「せいやんたなか」の遠くの山もあせらず歩いて登りましょ・・・

「旅・登山やウォーキング!」に仲間と共に歩いた道中で、心を打った出来事など「今の証し」を記してみたい・・・。

ロードショー「剱岳・点の記」は凄い・・・実感!、全てが・・・

2009年06月21日 22時15分00秒 | 日本百名山・登山
昨日20日(土)、「剱岳・点の記」のロードショーを観てきました。

 それは、もう100年余も前のこと明治40年に陸軍測量隊が未踏峰・越中「剱岳」登頂への執念とも云える過酷な試練を乗り越え実現する、その場面は久しぶりに「感動」を与えてくれました。
スクリーンに出てきた当時の「装備、技術、支援」のどれをとっても、今では想像できないレトロな様子には驚きだった。
その主役、「柴崎芳太郎と宇治長次郎」の苦難に満ちた行動がリアルに描かれていて感銘を受けた・・・あの撮影場面は現実の山々の真っ只中の行動のこと「自然の猛威を見せ付けるに十分こと足りる」素晴らしいものだ!。


 別山から雲空の「剱岳」を望む


新田次郎作「剱岳・点の記」がまもなく映画化されることを知りをこれを読んだ・・・こんなに厳しくも登頂成功に導いた要因は何か・・・読んでいてワクワクしてきたのを思い起こす。


 剣沢から夜明け直後の「剱岳本峰」を望む

・・・我々 3人が「剱岳」に登頂したのは3年前の夏だった、そのときは「室堂から雷鳥沢・新室堂乗越を経て別山乗越・剣御前小舎(泊)、剣沢から一服剣・前剣を越えて、門・・平蔵の頭・コルと連続する岩壁、カニノタテバイを経て [剱岳頂上] に至る、そしてカニノヨコバイを下り・・・往路を室堂手前の雷鳥荘(泊)まで下山するコース」、この一般登山路は・・・多くの岩壁がクサリ・梯子などで整備されたとは云え危険な上級コースだ・・・岩峰を登山中の一コマ。


 前剣より岩峰「剱岳本峰(2999m)」を望む、すぐ前のクサリ場は岩壁「門」


 今 越中「剱岳・頂上」2999mは? ・・・ そして前人未踏峰、100年前に登頂を極めた「柴崎芳太郎」の思いは?


 下山路、最大の難所:カニノヨコバイ(絶壁の横移動を指導する登山家)、左方は平蔵の頭・前剣へとつづく、後方は奥大日岳を望む

もう一つ、
「剱岳」2999mの頂上に三角点の標石が埋設されたのはここ数年前のこと、柴崎隊との測量差が僅か60cmのだったとテレビで放映された、改めて「当時の測量・登頂は「難行・苦行・命がけ」・・・至難の業だった」とつくづく思い知らされた。


今日は、父の日・・・子たちが「笑顔」で訪ねて来てくれました・・・



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1 コメント

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やるね~~ (富さん)
2009-08-03 23:32:03
素晴らしい~~~写真の数々
いいな~~こんなことがまだ出来るのですね
せいやん若い!!
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