旅とは何か?
これは、近代化や都市化の影響を受けて人間の精神がどんどん貧困になっていく現代社会にとって考えなければならない大きな問題の一つである。
今、われわれの多くが(好む好まないにかかわらず)都市に住むように強要されている。人口1000万人以上のメガシティーの数もどんどん増えてきている。都市部は富み、農村部は枯渇していく。この流れを止めるだけの知恵をわれわれはもちあわせていない。都市部で暮らす人々は、田園地帯でのどかに生きていきたいという希望を持ちつつも、都市でしか生きられない現実を知っている。
近代人のわれわれは、週末の連休やまとまった休みの日を利用して、旅にでかける。旅は、われわれの乾いた心を潤してくれる貴重な心の栄養源なのだ。
そんな旅は、しばしば旅行と対比させられる。一般的にも、旅行=目的が定められたもの、旅=目的が定まっていないもの、と言われている。旅行は、例えばツアーに代表されるように、別の人間によって目的地が設定されているものである。それに対して、旅は、別の人間によって規定されることがなく、自らも目的地をとくに設定することなく、あてどなく歩き続けることをいう。
だが、こうした二分法では旅は説明されえないのではないか。
僕は、旅について、旅をしている経験に基づいて、以下の三つに区分して考えたいのだ。
①世人の旅(自己喪失の旅/常識的な旅)
世人(Das Man)は、自分を忘却した大衆的/平凡的な生を生きている人間だ。こういう人は、旅に出ても、何処を見たらいいのか、何を見たらいいのか、どう見たらいいのかが分からない。だから、とりあえずみんなが見ているところを見る。「見たいから見る」ではなく、「みんなが見ているから見る」というのが、旅の目的地設定の根拠となる。そういう人は、目的地に行くと、そこに来たということを証明するために、必死に写真を撮る。写真を撮ったらそれでおしまい。興味があるわけではないので、それほど必死にその場を見ようとはしない。一度その場所に行ったら、行ったことで目的が達成されるので、それ以上にその場について知ろう/探ろうという気持ちにならないのだ。もちろん、みんなが見ているような場所なので、その場所自体は魅力的であることが多い。しかし、そこに訪れたことで人生観が変わるわけではなく、また知的好奇心が満たされるわけでもない。
②趣味(レジャー)の旅(フリークの旅/コレクターの旅)
地方のローカル電車に乗っていると、きまって鉄道フリークの若者に出会う。カメラを抱えて電車に乗っている若者をみると、素直に応援したくなる。また、僕を含むラーメンフリークは、旅に出ても、ラーメン以外のものには関心を示さず、ひたすらラーメンを食べ歩くことをする。自分の目的が明確な分、他人の興味や関心には全く興味を持たない。ひたすら自分が見たいものだけを見ようとする。まさに趣味の世界だ。もちろん学びも気付きもあるのだろうけど、狭い世界の理解に留まっている。また、スキー旅行やスノボ旅行も、あらかじめ目的がはっきりと決まっているので、この趣味の旅にカウントしていいだろう。そういう人にとっては、旅先の事情や問題点、課題、悩みといった生々しい現実と出会うことはない。自分が見聞きしたい情報や映像や知識を得られたらそれで十分なのである。自分が見たいもの以外に何の関心も示さないのがこの旅の特徴かもしれない。
③学びの旅(発見の旅/存在の旅)
旅は、旅先での出会いを通じて、人間観や人生観が膨らむことを言う。それは、異文化、異世界との出会いを通じて生じる。自分たちが知らなかったことや忘れてしまっていたことを見つけ出していく過程とも言えるだろう。いや、学びの旅は、そういう自分の成長にかかわることだけでなく、また、その土地そのものの声を聴くことで、目的地である旅先に固有な問題(地域の問題)に気付いていくことにもかかわっている。僕は、先日の稚内の旅で、稚内固有の問題、また稚内に示される普遍的な問題に直面することができた。これまで抱いていた稚内のイメージは見事に崩されてしまった。そして、リアルな今の問題として、稚内を捉えることができた。これは、①の旅でも、②の旅でも体験することのできない貴重な体験となった。
この①~③は決してバラバラにあるわけではない。むしろ、旅というものには、この①~③が大小問わずして、少なからず入り込んでいるものである。①の旅をする中で、③の問題が浮かび上がってくることもあるだろう。
ただ、①や②にかたよっている人は、やはり旅ということについて考え直してみてはいかがだろうか。他人が決めたルールも自分が決めたルールもやはりどこかしらで偏っているものである。せっかくその土地に行くのであれば、是非その土地に固有な問題や課題についてふれてみたいところだ。③に特徴的なのは、①と②に対して、現地との「出会い」、「対話」が含まれている点にある。旅行者は、ただ単に「お金を落とす存在」であるだけでなく、別の世界を生きる異邦人でもある。現地の人も、やはり他の人間と接触することで、色々な発見ができるのだ。スイスに住むある女の子が言っていた。「私、レストランでずっとバイトをしていたの。たくさんの日本人が食べにきてくれていたわ。けれど、日本人と会話をすることは一度もなかった。ただ注文を聞いて、お会計をするだけ。だから、日本人ってたくさん見かけているけど、全然知らない存在なの」、と。
人間らしい旅をもっともっとしていきたいものだ、と思う。