Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「売れるもの」と「善いもの」の弁証法的循環

先日、「キングオブコント」で興味深いシーンがあった。

それは、ダウンタウンの松本さんのコメントの中で出てきたものだった。

キングオブコントは、数々の実力派の漫才コンビが登場し、審査員が点数をつける番組。

松本さんは、あるコンビに高い点数をつけるときに、こう言った。

いや~、(会場全体が)ウケてたよね。みんな、笑っていたもんね」。

この言葉に、松本さんのある種の「哲学」を見た気がした。

それは、「お客さんにウケるなら、好き嫌いは問わず、いいんだ」、という哲学だ。

多くのお客さんが笑ったものこそが、いいものなんだ、と。

ダウンタウンの人気の秘訣も、そこにある気がした。

本人が「いい」と思っているかどうかは別にして、オーディエンスの反応が全て、と考えている人なんだ、と。

最後の方では、こう言っていた。

俺がいいと思う芸人は、キングにならないんだよー」、と。

松本さんは、松本さんなりに、「いい」「悪い」の選別があるんだと思う。

でも、松本さんは、それ以上に、「お客さんの反応」を重視していた。

そこに、松本さんのある種の「実践哲学」が示されているように思った。

つまり、「お客さんにウケてこそ、コント・お笑いだ!」、と。

コント芸人の目的は、つまるところ、「お客さんが笑うかどうか」。

そう、教えられた気がした。

***

このことは、音楽にも当てはまる。

今や、音楽は、完璧に「技術」の時代。

とんでもないスキルを習得したミュージシャンはゴロゴロいる。

「巧ければ、それでいいんだ」、という内なる声も聴こえてくる。

でも、音楽もまた、お客さんにウケるかどうかが決め手となるのではないだろうか

自分が奏でる音楽を聴いて、泣いたり、暴れたり、感動したり、立ち尽くしたり…

「お客さんが自分の音楽を聴いて、それこそ「音」を「楽しんでいる」かどうか。

それが全てのような気がしてならない。

演奏がヘタでも、その音楽を聴いて、お客さんが盛り上がっているなら、OK。

MC(しゃべり)がヘタでも、その人の歌を聴いて、酔えるなら、OK。

そういう風に音楽を捉える人が、いったいどれだけいるか。

コントも、お笑いも、音楽も、何のためにあるのかと言えば、「お客さん」のため。

そういうことなんだろう、と改めて思った。


ウケるものが、ただちに、いいものになるわけじゃない。

けど、ウケるものの中には、いいものが含まれている。

善いもの=ウケるものでもない。

けれど、それ自体、善いものであれば、いつかどこかでウケるものになる。

(…と言ってよいか分からないけど、、、)

僕自身も、普段から講義をしていて、「今日はウケたなぁ」とか「ウケなかったなぁ」とか思っている。

ウケりゃいいってもんじゃないにしても、ウケない講義は、つまらないものでしかない。

ウケて、内容もあるものだったら、それがBESTな講義なんだろう、と。

ただ、それはなかなかかみ合うものでもない…

この「ズレ」こそが、更なるいいものを創り出すのかもしれないなぁ、、、と。

今後も考えたいテーマです。。。

僕自身も、「ウケてこそ」と思っているし、また、実際にはなかなかウケないことに悩んでいるのかな。

売れるものと善いもの、というのは、ホント、微妙なところにあるものだなぁ、、、、と。

そう思います。

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