは本業ではないと思います。本業は、「学問の知」を、もっといえば「最先端の学術知識」を、分かるように伝達することだと思います。

そこから僕は逃げたくはないですね。はい。

コメント一覧

元糖尿病の食いしん坊
大学もそこまで・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/jj1irc
 随分前に、「自分の名前が書ければ高校に入れる」というのを聞きましたが遂に大学もこんな状態になっているのですね。大学の進学率が50%を越える程上がれば全体のレベルが下がるのは当然の帰結で、この話のようなフォローも当然になってくるのですね。
 大学入学まで、小学校・中学校・高等学校とそれぞれの段階の内容を全く不十分にしか理解していないのは随分昔からでしょうが、《最後の社会にでる前の教育機関である大学で尻拭い》とは全くもってご苦労なことです。
 だいたい小学・中学・高校と長い期間勉強しているのに何の為かと言えば、次の上級学校の準備・入学資格を得る為としてしか学習していないのですよね。試験を通る為だけが目的の勉強。そして大学は就職の準備の為の学校になってしまっていますね。
 よく「学校の勉強は社会に出てから役に立たない」という人がいますね。私はそれに何時も反感を覚えます。そういう人は各学校段階の学習内容が実社会で使いこなせるまで身に付いていないからそう言うのですね。試験に通る為だけの学習だから内容も本質は理解していないし、試験が終わればじきに全て忘れてしまう訳です。
 実は義務教育や中等教育の学習内容はかなり充実した物で、そのカリキュラムを実務や社会活動に活用できるレベル迄に十分身につけ、各分野の専門知識を必要なだけ補えばここで学長が言っている「世間の中堅層を担う多くの良質な人材」には十分用が足りると思います。だから猫も杓子も大学まで行って高等教育をみんなが受ける必要も無い様に思います。
 大学を卒業して就職するのは勿論構いませんがkeiさんの言う《大学は本来「学問の知」を、もっといえば「最先端の学術知識」・・・》は全く同感ですね。
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