今日(正確には昨日)は、一日ほのぼのと過ごした。ラーメンを食べて、今月締め切りの論文をタラタラ書いて、ブログを書いて、昼寝して・・・ でも、それでいいのだろうか。
一番贅沢な休日の過ごし方ってどんな過ごし方だろう?
休日に、文字通り「休んでいる」人ってどれくらいいるのだろう?
僕は仕事を色々かけもちしている。お金が目的じゃない。単にやりたいから。好きだから。それだけでも贅沢な話。でも、その分、色々と「やるべきこと」も増える。仕事もこだわればこだわるほど、しなきゃならないことが増えてくる。教育や研究って、やろうと思えばどこまでもやれるし、手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける。
でも、人間として存在している以上、仕事以外の活動も大切にしたい。特に「休日」。
休日は、あくまでも「仕事OFF」の日。今の日本で完全に仕事OFFの日を二日確保することは難しい。また、仕事OFFでも、完全に経済活動から身をひくことは難しい。月曜日から土曜日まで経済活動をし、日曜日まで「客」として経済活動にまきこまれる人はどれだけいるだろう?
うちの学生たちはディズニーランドが大好きだが、ディズニーランドはまさに「資本主義」の象徴そのもの。5000円以上の入場料の他にいたるところでお金を落としていく。そして、その代わりに「夢の世界」を手に入れる。それが本当の夢の世界かどうかは問わずして。
僕らはお金を使わないで、休日を贅沢に過ごすことはできるのだろうか? 経済活動から身をひきはなして、お金に代わる何かを使って楽しむことはできるのか?
恋愛でさえ資本主義の餌食になっている。デートなんて、完全に「消費活動」そのもの。恋愛そのものも消費することが目的になっていると言えるかもしれない。
休日も恋愛も、僕らはすべて「商品とのひきかえ」として楽しんでいるところがある。面白いなあと思うのは、これだけ世の中が便利になって、機械化が進んで、生活そのものの負担は減ったにもかかわらず、睡眠時間が減っている、という現象だ。生活における負担は随分軽減されたにもかかわらず、寝る時間がなくなっているっていったいどういうことだ?? また、寝られない、眠りにつけない人もたくさんいる。人間の歴史上、これほどまでに睡眠障害で苦しんでいるっていう事態は実際初めてなんじゃないか、って思う。
いったい僕らは毎日24時間をどのように過ごしているのか。電気が出来て、僕らの生活は本当に豊かになったのか。パソコンができて、僕らは本当に幸せになったのか。
僕らは忙しい。何に忙しいのかも分からないほどに。日本が近代化してから130年ほど。この130年間で僕らの暮らしは本当におどろくほど良くなった。氷売りなんて仕事はもうなくなった。炭鉱の仕事もなくなった。日々の生活は電気と石油がすべて補ってくれる。冷たい水で手で服を洗濯する人なんてもう皆無に等しい。すべてが機械化されて、ゆとりの時間はたくさんある・・・はずだった。けれど、なぜだか僕らはまだ全然忙しい。
せめて休日くらいは「忙しくない一日」にしてあげたい。暇を楽しむ術をもっと学びたい。いつから僕らはこんなにも真面目になっちゃったんだろう? いつからこんなにあわただしくなったのだろう? 毎日11時に寝れれば、7時に起きても8時間たっぷり寝られることになる。でも、夜11時に寝られる大人はどれだけいるのだろう?
休日に何にもしないで過ごせる人はどれほどいるのだろう。テレビもラジオもパソコンも使わない。エンターテイメントに触れない。いたずらに豪遊しない。本も読まない。音楽も聴かない。そういう休日を過ごすってどういうことをすることだろう。
ドイツ人たちの休日の過ごし方はまさにそんな感じだった。休日のお昼間、公園や喫茶店で友だちとお話をして、そこそこのコーヒーを飲みながら、ダラダラしゃべる。いい大人が散歩をして、ときおりベンチに腰かけて、ぼーっとする。多分外国だからいろいろとよく解釈している部分もあるかとおもうが、本当にダラダラしていた。
休日にあてどなくダラダラ過ごすことって当たり前のことだろうか?それとも、今の僕らにはとても難しいことなのだろうか?