遂に下村被告の判決が下った。
各社の報道を列挙しておきたい。忘れないために。
<大阪2児餓死>母親の下村被告に懲役30年の実刑判決
毎日新聞 3月16日(金)14時37分配信
下村被告は殺意を否認していた。検察側は論告で「10年6月9日ごろの時点で2児が相当衰弱していることを認識しながら部屋に閉じ込めた。被告の弁解は信用できない」と述べ、殺意はあったと強調した。弁護側は「被告は2児が死んでも構わないなどとは考えなかった」として、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張した。
起訴状によると、下村被告は長女の桜子(さくらこ)ちゃん、長男の楓(かえで)ちゃんと大阪市西区のワンルームマンションで暮らしていたが、食事を与えなければ死亡することを知りながら、10年6月9日ごろ、2人を自宅に閉じ込めて放置し、同月下旬ごろに餓死させた、とされる。
こちらも参照
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120310mog00m010014000c.html?inb=yt
大阪2児虐待死 下村早苗被告に懲役30年 殺意あったと認定
産経新聞 3月16日(金)14時45分配信
検察側は論告で、「被告は幼い子供に食事を与えず、部屋の扉に粘着テープを貼って閉じこめたまま約50日間帰宅しなかった」と指摘。被告には殺意があったとし、「わが子2人を飢餓状態にさらし続けた前例のない事件で、2人の絶望感は筆舌に尽くしがたい」と非難した。
一方の弁護側は最終弁論で、「被告は幼いころに受けた育児放棄などが影響し、恐怖を無意識に避ける特殊な心理状態にあって死ぬことに意識が働かなかった」と反論。殺意はなく、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張した。
下村被告は最終意見陳述の際、涙を流し「もう一度2人を抱きしめたい。こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」と述べていた。
判決によると、下村被告は必要な食事を与えなければ長女の桜子ちゃん=当時(3)=と長男の楓(かえで)ちゃん=同(1)=が死亡することを認識しながら、平成22年6月9日、大阪市西区の自宅マンションに閉じ込めて外出。帰宅せずに放置し、同月下旬に餓死させた。
2児放置死、母親に懲役30年 大阪地裁判決
朝日新聞
大阪市西区のワンルームマンションで2010年7月、餓死した幼い姉弟(当時3歳と1歳)が見つかった事件の裁判員裁判で、殺人罪に問われた母親の下村早苗被告(24)の判決公判が16日午後、大阪地裁であった。西田真基(まさき)裁判長は懲役30年(求刑無期懲役)を言い渡した。
起訴状などによると、下村被告は名古屋市から西区南堀江1丁目の自宅マンションに転居した10年1月ごろから、長女桜子ちゃんと長男楓(かえで)ちゃんを放置して外出するようになり、3月以降はほぼ毎日、交際相手の家などに外泊。6月初めに帰宅した際、2児が衰弱していることを認識しながら十分な食事を与えずに再び外出し、6月下旬に死亡させたとされた。
検察側は、被告が6月初めの帰宅時に玄関と居室の間のドアに粘着テープを貼ったことを踏まえ、「2児が死んでもいいと考えて閉じ込めた」と指摘。明確な殺意が認められると主張した。弁護側はテープを貼った行為について、桜子ちゃんが1人で外に出て警察に保護されたことがあったためだと主張。「死んでも構わないとは思っておらず、保護責任者遺棄致死罪にとどまる」と訴えていた。
http://www.asahi.com/national/update/0316/OSK201203160076.html
24歳の二児の母親が、追いつめられた果てに、殺害し、そして30年の懲役となった。彼女がこちら側に戻ってくるのは、54歳ということになる。
この30年という刑については、もうとやかく言うことはしない。結論はいずれにせよ出さなければならないし、この決定に至るまでに、ものすごい議論や葛藤があったのだろうから。
ただ、大切なことは、第二の「下村被告」を出さないこと、これに尽きると思う。「下村さん」(あえて「さん」づけでいきます)は、妊娠、出産、子育てと歩む道の途上で、苦しみ、もがき、そして、子育てを放棄した。しかも、あり得ないほどの残酷な結果を自ら生み出してしまった。
そこに潜むのは、「人間の野蛮」である。彼女の行為は、野蛮であった。単純であり、思考した行為とは反対の行為であった。これを彼女の「無知」のせいにしてはならない。彼女を無知にしたのは、彼女だけの責任ではないからだ。下村さんは、思考すること、考えること、問題解決の道を探ること、そのために他者に相談すること、頼ること、自分の置かれている状況を冷静に判断すること、分析すること、未来を見通すこと、自分の行為の行く末を見通すこと、予期すること、そういった人間の知的行為に向かわなかった。
ここに、やはり教育学的問題があると思う。
学校教育は何を教える場所なのか。それは、知的に生きること、考えて生きること、自分の生活世界を深く知ること、理解すること、自分の家庭、環境、自然、社会、国、世界を知り、それが自らと関わっていることを感じること、そして、その中で生きて行くために必要なこと、そういうことなんだと、僕は下村さんから教えてもらった気がする。
当然、子育て支援のシステムや児童福祉の体系をより充実させることも必要だろう。けれど、そうした外的な支援体制をどれだけ整えても、それを使う僕ら人間が、その体制を使えなければ意味がないのである。あるいは、語る言語がなければ、何もサービスは使えないのである。
だから、下村さんの次の言葉も、支援体制の不備と受け取ってはならない。裁判官が「今なら2児を放置した時の自分にどうアドバイスするか」と尋ねた時の言葉だ。すなわち、「女一人では限界がある。(放置する前に誰かに支援を頼めば)こういったことにはならなかったと思う」、という言葉だ。問題は、「支援が頼めなかった彼女の在り方」にある。
下村さんも、もし自分の状況を冷静に反省し、どうしたら二人の子どもの命が守れ、自分も母親として生きられるのか、ということを考え、その答えを探るべく、動き出してたら、状況は変わっていたかもしれない。もちろん今の児童相談所の状況からすると、相談できなかったかもしれない。けれど、誰かに相談はできたと思う。(否、できないからこそ、こういう事件が起きたわけだけど) 極論から言えば、八日目の蝉に出てくる「エンジェルの家」のような宗教団体でもよかったかもしれないし、どこかの子育て系のNPO法人という道もあったかもしれない。あるいは、どこかのお寺の住職さんに泣きつくこともできたかもしれないし、大学機関の心ある研究者等に訴えることもできたかもしれない。熊本まで行けば、赤ちゃんポストに入れて、命を守ることはできたかもしれないし、福岡のSOS子どもの村のスタッフに何かをお願いすることもできたかもしれない。下村さんは、「誰も助けてくれず、助けてもらおうという思いも浮かばなかった」と言っている(引用元)。それ自体、思考の停止を示しているし、また他者への根本的な不信を感じさせる。
それ以外にも、道は探せる。インターネットで、ためしに「大阪 子育て 悩み」と検索すると、色々な相談機関が出てくる。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1286326721796_02/news/20101104-OYT8T00281.htm
http://www.axia-co.com/soudan/kosodate.html
http://www.npo-osc.com/poporo/kosodate.html
http://motherplus.net/mybestpro/index.html
http://space-liv.net/work/singlemother.html
…
どれも、さっと見る限り、下村さんのケースに十分に対応できないかもしれないが、こういう場所に問い合わせてみることはできたはずだし、できるはず。事実、彼女はmixiもブログもやっていた。パソコンやケータイといったメディアを使うことはできた。が、そのメディアを駆使して、自分の問題を解決することをしなかった。
もちろんこういう機関じゃなくてもよい。友だちのお父さん、お母さん、知人の知人の知人までいけば、それ相当の「まともな人」「助けになる人」に辿りつけるはず。そういう「想像力」があれば、どうにかなってしまうものだったりもする。下村さんも、あと少し、頭を働かせて、どこかにアクセスできれば、何かが変わっていたかもしれない。後の30年を刑務所で過ごさなくてもよい人生があったかもしれない。
ここに、現代の教育を語る一つの切り口があるように思うのだ。
今回の事件は、これで終わりとなる。世間も、このニュースを忘れ、そして、風化していくだろう。メディア、ネットを見ていても、彼女は散々に叩かれ、罵倒され、侮蔑され、軽蔑され、ののしられ、バカにされてきた。世間は、彼女を叩き、ある程度納得できる結果が出たら、満足し、また別の「悪者」を探し、叩くのだろう。世間とはそういうものだとも思うし、それに対しては何も言わない。
例えば、こういった声がある。
http://www.news30over.com/archives/5997460.html
(不快になる恐れあり。「閲覧注意」としておきます)
けれど、教育や福祉に関わる人間は、これを忘れてはならない。彼女ももしかしたら救えたかもしれない。彼女を救えれば、二人の幼い命も守れたかもしれない。
どうしたら「下村家」を救えるのか。どうしたら、こうした母子を保護し、ケアし、社会の中で絶望することなく、生きられるようになるのか。(彼女の母親もまた被虐待児だという事実は無視できないが、だからといって、そのことがこの事件の引き金になったとは推論することはできないはず。参考)
教育の可能性として考えるならば、下村さんが一人の人間として思考し、自らの問題を解決する知恵をもち、勇気をもち、厳しい現実から目を背けないために、何が必要だったのか。何が欠けていたのかを分析しなければならないだろう。
匿名出産、赤ちゃんポスト等の試みは、その一つのアプローチであり、その一つの可能性を示している。そう考えると、やはり問われねばならないのは、下村さんのような母親とその子どもをどのようにして保護し、教育するか、ということだろう。あるいは、下村さんのような大人を出さないために、あるいは、第二の「下村被告」を出さないために、どのように教育を立て直していくか、ということだろう。
緊急下の女性と教育学、赤ちゃんポストと教育学、これはやはりセットにして考えられるテーマだと思うに至った。一番大事なことは、「第二の下村さんを出さないこと」、それに尽きると思う。彼女でなくても、日々、これに似た事件は起こっている。こうした問題に、フェミニストやフェミニズム教育学が何も語らないという点も、やはり問題だと思う。男性も問題があるが、この事件の本質は、女性問題でもある-もちろん、男性(父親)の責任追及も怠ってはならず、その問題を含めれば、男女の問題であることも見逃してはならない。
彼女が54歳になった時、彼女はいったい何を想うのだろうか。そして、どう生きていくのだろうか。その時、僕は66歳か…
いつか、どこかの形でこのブログを彼女が読んでもらえたら、と思う。そう思って、書いてみました。だから、このブログが30年後も見られることを祈っていますし、そのためにこの記事は是非残しておきたいと思います。
参考記事
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20120308-OHT1T00260.htm
(彼女の両親のこと。差別を受けていたこと。義理家族であったこと、など)
http://www.news-postseven.com/archives/20120310_93081.html
(彼女の父へのインタビュー等。これは貴重な資料になります!)