Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

2015年6月の第四土曜日の会終了! 実践を哲学する!

第四土曜日の会は、「実践を哲学する研究会」。

2015年度も頑張って継続しています。

以下、僕のインプレッションです。(メモ)


現在のこの世の中、「大きな問題」ばかりが語られています。最近では、「戦争か、平和か」という、極めて「大きな問題」が取り沙汰されています。大きな問題の議論は、人々を夢中にさせる何かをもっています。

ですが、その一方で、「小さな問題」は、隅っこに追いやられています。小さな問題は、大きな問題の前では、もう無力も同然です。大きな問題は、小さな問題をすべて吹き飛ばす力をもっています。けれど、現場の人たちは、みな、「小さな問題」に日々向き合っています。

この小さな問題にどこまでもこだわるのが、現場の実践者だ、とも言えます。そうした小さな問題への関与を捨象することは、ある意味で、民主主義の敗北となります。小さな問題をどこまで大切にできるのか。

今、それが問われているように思えてなりません。

第四土曜日の会は、徹底して、「小さな問題」に目を向け、そして、そこから考え抜いていきます。小さな問題の中に、大きな問題は常に隠れていますし、小さな問題の中にこそ、本当の現実の問題がいろいろと転がっています。


今回の一つ目の事例は、卒業生ふくちゃんの「かぼちゃを食べた後に、不安定になった小学生(若干の障害あり?!)」の話。人によりますが、基本的に、子どもは野菜が嫌いです。嫌いと言っていいのか分かりませんが…。けれど、嫌いな食べ物だから食べなくていいよ、というわけにはいかないのが現実でもあり。

今回の事例では、なんとか保育者の(ある意味で)見事な声かけのおかげで、かぼちゃを食べることができた、という事例だったのですが、実はその先がありました。かぼちゃを食べて、「偉いね」、と保育者に言われたその矢先に、近くにいるお友達を叩きつけた、というのです。これには、さすがの保育者も驚いたようで、そのことが報告されました。

「どうするべきだったのか」、と、保育者は問います。自分が子どもに求めた行為は、正しかったのか、それとも間違っていたのか。かぼちゃは食べた。けれど、その食べる行為によって、お友達を叩きつける、という行為が生まれてしまった。

議論では、「そもそも、嫌いな食べ物を無理に食べさせることに意味はあるのか」、という意見が出されました。「戦後間もない頃の貧しい時代であれば、そういう考え方も重視されたかもしれないが、今の時代、嫌いな食べ物を無理に食べなくても、死ぬことはない。それでも食べさせることに意味はあるのか?」、と。

さらに、その反論として、「かぼちゃは、あらゆる食材の中でも最も栄養価が高いものであり、食べるべき食材である。他の野菜、繊維しかないような野菜ならまだしも、かぼちゃは完全によい食材であるから、食べるべきものではないか?」、という意見が出されました。

その上で、今回の事例では、A君がかぼちゃを食べ終わった後に、「偉かったね」、という声かけに問題があったのではないか、という話になりまして。恒例の、「では、どうA君に言えばよかったのかコンペ」を行いました。見事に一位に選ばれたのは、「どんな味がした?」、でした。


続く二つ目の報告は、中堅保育者になりつつあるSKさんの、「お茶を飲まないBちゃんがCちゃんの影響でお茶を飲んだ」という事例でした。今回はなぜか、「食」に関する報告が続きました。

一つ目の事例と「似ていて」「異なる」事例でした。そこが議論の中心でした。「食べる/食べない」、「飲む/飲まない」という(小さいけど)難しい問題に対して、「子ども対保育者」という視点だけではなく、「他の子ども」の影響もやはり無視することはできないだろう、という意見も出ました。

保育界では、「食育」という言葉が現代キーワードとしてよく出されています。が、単に「食べられるようになる」ということだけに注目するのではなく、 「食べている子どもたちの現実」から、きちんと考えていかなければいけないだろう、と。


三つめの報告は、現役学生Tさんによる保育実習でのエピソード(というか、感想文)をみんなで読みました。エピソードはあるのに、当の書いた学生は不在、という不思議な状況での議論となりました。

まず、一つ分かったのは、「事例を書くこと」は、やはり難しい、ということでした。小さなことをどこまでも丁寧に書く、というのは、ちょっとやそっとで書けるものではないのだ、と教えられた気がします。

具体的な子どもの姿、様子、子どもと保育者や教師の発言、その時のまわりの状況、具体的なモノやコト。そういったもろもろの描写がなければ、話が前に進まないんです。そして、その事例から、「何が問題なのか」、をきちんと書き手がある程度書かないことには、その事例の「意味」が見えてきません。

次回に期待したいところです。まだ、学生だから、どんどんチャレンジして、ぶつかってほしいですね。


四つ目の報告は、生態心理学を基調として、アニメや映像の現象そのものの隠れた意味を明らかにしようとしている佐分利さんのお話でした。生態心理学と保育、あるいは生態心理学と実践研究は、果たしてつながりうるのか。僕的には、かなりエキサイトな時間となりました。

「輪郭は線ではない」、というお話でした。よく、幼児教育の中でも、絵の指導の中で、「輪郭を描く」、ということは行われています。彼は、「輪郭ってそもそも何なんだ?!」、という問いを立てます。普通、こう問われたら、「線を描く」、としか言えないように思います。たとえば、「顔の輪郭」というとき、僕らは、顔を線で描いて、輪郭を浮かびあがせます。

けれど、佐分利さんは、「輪郭は、線ではないんですよ!」、と叫びます。それを、実際に、具体的に、ある漫画のシーンの切り抜きから、丁寧に説明してくれました。その漫画は、『この世界の片隅に』という作品でした。この作品の至る所に、「背景」が描かれているのですが、その背景の輪郭に、「線」が使われていないんです。線ではなく、影や光や奥行を描くことで、輪郭を浮かび上がらせていました。影が輪郭を作っているんです。(言われれば、まさにその通りなんですが、、、)

子どもに絵を描かせる時も、まず「線」で輪郭を描くことから出発します。例えば「山の輪郭」と言った場合、山の形を線で描いてしまいます。でも、それで本当にいいのかどうか。

この問いは、極めて「実践的な問い」でもあるように思えました。参加者も、「ふむふむ」という顔で真面目に聞いていました。


本日、最後は、保育士二年目のHさんの発表でした。

発表というか、高校生向けの講話のリハーサルとして、報告してもらいました。なので、内容は割愛します。

が、何事も、リハーサルは必要だなぁ、と思いました。でも、ただリハーサルをするのではなく、そのリハーサルを通して、様々な議論をすることが大事なんだ、と気づかされました。「本番」は、いつでも「一回限り」。そして、その本番は、二度と繰り返させることはありません。実践も同じですよね。その一度きりの本番のために、何度もリハーサルをして、チェックして、不断に修正していく、そういう姿勢は、いつでも必要かな、と思わされました。


どの事例も、実際にはとても「小さな出来事」に過ぎません。

でも、僕らの実践、いや、僕らの生そのものは、その小さな出来事の集合体であります。常に、僕らの身近なところで起こっているのは、小さなこと、です。

でも、生そのものが、この小さな出来事で成り立っている以上、この小さな出来事を見過ごさずに、それを問い直す姿勢が常に実践車には問われます。

先日、とある都内の(公立)保育園の園長先生とお話をしました。彼女はこう言っていました。

保育現場では、まず(第四土曜日の会)のような小さなエピソードについて語る研修会等はありませんね。研究会はなくはないですが、園全体の取り組みの発表や、いくつかの園全体の取り組みの発表がほとんどです。具体的なAちゃん、Bちゃんの話、というのは、まず話題になりません」。

第四土曜日の会をやっていて、「これは、実際のところ、どこまで意義があるんだろう?」、と疑問に思っていました。が、「やる意味はある」、と思いました。

現実の現場で働く実践者たちが、自分たちの実践を振り返っていない、というのは、ある意味で、深刻です。ラーメン店主は、常に、自分のラーメンがいかに客に食べられているか、という問題と向き合っています。まずければ、残されます。それを、無理に、「残さないで、食べろ!」とはなかなか言えません。「どうして食べてもらえなかったのだろう?」、と反省せざるをえません。

プロというのは、そういうものだと思います。

自分のやっている仕事が実際、具体的にどうなっているのか。まず、それを反省すること。

当たり前のように思えて、実は、それほどやっていないのではないか、と。とすれば、第四土曜日の会は、自らの実践を見直す場所、と考えてよいのだろう、と。

まぁ、性質的に、人がたくさん来るような研究会ではないですけど、心ある卒業生には、是非来てもらいたいと思います。

いや、シビアに言えば、「しっかり自分の実践と向き合うためには、来ないといけないだろう。勉強には終わりはないし、働いているだけでは、実践の質は上がらない。せめて月に一度くらいは、学ぶ人間として、こういう会に来るべきでしょ?!」、と。しかも、無料なんだから(苦笑)。

別に、この会でなくてもいいけど…。でも、こういう会自体があまりないとしたら、、、。

そう考えると、これからも、(しんどいけど)続けていこうかな、と思います。 

それに、職場のドロドロっとした人間関係から離れて、職場は違えど、同じ学ぶ志のある仲間(フィリア)と語り合う、というのは、とても大切なことだと思います。学者には、「学会」とか「研究会」とかあるけれど、保育や教育の実践者たちには、なかなか、そういう場ってないんですよね。(強制的な研修は除き、、、)


そういうこともあって、最近は、終わった後に、食事会をしています。

第四土曜日の会では、「僕カラー」が強いから、、、、

せめて、終わった後は、みんなで、わいわいおしゃべりなどをして、すっきりしてもらえたら、と。

志の高い実践者同士の交流の場になれば、、、と。

世代を超えて、愛し合っています(苦笑)

お疲れ様でした。

次回は、…

あ! 

七月の第四土曜日、ダメだったんだ、、、汗

8月がないから、8月1日(土)にやりたいな、、、

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