Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【こうのとりのゆりかご検証会議報告書】について

こうのとりのゆりかご
検証会議報告書について

①「ゆりかごへの批判」ではなく「ゆりかごからの批判」を

 検証会議では、ゆりかごの「問題性」が厳しく詳細に指摘されてきた。10年の節目を迎えた今も、そのトーンは何も変わらない。報告書には、厳しい(共感性を欠いた)言葉が並ぶ。今、必要なのは、「ゆりかごへの批判」ではなく、「ゆりかごからの批判」であり、「ゆりかごから見えてくる問題性」であるはずだ。この10年で、行き場のない妊婦の存在が全国的に露わになった以上、ゆりかごの問題点を指摘するだけでなく、ゆりかごから提起された問題をわたしたちの社会の問題として考えるべきである。検証委員会は変わらないかもしれないが、社会全体は今、大きく変わろうとしている。その変化に対応できていないのではないか。

 ゆりかごに障害をもった赤ちゃんが預けられた件は、ゆりかごの問題ではなく、障害をもって産まれてきた赤ちゃんのお母さんへのケアが行き届いていない、ということの表れではないか。障害をもった子を産んだお母さんは「頭が真っ白になった」と言う。その部分の支援の欠如を指摘すべき。事実、障害児の預け入れのケースにおいては、医療機関での出産となっている。これは、ゆりかごの問題ではないはずだ。

②中絶が22週未満まで可能なのに、どうしてゆりかごにこれほど多くの赤ちゃんを預けるのかの謎

 そもそも、ドイツでは11週までしか中絶はできず、またその中絶を行うためには、「妊娠葛藤相談」を行い、「証明書」をもらわなければならない。ドイツの妊婦は、簡単には中絶できないし、しかもその期間も日本の半分である。そのハードルは高い。他方、日本では、21週6日まで可能で、予期せぬ妊娠に苦しむ妊婦にとっての「最大の最終手段」が用意されている(これ自体も問題だが…)。にもかかわらず、ゆりかごに10年で140人近い赤ちゃんが預け入れられており、また地方各地で児童遺棄・児童殺害が相次いでいるのは、どういうことか。ドイツでは、中絶への高いハードルがあり、また妊娠葛藤相談所が1500近くあり、匿名出産も内密出産もできながらも、未だに93の赤ちゃんポストを残している。その意味を考えなければならない。(中絶へのハードルの低さは、中絶が当たり前になっている日本では、なかなか自覚しにくい) もし、中絶へのハードルが高くなったら、この国では、いったいどれほどの遺棄・殺害が起こるだろうか。

③自宅(孤立)出産への指摘のズレ

 毎年、検証会議を開いているにもかかわらず、今になって「自宅出産」を問題にすることにも疑問が残る。古くから、「未受診妊婦」の問題は指摘されてきたはずだ。ゆりかごが設置された当初から、「自宅出産」も十分に想定されたはずだ。であるならば、自宅出産のリスクを減らすためにも、「匿名出産」「内密出産」の提言こそもっとすべきではなかったか。ドイツでは、「妊娠葛藤相談」、「匿名出産」「内密出産」「赤ちゃんポスト」のすべてを用意している。赤ちゃんポストは、あくまでもそれ以外の支援サービスに手が届かなかった妊婦への「最終手段」であり、頻繁に使われることをねらっていない。問題なのは、ゆりかご以前の支援体制が整備されていないことであって、そこをもっと明確に指摘すべきだろう。にもかかわらず、「ゆりかごの存在が危険な自宅出産を招いている可能性」を指摘するに留まっている。

 また、今回の検証会議では、自宅出産を「虐待」と明記している。虐待という言葉を使う以上、自宅出産をする女性は、「虐待加害者」と認識されている。ゆりかごが設立されて10年が過ぎたにも関わらず、検証会議では今なお「加害者」として母親を見ていることがうかがえる。検証会議にとっては、ゆりかごもゆりかごを必要とする女性も「批判の対象」なのであろうか。しかし、実際には、ゆりかごを必要とする母親は、緊急の支援を必要とする「要支援者」である。そのことが検証会議で共通に理解されていないことがここからうかがえる。問題点①は、ゆりかごが未だに一カ所しかないこと、問題点②は、ゆりかご以外の選択肢が何もないこと。問題点③は、ゆりかごを必要とする女性の「恥辱」「恥」「隠したいという気持ち」を考慮しない制度・法のままであること。こうしたことはすべて、ゆりかごから見えてきたことではなかったか。

④検証会議は、ゆりかごへの批判に留まり、何も外に提言していない

 現在、「妊娠葛藤相談」「匿名相談」への関心が全国的に広まっており、多くの実践者たちが動き始めている。慈恵病院や全妊ネットをはじめとして、多くの民間団体(中間支援団体)が、ゆりかごに触発されながら、動き始めている。検証会議は、ゆりかごに関する情報を大量に蓄積しているにもかかわらず、ゆりかごに代わる、あるいはゆりかごの抱える問題を克服し得る提案をしていない。慈恵病院での取り組みから学んだこと、学び得ることを、なぜまとめて国会や議会や委員会に提言しないのか。

⑤検証会議は、行政対応に関する批判をせずに、評価しているのは変

 最も驚くのは、検証会議は、ゆりかごに厳しい評価を投げかけつつも、行政に対してはかなりぬるい評価を下している。こんな下りがある。「ゆりかごは民間病院の取り組みではあるが、預け入れられた後の対応は病院の手を離れ、児童福祉法等に基づき、公的機関が関与した上で、子どもにとっての最善の方策が図られるよう努力されている」、とあるのである。本来、行政的な支援の限界を示したのが「ゆりかご」だったはずなのに、検証会議では、公的機関を「努力されている」と評価してしまっているのである。しかも、あたかも悪者「ゆりかご」の手を離れ、善人「行政」がしっかりやっている、というようなニュアンスさえ感じられる。検証会議自体、中立性を欠いているのではないか。

⑥検証会議は、世界で展開されるベビーボックス運動を認知しておらず、ゆりかごしか見えてない。視野の狭い偏りのある会議となっている。(別紙参照)

 検証会議の報告書で念頭に置かれているのは、日本の「ゆりかご」と熊本の「Babyklappe」の二つだけである。しかし、世界ではもはや止めようのないくらいにベビーボックスが広まっている。

 スイスの赤ちゃんポスト「Babyfenster」の設置すべてにかかわっているSHMKのミュグラー氏は、日本の状況について疑問を投げかけている。「生きることのできる胎児の命をなくす中絶が合法で、赤ちゃんの命を保護する赤ちゃんポストが非合法というのは、おかしい」、と。

⑦検証会議の報告書そのものに、「お役所らしさ」が見事に示されている。

 ドイツの匿名支援・匿名出産・赤ちゃんポストは、従来の支援の「お役所仕事」的なあり方に対して、異議を唱えるかたちで、登場してきた。多くの人が、「行政支援」の問題点を指摘してきた。検証会議の報告書をみると、まさにそういう「上から目線」で、「一方的」に、一病院の命を守る取り組みを「評価」している。こういう態度・あり方こそ、ドイツの実践者たちが最も批判した点だった。マスコミもマスコミで、この一方的な報告書が出されたことをそのまま報じているが、そういうことを繰り返すことで、「なんとなくゆりかごって感じ悪いよね」という雰囲気が作られていく。

 ゆりかごを批判することは、それほど難しいことではない。そもそも、スタート地点で「グレーゾーン」だったし、最初の最初から「問題点だらけ」だった。匿名性に対しても、いくらでも<近代的枠組み>の中で批判できる。検証会議の報告書は、いつもその「範囲内」の批判に終始した。すでに分かっていることだけを批判した。でも、ゆりかごの原点は、熊本で実際に起こった遺棄事件にある。生まれたばかりの赤ちゃんが遺棄されたことに胸を痛めた医師が、ドイツのBabyklappeを学び、それを実行した。児童遺棄は、最も悲しい行為である。最も無力な赤ちゃんのいのちをどうしたら守れるのか。その赤ちゃんのお母さんが、行政的な態度を恐れる人だったとしたら?! 役所も相談所も専門家も、みんな怖い存在だとしたら? ゆりかごのある慈恵病院は、あたたかくて、優しくて、静かで、心を弱めた人にとってはとても近づきやすい場所になっている。

 一番、反省しなければならないのは、ゆりかごではなく、それを行政的に一方的に上から目線で評価し続けてきた自分たち自身ではなかったか。批判の矛先が、自分より弱い立場の人であったとしたら、それこそが、真の暴力なのだ。


思ったところを述べさせてもらいました。

あえて、「検証会議」に対して「批判的」に書いてみました。

ただ、あくまでも「ゆりかご」の検証をする会議ですからね。

仕方ないかなぁ、と思う部分もあるんですけどね、、、

でも、ゆりかごが一方的に批判されるのは耐えがたいものがありましたので…

コメント一覧

qp
赤ちゃんポストは子どものためのものはず・・・
こうのとりのゆりかごは遺棄されて亡くなる赤ちゃんを救いたいと訴えて、できたもの。子どもが主役。だから検証も当然、子どものことが中心になるのだと思います。妊婦のことばかり書いて、妊婦を主役にしようとするDr.keiさんの主張は変です。
まあ、子どもの可愛イメージを前面に押し出すことで人々の批判をかわし、子捨ての自由化を狙ったのがこうのとりのゆりかごだから、10年経って妊婦のことしか話題にしない設置者たちの様子は「本性をあらわした」だけですが。

 一方、検証委員会のほうは成長するにつれ子どもが苦しみだし始め、けれど一人一人に寄り添うにはあまりにも大勢で、しかも被害は拡大し続けるのだから、子どものことが中心にならざるを得ないのは当然だと思います。ポスト反対派の私からすると、むしろ検証委員会はポストに甘いです。

それにどんなに検証したところで、自分たちに検証を命じた市長は結果に興味がない。通常はこういう検証委員会というのは、その結果を受けて関係者に改善を命じるものですが、市長は設置者を放置。改善しなければ、ポスト設置許可を取り消すとは言わない。設置者はとうにそれを見越して、お決まりの主張を繰り返すだけ。こんな調子では検証する人たちは無力感に陥るだろうなと私はむしろ可哀想に感じます。
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