先ほど、こんなニュースが流れました。
転落死:乳児を道連れに飛び降り自殺か…藤沢のマンション
毎日新聞 2015年03月25日 12時33分(最終更新 03月25日 14時08分)
25日午前5時45分ごろ、神奈川県藤沢市柄沢の10階建てのマンション敷地内で、東京都杉並区の会社員女性(35)と娘の女児(0)が倒れているのを住民の男性が発見し、110番した。いずれもマンションから転落したとみられ、病院に搬送されたが死亡が確認された。
県警藤沢署は女性が娘を道連れに飛び降り自殺を図った可能性もあるとみて捜査している。
同署によると、同日午前6時40分ごろには近くに住む別の男性から「娘たち親子がいなくなった」と110番があった。男性の話によれば、2人は母子で藤沢市内の実家に里帰り中で、母親は「死にたい」などと話していたという。【河津啓介】
このところ、児童遺棄、児童殺害、母子心中事件が続けて起こっています。
本当に、心が痛みます。
0歳の女の子も亡くなりました。
こういう事件が起こると、当の女性への批判や批難が起こり、「なんで、育てられないのに、産んだんだ?」、という人が必ずでてきます。(児童遺棄や児童殺害や虐待などでは、その批判のトーンは一層激しくなります)
でも、批判されている当の母親は、もうこの世にはいません。その人を責めることは、誰にもできません。
こうした女性に手を差し伸べることは、同時に、子どもの命を守ることに直結します。だから、「母親支援」が必要なのです。
(この数日、昔に書いた文章が再度、読まれています)
そういう支援を行う団体(主に民間)は、結構あります。
例えば、社団法人ベアホープなど。
でも!
それでも、上の事件のように、母子心中の道を進んでしまう人が後を絶ちません。
先日、そうした支援を日本で実際に行う人と(真正面から)対峙しました。対話をしました。
その対話で、一つ気づいたことがありました。
日本にもたしかに母子支援を行う団体はあります。主に「特別養子縁組」に向けた支援体制は整いつつあって、ドイツの「内密出産」にかなり近い出産も実施されつつあります。その人たちも、この「特別養子縁組」を軸に、妊婦や母子の支援を行おうとしています。
ですが、肝心のその前の段階、つまり、危機的状況下に置かれている女性(妊婦、母親等)とどうコンタクトをとるか、という点については、あまり問題とされていないのです。
上の事件でいえば、どうすればこの亡くなってしまった母子とコンタクトをとることができたか、ということです。
匿名出産・内密出産の議論の中で、ある支援者の方が言っていました。
Oさんとしましょう。
「日々、相談業務を行っていますが、匿名性が必要なケースというのは、ほとんどありません」。
このOさんの言葉を聞いた時に、色んな意味で、あらゆる問題の根っこが見えた気がしました。(制度内部の中にいると、その中の問題が全てだと思ってしまう、という錯覚みたいなもの)
この場では言いませんでしたが、こう思いました。
「それはそうでしょう。相談しにくる人と日々接していれば、その人たちは匿名でなくてもよくて、それだからこそ、相談の連絡を入れてくれて、相談の仕事もできる。でも、匿名支援・匿名出産で問題となっているのは、そういう既存の相談所・支援団体とコンタクトを取ることのできない人であり、そういう人を、そしてその子を支援するために、「匿名」の支援が考案されたんだ」、と。
(この点については、僕のブログでも再三語っています)
その最も具体的な例が、この上の事件の母子だと思います。子どもは0歳。問題は恐らく、出産前からあったはずです。それも、一つの問題じゃなくて、たくさんの問題が複雑に絡んだ状態での出産だったと思われます。(普通の人が想像できる範囲以上の問題を抱えている場合が多いです)
ここで、Oさんを責めているわけではありません。そうではなく、Oさんのような相談者は、日々、「相談に来る人」の相手をしているので、その外に置かれた人はあまり問題となっていない、ということです。Oさんとは、「匿名性」の重要性をめぐって、意見の一致には至りませんでした。
今、問うべき問題は、「どうしたら相談機関等に現れない人とコンタクトをとり、どうやって継続的な支援にもっていくか」、ということに尽きると思います。今回のこの悲しい事件は、まさにこのことを問うています。(数年前に、千葉の八千代市でも、母子がビルから飛び降りて死亡するという事件がありました)
たしかに、Oさんが言うように、匿名性を必要としている人は、数としてはそんなに多くはないかもしれません。でも、いつでも、いるんです。現れないだけで、言いだせないだけで、今もいるんです。
「お腹の赤ちゃんをどうしよう」、「もうそろそろ産まれてくるけど、どうしよう」、「産んじゃったけど、どうしよう」、「誰にも相談できない」、「誰にも知られてはならない」…、と。(上の事件と直接関係ないかもしれませんが、例として挙げておきます)
上の35歳の会社員女性も、極めて難しい状況下で子育てを開始していたと思われます。(こういう事件の場合、母親が精神疾患を患っていた、という説明で終わってしまうケースが多いんです。でも、実際にはそれだけじゃなくて、色んな問題が錯綜していることが多いんです)
ドイツの支援者たちは皆、こう言っています。
「殺されてしまう幼い命を守りたい。遺棄されたり、殺されたりする赤ちゃんを救いたい。なんとかできないだろうか。どうしたら、その赤ちゃんの命を守れるのだろうか。どうしたら、その赤ちゃんのお母さんとつながれるだろうか(コンタクトを取れるだろうか)」、と。
この観点が、日本の母子支援・母子福祉には欠けているように思うのです。
そして、「相談することそれ自体が、どれほど苦しいことか」、ということへの想像力の欠如です。
抱えている問題が、「一般常識を超えた問題(常軌を逸した問題)」であればあるほど、その問題を抱えている人は、「負い目」を感じます。例えば、「不登校」です。不登校は、当の本人(不登校児)にとってみれば、「誰にも言えない、恥ずかしい、隠しておきたい問題」なのです。同じように、「望まない妊娠」や「望まない出産」の場合も、「誰にも言えない、恥ずかしい、隠しておきたい問題」となるのです。
そういう人に、「相談してね」、と言っても、そう簡単に相談なんてできませんし、「分かってくれる」とも思いません。だいたい僕自身も、僕自身に固有の問題について、誰にも相談なんてしませんし、そういうものだと思っています。
でも、相談しなければ、あるいは誰かの支えがなければ、「死」を選択する人もいるのです。自殺者も同じです。
このブログではずっと書いていますが、現状の支援では、「匿名性」はなかなか保障できません。公的支援を受ける場合は、もう確実に身元を明らかにしなければなりません。そのことが、どれほど当の本人にとって辛いことか。そのことへの配慮はないに等しいです。「誰にも知られたくない」と思っている人には、届かないサービスばかりなのです。
相談というのは、それをすること自体が極めて困難なのです。
上のOさんとの対話でも、この点で、噛み合うことがありませんでした。
赤ちゃんポストをつくったユルゲン・モイズィッヒ氏(教育学者・社会学者+教育・福祉実践者)もこう言っていました。
「自分たちの住むハンブルクで、続けて二度、赤ちゃんがゴミ箱に捨てられて死んでいた。そういう赤ちゃんを出さないために、どうしたらよいのかについて、みんなで議論して、考えた。そこで思いついたのが、匿名支援であり、赤ちゃんポストだった」、と。
今回の事件の0歳の女の子の命は、誰も守ることができなかった。だからこそ、「どうしたらこの0歳の赤ちゃんを救えただろうか?」、とみんなで考えていきたいと思うのです。
虐待の問題もしかりです。どうしたら親(やその親族)が虐待をしてしまう前に、その親や親族とコンタクトをとるか。(極めて具体的に)どうしたら、SOSの声をキャッチできるか。そのことをまずは問うべきであろう、と。
その具体的なドイツの取り組みについては、こちらの本で、たくさん論じています。(読んでいない方は是非一読を!)
最後に、この2月に僕が入手した、ドイツの連邦官庁が作成したビラを、ここでご紹介します。
このビラは、ドイツ全土に配布されており、匿名での支援を必要としている人に届くように、と作られました。
ここでも、「妊婦ですか? そして誰にも知られたくないですか?」、と書いてあります。
そして、「私たちは、匿名で、確実に、支援します」、と書いてあります。
電話は無料。そして、ネットでもすぐに無料で支援団体とつながれます(もちろん匿名で)。
日本の厚生労働省(あるいは別の省庁)も、もし本気で母子を支援しようと思うのであれば(そして虐待をきちんと予防しようと思うのであれば)、ここまで踏み込んだ実践が必要なのではないでしょうか?!
でも、ドイツの官庁を動かしたのは、間違いなく民間の支援団体の人々(つまり普通の人々)です。
そういう意味で、僕はやはり日本の実践者たちを応援したいし、そうした実践者の育成に取り組んでいきたいと思っています。