ラーメンについて考え続けて、早20年以上…。
ラーメンという食べ物は、20年以上経ってもなお面白い食べ物だなぁって思います。
僕は一応「調理師」(名乗れる立場)でもあるので、「ラーメンを作ること」の楽しさやしんどさもある程度分かるつもりです。ラーメンだけじゃなくて、「調理すること」は、楽しくもあり、また、その世界はどこまでも深く、そしてしんどくもあります。
ただ、それ以上に、僕は「ラーメンを語ること・書くこと」が大好きです。
日本人の国民食であるラーメンを語ることは、日本文化を語ることでもあります。
ラーメンづくりは、資格や修業や勉強が必要ですが、ラーメン語りとなると、資格や修業は必要ありません。「うまい」「まずい」なら誰でも語れますし、誰でも評価をすることならできます。
でも、「うまい」「まずい」を超えて語るとなると、とっても大変です。資格こそ要らないものの、「勉強」はかなり必要です。
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なんで、こんな話をするかというと、先日、柏王道家チャンネルとつじ田BOXチャンネルで、こんな動画が公開されたからです。
【第5話】ラーメン協会・評論家に潜む闇を経営者とYouTuberが真剣に語り合う!つじ田は踏み込めるのか?
この動画を是非見てから、以下の文章を読んでください!
この動画では、人気ラーメン店主さんと人気ラーメンYouTuberが「ラーメン評論家」について語っています。
柏王道家の清水さんとつじ田の辻田さんは、かなり厳しく「ラーメン評論家」のことを評しています(特に「お金」の問題と「癒着」「利権」の問題、あるいは不当な「コンサル」等に対して)。
ただ、この店主さんたちの中には、かつてラーメン評論家の人にお世話になった人や影響を受けた人もいて、一概に「ラーメン評論家は要らない」という感じでもありません。
この動画を見ていると、昨年の梅澤さんとラーメン評論家の騒動のことを思い出します。
この騒動の中で、「ラーメン評論家なんてもう要らない」という意見がどっと出され、それに危機感を覚えた僕は、このブログで、【それでも、ラーメン評論家は必要だ!】という記事を書きました。
梅澤さん効果か、この記事は(このブログオワコン時代に)小さな炎上を起こしました。賛否両論でしたが、この記事にいただいたコメントにもあるように、「ラーメン評論家は必要ない」という意見がすごく多かったんですね。
この2022年は、「ラーメン評論家」がほとんど公の場に出ない1年だったようにも思います😢
他方で…、今や、「ラーメン評論家」以上に存在感を示しているのが、上の動画にも出ているSUSURU君をはじめとする「ラーメンYouTuber」です。
SUSURU君は、「ラーメン評論家」ではなく、「ラーメンYouTuber」です。なので、彼の発言から、「ラーメン評論家とは何か」を考えることはなかなかできません。実際、彼が「ラーメン評論家」に憧れているって感じでもないし、僕みたいに「石神チルドレン」だったって感じでもなさそうです。また、一つ前の時代の「ラーメンブロガー」に影響を受けているようにも見えませんし、更にその前の「ラーメン王」にも影響を受けているようには見えません。
突然彗星の如く現れた「新たなラーメンの語り部」という感じで、今の時代のラーメン業界で最も輝いている存在だと思われます。
古株?の僕から見ると、一時代前のブロガー全盛期に登場した「しらすさん」(【しらすのラーメン日記】)のポジションにいるのが、SUSURU君かなって考えています。
しらすさんは、2015年くらいまで、当時まだ力のあった「ブログ」で毎日のようにラーメン記事を書いていました。しらすさん以上に影響力のある「ラーメンブロガー」はいなかったかな、とも思います。その後、彼は、「ブロガー」としてではなく、「ラーメン評論家」的な存在になっていったと記憶しています。ラーメン雑誌でも、評論家さんたちと並んで登場することも増えました。
そういう意味では、SUSURU君は、まさに現役バリバリの影響力の強い(ブロガーに代わる)「ラーメンYouTuber」であり、「ラーメン評論家」とは一線を画す存在であります。
渡なべの樹庵さんもこの動画で同じようなことを語っています。
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では、「ラーメン評論」とは何なのか。これが、今回の主題です。
冒頭に挙げた動画ではそこまで踏み込んでいませんでしたが、ラーメン評論家の役割は、ただラーメン店の情報を垂れ流すだけでなく、ラーメンについて「評論」「批評」することであります。
評論というのは、criticizeすること、つまり事柄を批判的に捉え、その間違っている部分やおかしな部分を厳しく指摘することです。極論を言えば、「肯定すること」ではなく、「否定すること」が評論であり、批評であります。ラーメン批評というのは、ラーメンを批判的に深く考察し、それを語ったり論じたりすることです。
でも、それは、SUSURU君の言う「貶すより、褒めるところを見つけたい」の「貶す」とは違うことです。特定のお店のラーメンを褒めたり、貶したりすることではなく、「ラーメン」という領域において起こっている事柄を総合的に批判的に考える、ということです。なかなか、この点が理解されにくいのかな、とも思いますが…。(清水さんも、その部分についてはとらえきれていないように思われます。個々のお店の「いい」「悪い」を語るだけが評論ではないので…)
僕は「評論家」ではないですが、そういう批判的意識は常に持っています。だから、(それで叩かれてきたのですが)特定のラーメンのことを「またお前もか系」と呼んでみたり、「家系・二郎系一辺倒の現状」を批判的に語ってみたりしているんです。昔は、「チェーン店」を悪者扱いしたりもしていましたが、今は、チェーン店の中にも讃えるべきポイントはあるな、と思って、過去の自分自身を否定するような視点もあります。
ラーメン評論家にしかできないことは、そういうことだと思うんですよね。評論の力は、インフルエンス(影響)の力の強いことではないんです。
評論家は、インフルエンサーではないのです。
インフルエンスという点では、かつてのブロガーや今のYouTuberには勝てません。勝つ必要もありません。そういうインフルエンスな点ではなく、どこまで批判的にラーメンを語れるかが重要なのです。
ラーメン界における権威的潮流をどう批判的に語れるか。
具体的に言えば、今のラーメン業界で「権威」となっている店主さんのお一人が、上の動画にも出ている柏王道家の清水さんだと思います。彼は、一人のラーメン職人として、ベテランのラーメン店主さんとして「ラーメンとは何か」を語れる稀有な存在だとは思いますが、今や、彼の言説が「権威」となり、それにあやかり、ぶら下がろうとする人がいっぱいです。
まさに今の時代、権威となっているのが「家系」だと思います。この「家系一極集中状態」をどう批判的に捉え、語っていくか。これこそ、まさに今のラーメン業界における大問題(の一つ)だと思います。
ただ、上の動画が面白いのは、そんな権威の象徴である清水さんに対して、「いや、それは…」という反論もまたしっかりと収録されている点にあるし、そこに「(まともな)評論家」の意見が入ると更に面白くなるようにも思います。
もし今、故武内伸さんが生きていて、この座談会にいたら、どういう発言をしていたのかな?ってふと思いました。「ラーメン評論家」のパイオニアは、やはり武内さんだと思いますからね。
そんな武内さんは、「佐野実」というカリスマラーメン店主と共に同じ時代を生きていました。
武内さんと佐野さんの関係性は、まさに「優れたラーメン評論家」と「優れたラーメン店主」の関係そのものだったよな、と今振り返ると思います(多少、美化されている部分はありますが…💦)。
武内さんは、常に「ラーメン業界全体」を意識しながら、厳しい目でラーメンを語っていました。そして、そんな彼に憧れた人たちが、後に「ラーメン評論家」と呼ばれるようになっていきました。
ただ、色々と振り返ると、武内さんほど批判的に冷静にラーメンを見つめた人はいなかったかな、とも思います。
石神さんは、僕の心の師匠ですが、武内さんほどには批評しておらず、むしろ、当時の「知られざる優れたラーメン店」を発見する能力に長け、また、「ムーブメント」を引き起こすワードセンスや先見の目をもっていた人だと思います。そういう「評論家」のスタイルを確立させたのも、石神さんでした。
ただ、その後、様々な「ラーメン評論家」を名乗る人が多数でてきて、そこで先に挙げた「お金」「癒着」「利権」等の問題が生まれたのだと思います。(あと「威張る人」も多かったんだろうな…)
そういう人は別にして、やはり、まともに評論できる人の存在をどう考えるか、です。
これは、「教養」の問題になるかと思います。
奇しくも、『中央公論』で「効率重視の教養は本物か」という特集が組まれています。
いわゆる「ファスト教養」を問題視する特集でしたが、これもまた「評論家」の意義を考える上で重要になります。
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どの業界における「評論家」も、知識と経験に裏打ちされた「教養」を持っていました。僕が尊敬する音楽評論家の萩原さんは、誰よりも何よりも音楽のことを知っていて、個々の音楽も全体的なパースペクティブの下で的確に厳しく語ることができました。メタルうさぎさんは、萩原さんよりはマニアックですが、そのマニアックな視点でハードなバンドを解説することができました。
教育評論家の尾木直樹さんは、教育についてのあらゆる知識や経験をもちながら、個々の教育的な問題について広い視野で語ることができたし、常に批判的な態度で厳しいコメントを発していました。
政治評論家も多数いますが、やはり竹村健一さんは凄い人でした。
こういう「語り」ができる人のことを「評論家」って言うんですよね。(今この動画を見ると、やっぱり竹内さんって、めっちゃ知的で、教養があって、語り方もすごく上手で、「さすがだ…」って思います)
ラーメン評論家も、やはり「めちゃめちゃ勉強している人」というのが一番の条件であり、最も重要な点だと思います。それは、個々のラーメン店の知識だけではなく、「ラーメン」についての総合的な知識です。ラーメンについて書かれている文献はくまなく読み、あらゆる知識をあつめ、綜合し、それを「言語化」する。どのお店のラーメンが旨いとかまずいとかではなくて、「今、ラーメン業界はどうなっているのか」、「今のラーメン業界のゆがみやひずみはどこにあるのか」、「今後、ラーメンをどう考えていけばよいのか」を不断に問い続けることこそが、「評論家」の使命だと思います。
そういう意味では、まだ、他の業界と同じレベルの「ラーメン評論家」は現れていない、とも言えるかもしれません。(「ラーメン発見伝」「ラーメン才遊記」「ラーメン再遊記」に登場する「有栖涼」は、正当な意味での「評論家」になっていったようにも読めるかと思います)
昨年も書きましたが、基本的に「評論家」のお仕事は「副業」(ないしは「社会活動」)です。せめて副業におさえておかないと、結局は「お金」「利権」「癒着」の問題にいきついてしまいます(そして、それが業界全体の「腐敗」につながっていきます)。
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というわけで、、、
つじ田BOXちゃんねるで扱われた「ラーメン評論家論」についてのコメントでした。
番組としてはすごくすごく面白かったし、みんな「ラーメン評論家」を否定しつつも、「優れた評論家」を待望しているようにも思えました。清水さんも、評論家自体の存在は否定していません。
そこに、僕は「評論家の未来」の可能性を、更には「教養」の可能性を感じるんです。
もっともっと賢くて知識が豊富で経験も豊かで、そしてそれを言葉にするのが上手な評論家がまだ求められているのが、「ラーメン業界」なのかな、って。
教育業界なんて、もう誰も「評論家」なんて求めていないですし、しらけムードに包まれています。シニシズムに陥り、ただただ「教育ビジネス」に振り回され、高校も大学もその質をがくっと落とし、大学に至っては、単なる「レジャーランド以下の施設」になってしまいました。誰も、教育について真面目に考えなくなりました。
音楽業界にも、もう「評論家」は要りません。好きな時に好きなだけ好きなように音楽が聴ける時代です。音楽雑誌もなくなりました。音楽の知識をふんだんに持つ人の解説や助言がなくても、十分に音楽をフリーで楽しむことができます。音楽解説ももうネット上で無限に見られる状態で、誰も「音楽評論家」を必要としていません。哀しいことに。
政治界はもっと深刻で、「政権にすり寄る評論家もどき」しかいなくなりました。もう誰も「政治評論家」なんて信じてないし、求めてもいません。それこそ、お金と癒着と利権にまみれた世界ですからね。
経済評論家はまだまだ需要がありそうな気もしますが、どうなんでしょうね。
そう考えると、「ラーメン評論家」はまだまだ話題にしてもらえるだけ、ありがたい、とも言えなくもないんです。評論家自体を批判することも、重要な批評です。批判されながら、評論家も評論のプロになっていくんだろうな、とも。
10年後、20年後に、SUSURU君が「ラーメン評論家」になって、武内さんみたいに、知識と経験があり、人を惹き付けるような語りやしゃべりをして、「ラーメン史」とかの本を書くようになったら、面白いかもですね👆(本人はそれを望んではいなそうですが…💦)
食べて楽しくて、語って楽しいのが「ラーメン」ですからね。
これからも僕も、個々のお店のことだけでなく、「ラーメンそのもの」を批評していきたいですね。
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青木さんのこの本はまさに「教養」の本であります!
こういう本を読んでこその「評論」です。
ラーメン評論の原点となる一冊はこちら!
ラーメンは議論の対象なんです。食べるだけのものじゃない。
最後に僭越ながら拙書も…💦(マニアック過ぎてラーメン界ではほぼスルーされてますが…)
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PS
この記事を書いた後に、こんな動画がupされました。
Tokyo Raumen On Air #77「2022忘年会スペシャル!」
この座談会?でも、「ラーメン評論家」についての議論が出ていました。
来年は「背脂ラーメンの年」になるか?!?!
こういうことを自由に語るのもまた、評論なのかな?!、とも。