先日、ある人(女性)と話していて、こんな話を聴きました。
「職場には色んな人たちがいるけど、その中に、決まった仕事や事務仕事のスピードはとても早く、ミスもなく、すごく合理的に常識的に働けるけど、それ以外のことはせず、(職場内の)特定の同類の人とべちゃべちゃおしゃべりをして、職場の人間の悪口や噂話ばかりしているだけの人がいる。一般的には有能だけど、根本的には無能な人というイメージ。こういう人たちに、ずっと苦しめられてきました」
この話を聴いた時に、「おおお…、これは…」って思いました。
こういう人って、どの職場にもいませんか?!
この話を聴いた時に、ふと僕は「クソ真面目なバカ(wonky fool)」という言葉が思い浮かびました。
そして、それっぽい言葉はないかな?と思って、ネットであれこれ検索すると、
『真面目系クズ』
という言葉が出てきました。ネット内の若者言葉?のようで。
今をときめく?ひろゆき氏は次のように語っています。
若者を中心に最近言われているのが、「真面目系クズ」という言葉です。「真面目そうに見せるのが上手で、中身は腐っている」という人のことを指します。清潔感もあって、笑顔で明るくて、返事もいい。でも、一緒に仕事したり生活していく上で、徐々にダメなところが出てくる……。というようなパターンです。…
真面目そうな人が好かれやすいのは、ハッキリ言ってしまうと「便利だから」です。経営者にとって見ると、バイトや一般社員は「真面目な人」のほうが使いやすいのは明らかです。
ただ、長期的に雇って大活躍してもらうためには、不真面目さが必要になってきます。
不真面目な人は、ムダなことが嫌いです。上の人にも反発することがあります。でも、それは、職場においてのムダをなくすことにつながったり、別の大きな仕事を取ってくることにつながったりします。
不真面目で朝礼にも会議にも参加しないような人は、大概、まわりから嫌われます。しかし、そういう人のほうが、とてつもなく大きな成果を出す可能性は高い。そして、嫌われているけど、「本当はいいやつ」という評価が遅れてきます。どんな社会も、そうなっています。そういう「嫌われ者」のほうが、社会では大きく活躍できるのです。…
こんな話をしたのは、学校も社会も「真面目さ」を求めすぎていると思うからです。世の中は、「一部の不真面目な天才を、多くの真面目な人がサポートして支えている」という構図です。
でも、不真面目な天才を潰す方向で機能してしまっているように見えます。全員が真面目でないといけない圧力が強すぎます。
賢い人なら、表面上の「真面目さ」を演出して、見えないところで思いっきり別のことをやることができるんですけど、その真面目さにしがみついてしまうのが、「真面目系クズ」の最悪の結末なんですよね。…
ここでは「真面目なクズ」と「不真面目な天才」が対置されています。
これはこれで「なるほど~」と思うところはありますが、僕が聴いたケースとはちょっと違うなとも思いました。
そこまで目立つような対立構造にはなっていない、もっと見えにくい人間たち…
ひろゆき氏(書いたのは種岡健氏)は、「真面目そうに見せるのが上手で、中身は腐っている人」のことを言っているのですが、そこまで「腐っている」というわけでもない人たち。
腐っているというよりは、何も考えていない人たち、つまり思考停止したバカたち?!
それでいて、プライドが高くて、意味もなく自信たっぷりな人たち?!
また、上では「清潔感もあって、笑顔で明るくて、返事もいい。でも、一緒に仕事したり生活していく上で、徐々にダメなところが出てくる」とありますが、ダメなところを上手に隠すことができて、また、徒党を組んでいるような人たちの方が「手ごわい」ように思います。
「クズ」というよりは、「バカ」の方が適切なんじゃないかな?!、と。(バカという言葉がなんか感じ悪いなと思う人は、バカをアホに変えて読んでください。どちらも「自分の頭で考えようとしない」というニュアンスで)
あるいは、「めんどくさくない人たち」ということになるかな、と。つまり、「あの人、めんどうくさいから関わるのはやめておこう」と思われる人ではなく、それを言いふらす人たち。
…
ひろゆき氏の「真面目系クズ」は、おそらく「男性」に多くみられるパターンで、僕が想定している「クソ真面目なバカたち」は、女性の話から出てきているパターンというとすっきりするでしょうか。
もちろん今の時代、男だからとか女だからとかっていう話はタブーになっているので、「概して」と言わなければなりませんが…。男でも、どうでもいい他人の悪口や噂話をべらべらしゃべる人はいますからね。
冒頭の「ある人」は、そういうクソ真面目なバカ集団にずっと嫌味を言われたり、陰口を言われたりしただけでなく、ずっとその人以外の人の嫌味や悪口も聴かされてきて、体を崩すほどまで辛くなったそうです。(クソ真面目なバカ集団の特徴は、やはり「噂話」や「陰口」や「いない人の悪口」なのでしょう)
ただ、その人はとても賢明な人で、勤勉な人なので、その職場のトップの(賢明な女性の)上司の計らいで、クソ真面目なバカたちとは別の部署に変えてもらい、そこで今は、心ある賢明な人たちと穏やかにしっかり仕事をしているそうです。
よかった…😂
でも、そういう「クソ真面目なバカ」や「真面目系クズ」に悩まされている人がまだまだこの世にはいっぱいいるんだろうな、と思います。
しかも、上の引用文にもあるように、そういう人たちは「便利」で「使いやすい」ので、重宝されます(利用されているだけでしょうけど、それに気づいていないので、職場で偉そうな顔をします)。
真面目系クズも、また僕の想定する「クソ真面目なバカ-wonky fools-」も、学術的には、クリストファー・R・ブラウニングの「普通の人びと(Ordinary men)」の一種と捉えることができるかと思います。(ここでは彼の議論には深入りしませんが…)
"ordinary"には、①普通の、通常の、いつもの、普段の、という意味の他に、②平凡な、つまらない、目立たない、という意味があります。
真面目系クズやクソ真面目なバカといわれるような人たちは、一般的な常識を重んじる真面目さと同時に、平凡で退屈で目立たないという属性をもっていると解釈できそうです。
故に、平凡でなく、面白さに溢れ、目立つ人を嫌悪するのだろう、という見通しも出てきます。
ただ、ここで注意しなければいけないのは、平凡でなく面白味のある目立つ人でも、その人が「自分より立場が上」なら、その人の意見に従います(裏で陰口は言うでしょうけど…)。逆に、その人が「自分より立場が下」なら、即刻、噂話と陰口と悪口のオンパレードとなるでしょう。日本の場合、「立場主義」なので、その立場で、人間の行動は変わってきます。
…
ただ、何をどう書いたとしても、日本では、こういう人たちが「組織」を動かしています。
その代表例が「官僚」だと思うし、「公務員」だと思うし、また(政治家や大学教員を含め)「先生」や「知識人」と呼ばれる人たちだと思うからです。(公務員的人間こそが、あのかつてのホロコーストを下支えしたというのは有名な話)
一般の人のレベルではなく、総じて「権力」をもつ人たちの多くが「クソ真面目なバカ」なんですよね。だから、これに抵抗しようとすると、並大抵以上の努力と長い戦いに入らなければなりません。官僚たちの「(悪い意味での)頭のよさ」は、海外でも認められている事実です。
それでも、一縷の望みはあると思います。
彼らは、間違いこそ犯しませんが、何かを大きく変えることはできません。常識やルールには従順に従いますが、その常識やルールをひっくり返すこともしません。故に、社会で活躍する人材にはなれません。
けれど、人間の歴史を見ると、常にそういった常識やルールの変革というのは起こっています。数こそ少ないかもしれませんが、いつの時代にも、クソ真面目なバカたちの常識やルールをひっくり返す人たちが出てきているんです。
もちろん誰もができることではないですが、いつの時代にも、そういう常識やルールにとらわれないで、自由で創造的でユニークな発想で、世の中を大きく(あるいは小さく)変えることは可能なのです。
なので、クソ真面目なバカではない人は、そういう「めんどくさいとは決して思われない『めんどくさい人たち』」のことは無視して(あるいは華麗にスルーして)己の信念に基づいて、我が道を貫いてほしいと思います。また、そういう強さを育んで、それを守ってほしいなぁと願います。
大丈夫。(思いつきではない)信念に基づいている限り、間違ってはいないはずだから…。(間違っているか間違っていないかくらい、自分で決めましょう🎵)
…
PS
数年前に、僕の研究対象である「シュテルニパルク」の幼稚園のことを、ハンブルク市の公立幼稚園の園長先生に聞いたことがあります。その時、その人は「あの幼稚園は、規則を守らず、好き勝手なことをやっていて、また安全管理もロクにしていなくて、悪い幼稚園だ」、と罵っていました。その罵りは、とても激しいものでした。
でも、そのシュテルニパルクの幼稚園は、毎年、ハンブルク市内の「よい実践をしている幼稚園賞」を得ている幼稚園なんですよね。赤ちゃんポストを園内に創設したシュテルニパルクは、保育実践においても群を抜いていたんです。
まぁ、そういうことですね😊
頑張りましょ💓
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今回のテーマとは少し違いますが、こんなマンガも出ていますね。
これは?!…