こんにちは!
今日は、前回の続き「嗚呼、浜田城<その3>」
をご覧頂きます。
今回は、天守があった本丸跡です。
さて、再現CGIでは、どのような天守だった
のでしょう・・・。
【 嗚呼、浜田城<その3> 】
ここが、天守があった本丸跡です。
復元CGIで見ると、三重櫓の立派な天守が
あったようです。
250年余り続いた天守ですが、1866年
の長州征伐で敗れ炎上落城しました・・・。
【 嗚呼、浜田城<その3> 】②
ここは、本丸の下にあった出丸跡です。
独特の曲輪造りの石垣があって、この
先の木戸からも出入りしていたようです。
【 嗚呼、浜田城<その3> 】③
大門が、見える所まで下りて来ました。
この城跡の周囲には、高さ10m以上の
タブノキが沢山あります。
樹齢は、分かりませんが築城当時に
植えられたのでしょうか・・・。
でも、落城した時にこれらも炎上した
のでは・・・。
今日、石垣と共に、浜田城の歴史を見
つめて来たと思うと、感慨深いものが
あります。
【 嗚呼、浜田城<その3> 】
再び大門と満開の桜です。
この早咲きの桜ですが、名前がどうしても
分かりません。
恐らく、河津桜と染井吉野との混種では
ないかと思われます。
今後も、気に留めておきます。
高校の応援歌の歌詞を思い出したりしています(笑)
そうですか、浜田城は応援歌に出て来るのですか、
それはまた素晴らしいですねッ!
因みに、私の母校の校歌は、「日本海の潮けむり
古城の松にたゆたいて 出船入船ゆき通う 湾頭高
き学び舎は 自主の旗風・・・」と、ありました。
如何にも男子校らしい校歌でした。ヽ(^。^)ノ
この校歌、なんと50年ぶりに歌いました・・・。
途中音階を忘れましたが・・・。(#^^#)
田舎、母校、風土、祭り、景色、どれを取っても
浜田はいいですねェ~!ヽ(^。^)ノ
「故郷は、遠きに在りて想いを馳せ」と、言われる
よう生まれ育った土地はいつまでも懐かしいですね。
また、帰ってきて下さい。
いつも、コメント有難う御座います。
では、また。(^O^)/
ちゃんと在りし日が分かるんだのもなぁ。
桜、美しいですね☆☆
景色見ながら想像ができますね
この広さをずっと管理するのも大変いつか復元するぞって可能性があるのかなと思ってしまいます
散歩もできる広さ憩いの場になってるんでしょうね
そうです!CGIは、素晴らしいです!ヽ(^。^)ノ
まるで、そこに城があるみたいです。
これらのCGIは、色んな文献などを参考にして
復元されたようです。
今は、石垣のみ残っていますが、その上には城壁が
あって鉄砲や弓など打つ窓もあったようです。
それらが、ひとつでも残っていれば、また想いも
違ってくると思います。
態々のコメント、有難う御座います。
では、また。(^O^)/
ハイッ!ここには、CGIで復元された城壁や天守
などがそれぞれのポイントに置かれており、城跡を
散歩する際、400年前に想いを馳せることが出来
ます。ヽ(^。^)ノ
その通りです、これだけの広さの城跡を管理するの
は、かなり大変だと思います。
写真では、石垣や階段などに草木が見当たりません
が、これは昨年開府400年を迎えたので、これに
合わせて整備されたのではないかと思います。
以前は、車の駐車場所が少なくて遠くに置かなけ
ればなりませんでしたが、今はすぐ側にあって便利
です。
さらに、資料館もあって浜田城の歴史も見ること
が出来ます。
また、時間をみて訪ねてみます。
ここは、天気がいい日は子供連れの家族も見かけ
ます。
本丸からの景色もいいので、散歩するには最高な
場所です。
これから、桜が咲くとさらに多くの人がやって
来ると思います。
いつも、コメント有難う御座います。
では、また。(^O^)/