Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

孤人化、孤独、不安、脳、愛情



旅行=みんなで楽しい。

旅=一人で孤独。

でも、旅行でも、そのグループの中で孤立感を感じる人もいる。 


孤独(Einsamkeit:Loneliness)と孤立(Isolierung:Isolation/Solitude)。
http://www.arsvi.com/d/l09.htm


孤立は、我-それ関係の中で生じる距離感や疎外感。
自分が一つの全体的な人格として見てもらえないことによって引き起こされる感情。
例えば、職場やクラスの中、友達集団の中、家族の中、どこかの中で引きこされる。

孤独は、我が汝と出会うための条件。孤独な人間同士が出会うと、互いに出会える。
孤独は、群の中で引き起こるのではなく、群の外に出て引き起こされる感情。
例えば、異国に行った時、不登校になった時、卒業した時、職場を去った時。

孤独は、全くの一人になることだが、自由を感じる感情とも似ている。
何にも拘束されず、何にも左右されない。全部が自分の意思で動ける時でもある。
一人の旅先での解放感は、孤独ゆえであり、孤独=自由の感情といえるだろう。

孤独とは、自由であり、責任を全て自分で負うことでもある。
それは、苦しくもあるが、解放でもあり、自由意思でもある。

けれど、孤独への不安もある。同様に、孤立への不安もある。
多くの人が、孤独や孤立を不安に感じている。

不安とは何か。

Was ist Angst?!?!

現在、不安は「脳」によるものだと考えられている。

だが、それは本当なのか。
解消できるのか。薬や行動療法で直るのか。
そもそも、不安は解消されねばならないものなのか。
何らかの対象に不安を感じている時、その対象に不安を感じなくなったら、それでOKなのか。

現代社会は、孤人化の時代である。みんな「孤」を生きなければならない。
(と、誰もかれもが言う。それが当たっているかは分からない)

特に孤立への不安はみんな抱えている。
昔、『公園デビュー』という言葉があった。
公園のお母さんたちから自分が疎外されないか、不安を感じていた。

不安とは? 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%AE%89


僕的には、不安は「予期」である。

『…かもしれない(主にネガティブなもの)』に囚われること。可能性への恐れ。

「死ぬかもしれない」
「ダメかもしれない」

そういった「予期」は、悪いものとして扱われ、専門家はその予期を抑えつけようとする。
予期は、脳内の「精神伝達物質」によるものであり、それを抑えようとする。

でも、それで「治癒」されるようなものなのか。不安は病の基なのか?

不安障害という言葉もある。
パニック障害、強迫性障害、社会恐怖/社会不安障害、外傷後ストレス障害…

たとえ予期不安を薬や行動療法で解消しても、
なぜ人が「予期」に囚われるのかについては明らかにならない。
そもそも「不安」を「障害」とみるその臨床的?態度もよく分からない。

僕は小さい頃から、何か心配なことがあると、お腹が痛くなり、腹を下す。
本当に下痢するのだから、困ったものだ。
が、それは僕へのシグナルでもある。「不安なんだね~」、と。

腹痛を直してもらう必要はない。苦しめばいい。
シグナルなのだから、「注意せよ」と、その腹痛のメッセージを受ければいい。

このシグナル=メッセージは、障害なのか?
 
赤ちゃんも不安らしきものは感じている。
母(or父)がいなくなると、不安になり、泣き狂う。
母の不在を瞬時にかきわける能力を赤ちゃんはもっている。
この「泣き狂う」は、障害なのか。そうではないと思う。

人間、どんなに叡智を獲得しても、そんなに強くはない。
というか、はかなく脆い。

自分で自分を支えることなんてできるはずもない。
だから、人間は群れをつくり、集団をつくり、その中で生きようとする。

でも、それができなくなっているのが、この「孤人化の社会」である。
 
来る未来への不安を感じることは誰にでもある。
どうしようもない悲しい現実や受け入れがたい事実は腐るほどあるし、
そのせいで、未来に不安を覚えることも、生きている人間であればみんなある。

離婚家庭の子どもは、みんな「これから僕/私はどうなるんだろう?」と不安を抱えている。

そして、その不安から、色んな「症状」=「シグナル」=「メッセージ」が自分に届けられる。

その際に大切なことは、その届いたもの(僕でいえば腹痛)を処理する能力を鍛えることではなく、
そうしたお届け物とどう付き合っていくか、それと共にどう生きていくか、ということだと思う。

一人でそうしたお届け物を抱え込むことはできない。
一人で重荷を感じているとしたら、それを共感してくれたり、解ってくれる他者が必要なのだ。
それは、医師やカウンセラーでなくてもいいはず。

誰でもいい。モモみたいな存在がいれば、人間は救われるのだから。
(つまり、ただ黙って聴いてくれる人)

孤人化の時代の中で、大切なのは、専門家を増やすことではない。
(もちろん孤独/孤立の不安を感じて苦しむ人を支援する専門集団は必要)

僕らが孤立や孤独に耐えられなくなっている原因を究明することにあると思う。
(ないしは、もともと人間は耐えられないという実証研究があってもいい)

孤独や孤立を不安に感じない人の研究があってもいい。

人間はまだこのことを全くわかっていない。
それだけは確かだと思う。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「哲学と思想と人間学」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事