Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「忍耐」と「抑圧」の質的な違い

ケアする人に求められることの一つに、「忍耐」というのがある。

誰かをケアしたことのある人ならわかってもらえると思うが、忍耐は人とかかわる上で最も重要な要素の一つである。赤ちゃんを育てたことのある人は誰もが、忍耐強く、己の数年間を犠牲にしてきたはずだ。障害をもった子どものケアにおいても、人並みならぬ忍耐が必要とされるし、障害をもった子の親は何十年にもわたって、忍耐し続けることになる。

忍耐力のない人は、ケアされる相手に対して、暴力的になる。どんな人間でも、少なからずそういう一面はある。寝たきりの高齢者の方に対して、かっとなって暴言を吐くこともあるだろう。泣き止まぬ赤ちゃんに、「静かにして!」と叫ぶ親もいるだろう。でも、なんとかギリギリのところで、爆発しないで踏みとどまっている。

ケアに最も必要なもののひとつが、忍耐だということは明らかであろう。ケアの内容自体はそれほど複雑ではないが、高い倫理性、その中でも特に忍耐力は絶対的に必要な条件だと思う。

自らの欲求を抑えられない人、自らの願望に執着する人は、忍耐する人の真逆にいる。自己を抑え、コントロールできる人だけが、ケアの世界に入ることが許される。(それができていないから、日々、あらゆる所で虐待や暴力が繰り返されるのである)

忍耐は、ケア的で、倫理的で、人間学的なものであり、学問的に価値あるものと考えられている。

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その忍耐に似た言葉で、抑圧というのがある。抑圧は、心理学の用語で、特に臨床心理学の分野でお見かけする言葉である。抑圧は、健康的ではなく、むしろ心的病いの病原とも考えられるほどで、この抑圧から患者が解放されることを目指す。

抑圧的な人は、一般に「いい人」と呼ばれる人が多い。当然だ。己の欲求や願望を抑えつけて、相手に合わせているのだから、それはそれはフラストレーションがたまる。抑圧的な人は、酒を飲んで人格を豹変させる。DVや虐待にからむ場合も多い。

周囲に配慮しすぎるあまりに、自分の欲求や願望がばくばくと内面でマグマのようにたまっていき、最後には爆発してしまうのである。

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忍耐と抑圧は紙一重なのかもしれない。

ただ、明らかに、忍耐の人と抑圧の人は質的に異なっている。忍耐強い人は、自らを抑圧はしていない。抑圧する人は、忍耐力があるというわけではない。やはりどちらか一方なのである(と思う)。

そのどちらに人が属するのか。それを見極めることは極めて難しい。

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