久々にパチ・スロと関係ない記事をアップ…。
~1980年代・FMラジオ番組レビュー~
「出光エナジーボックス マイ・ベスト・セレクション」(FM東京)
(当方所蔵の古いカセットテープ音源から書き起こしたもの)
・OA時期:1986年(昭和61年)10月22日(水) 21:00~21:55
・パーソナリティ:岡部まり(当時26歳)
・ゲスト・矢野顕子(シンガーソングライター、当時31歳)
・提供:出光興産
(当ブログ管理人…当時、15歳の中3)
(タイトルコール)
「出光 エナジーボックス マイ・ベスト・セレクション」
(BGMスタート)
岡部「高く澄んだ空にいわし雲、山は色とりどりに紅葉し、夜は虫の音が軒下に聞こえます。秋は知らないうちに忍び寄り、その気配を色濃くしていきますよね。正確には、8月8日の立秋から、11月8日の立冬の前日までを、秋っていうんだそうです。夏とか冬という季節は、堂々とやって来るっていう感じがしますが、秋っていうのは、こちらから見つけてあげる季節っていう気がしませんか?さあ、秋の夜長、今夜も素敵なゲストが選ぶ、ベストセレクションでおくつろぎ下さい。ご案内はわたくし、岡部まりです。」
(BGM)
岡部「今夜は、とってもユニークなシンガーソングライター、矢野顕子さんが登場します。1976年に『JAPANESE GIRL』でレコードデビューして以来、国内だけではなくて、海外のアーティストにも影響を与えてきた矢野さんです。彼女の曲は、そのタイトルを見ただけで、なんかこう、ふんわりとした、不思議な懐かしさを感じてしまいます。あのノスタルジーの正体は、いったい何なんでしょう。今夜は、矢野さんをスタジオにお招きしていますので、彼女のセレクションとともに、その辺のお話も伺ってみたいと思います。
出光エナジーボックス、マイ・ベスト・セレクション、いよいよスタートです。この番組は、アポロマークの出光興産がお送りします。」
(BGM)
岡部「はい、それではさっそく、矢野顕子さんと、お話をさせて頂きます。こんばんは。」
矢野「こんばんは!」
岡部「よろしくお願いします。」
矢野「こちらこそ。」
岡部「矢野さんにお会いする前に、えーと、どういう共通点を見つけ出したらいいのかな、といろいろ考えて。でも、どう考えても、共通する所はないかなーとか(笑)、かけ離れているかなと思ったら、プロフィールをみて、『みずがめ座のO型』って書いてあったんですけど、あれは本当ですよね?」
矢野「えー、一応そうですね、どっちとも占い的には全く信じてないですけれども(笑)。まぁ、血液型はO型です。」
岡部「はい。で、みずがめ座のO型って書いてあったんで、全く私と一緒だったんで、あ、良かった、ここに共通点があったとか思って(笑)。それだけだったんですけどね(笑)。なんか、みずがめ座のO型って、堅実なタイプが多いらしいんですけど、矢野さんを見てると、矢野さんが作っている音楽とかも聴いてみると、まずピーンと思い浮かぶのは、お母さんで、主婦もやってらして、そして音楽もやってらして、マルチ的な存在っていうか、そんな感じがするんですけど。ご本人は、やってらっしゃることで、しんどい事っていうのはありませんか?」
矢野「まあ、毎日、しんどいといえば、しんどいですけど(笑)。まあ、だんだん年取って来ましたので、無理がきかなくなってきたっていうのが、ありますけどね(笑)。でも、嫌なことやってる訳じゃないのでね。」
岡部「それから(矢野さんの)音楽を聴いていると、日本語なのに日本語っぽくないっていうか、本当に他の人が真似できないような音楽っていう気が、するんですよね。」
矢野「そうですか。うん、確かに、真似するのは難しいっていう風に言われますけれども(笑)」
岡部「でも、それがオリジナリティなのですよね?『なのですよね』だって(照笑い)」
矢野「まあ、でも、割とそれは表面に現れた事でね。まぁ、私のように、その、先ほども言いましたけど、楽しさだけでやってるっていう人は、あんまりいないから目立つのかもしれないですね(笑)」
岡部「そして、矢野さんの作る曲のタイトルなんですけど。」
矢野「はい。」
岡部「一連に、こう私たちがパッと見た瞬間に、子供の頃に懐かしいなーっていうか、耳にこう、記憶にはそんな強く残ってなくても、誰もが、100人いたら99人が懐かしいなって思うようなタイトルがありますよね。あの中に、何て言うんだろう、矢野さんに対してね、母親的なね、イメージを抱く人って多くないですか?」
矢野「うーん…まあ、中学生とか高校生のファンの方からはね、あのー、お姉さんだのお母さんだの扱いされる…」
岡部「『だの』(笑)」
矢野「ええ、そういうのは多いですけれども。自分で自然にやってる訳ね。シンガーソングライターですから。その時の自分の境遇が出てきて。」
岡部「たまたま、それがそういうイメージを。」
矢野「はい。」
岡部「えー、矢野さんの今夜のセレクションなんですが。」
矢野「はい。」
岡部「矢野さん自身のオリジナルの曲を、全部セレクトして頂いたんですが。えーと、もうだいぶ前のアルバムから、今日までの軌跡をたどるかのように、ピックアップして頂いたんですけど。」
矢野「はい。」
岡部「えーと、まずは聴いてみましょうか。」
矢野「そうですね。」
岡部「はい。では聴いてみましょう。タイトルは、『歌の我が家へようこそPART1』という事で紹介しましょう。みんな矢野顕子さんの曲で、『電話線』『ただいま』『ROSE GARDEN』『悲しくてやりきれない』『へこりぷたあ』『ごはんができたよ』『HI、HI、HI(ハイハイハイ)』『そこのアイロンに告ぐ』そして、最後は『SERENADE(セレナーデ)』です。以上、続けてどうぞ。」
1 『電話線』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『JAPANESE GIRL』(1976年)収録
2 『ただいま』(詞:糸井重里/曲:矢野顕子) アルバム『ただいま。』(1981年)収録
3 『ROSE GARDEN』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『ただいま。』(1981年)収録
4 『悲しくてやりきれない』(カバー)(詞:サトウハチロー/曲:加藤和彦)
アルバム『愛がなくちゃね。』(1982年)収録
5 『へこりぷたあ』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『JAPANESE GIRL』(1976年)収録
6 『ごはんができたよ。』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『ごはんができたよ』(1980年)収録
7 『HI、HI、HI』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『オーエス オーエス』(1984年)収録
8 『そこのアイロンに告ぐ』(詞・曲:矢野顕子) アルバム『峠のわが家』(1986年)収録
9 『SERENADE』(クラシック)(詞:W.Shakespeare /曲:F.Schubert)
アルバム『BROOCH(ブローチ)』(1985年)収録
(曲明け、約1分間がテープ劣化で音声消失…)
岡部「…こっちも、いきなり笑ってしまいたくなるような感じが、漂ってくるんですけども(※註…確か『そこのアイロンに告ぐ』の歌詞の感想だったような…)。私はもう、この中で一番好きなのは、『ごはんができたよ』っていうのが、とっても気に入ってまして。」
矢野「そうですか、どうもありがとう。」
岡部「お腹が空いてきますね、これを聴くと(笑)。」
矢野「そうですねー」
岡部「『できたよーっ』ていわれたら、もう『行かなきゃ』って。黄昏時を思い出します(笑)。」
矢野「そうね。」
岡部「で、この中で、あの、ヘリコプターじゃなくて『へこりぷたあ』ってタイトルがありますよね。」
矢野「はい。」
岡部「これは、あの、曲の中では『ヘリコプター』って、ちゃんとおっしゃってますね。」
矢野「そうですね。」
岡部「ええ。この意味合いを、訊いてもいいですか?」
矢野「いや、全然意味ないんですけれども。へこりぷたあっていう方が、可愛いなって思って。」
岡部「ヘリコプターよりも…」
矢野「はい、ただ、単にそれだけ(笑)。」
岡部「ただ、単に(笑)。私、もっともっと深読みしまして。矢野さんのお子さんが、「ヘリコプター」っていうのを言えないから、それを『へこりぷたあ、へこりぷたあ』って言ったのを聞いてらして、そこから、いきなり、リビング辺りで曲が生まれたのかな、と想像してしまったんですが、全く違ってましたね(笑)。」
矢野「そうですね(笑)」
岡部「えーと、ご覧になって、あ、ご自分でお聴きになって、昔からご自分の曲が変わったなって思われますか?」
矢野「…ええ、少し変わってきましたね。技術的にもそうですしね。曲も、最近はきちっと作るようになってきましたから。」
岡部「きちっと。昔はじゃあ、きちっと作ってらっしゃらなかったんですか?」
矢野「あのー、いいかげんですからね、もともとが(笑)。非常に。」
岡部「そうなんですか?」
矢野「はい(笑)。」
岡部「そうなんですか?と、二度繰り返してしまいましたけども(笑)。」
矢野「そうです(笑)。」」
岡部「そうなんですね。もう、でもなんか、じっと黙って全てを完璧にされてると思ってしまうのは、美化しすぎでしょうか(笑)?」
矢野「あ、それは、誤解というものですね(笑)」
岡部「あ、美化じゃなくて誤解ですね(笑)。えーと、今ちょうど、今の曲もみんな含めてなんですけど、矢野さんの曲を聴きたい方には、場所とピアノさえあれば何処でも行きますという、『出前コンサート』をされてると聞いたんですけど。今、その真っ最中ですよね?」
矢野「そうですね。あの、多分こういう所では、ほとんどコンサートは開かれないだろうなー、というようなところで、やっていますね。」
岡部「そうですね。このスケジュール表を見てみますと、『〇〇公民館』とか、移動が大変だなっていう感じなんですけど。」
矢野「そうですね。行くまではなかなか、『どこにあるのかな』って感じで(笑)。」
岡部「探すまでが(笑)。これは、ご自身がそれをやりたいと思って、発起されたんですか?」
矢野「はい、そうです。いつも大きなコンサートホールでね。で、まあ、ツアーとかあっても、割と来ていただく方っていうのは、いつも限られてるんですね。」
岡部「そうですね。」
矢野「うん。それで、私の事を知らない人のところへ、どうやったら届ける事ができるだろうかなって。」
岡部「レコード以外にも。」
矢野「はい。」
岡部「それで、この出前コンサートっていうのを…。」
矢野「はい。」
岡部「えーと、今週末の10月25日には、群馬県多野郡、新町公民館っていうところに行かれる訳ですよね。どんな所なんでしょう(笑)。」
矢野「そうですね、楽しみに(笑)。」
岡部「それから、11月8日土曜日は、神奈川県鎌倉市、勤労福祉会館。11月23日が和歌山県、和歌山地域地場・産業振興センター。そして、この出前コンサートの今年の部の最後になるのが、11月24日の和歌山県田辺市、紀南文化会館の小ホールっていうところですね。」
矢野「はい(笑)」
岡部「えーと、レコーディングで、特に行き詰まるところっていう事なんか、あるんですか?矢野さん見てると、行き詰まるっていうのが想像つかないですね(笑)。」
矢野「今回(新アルバム『峠のわが家』)は、そんななかったですけれどもね。前に、2年ほど前に出した『オーエス オーエス』っていう(アルバムの)レコーディングは、本当に難航しましたね。」
岡部「難航して…どういう所が、難航しましたか?」
矢野「自分が作りたいと思ったその時期に、ちょうど録音できれば、『峠のわが家』のようにスムーズにいくんですけれども。」
岡部「峠まで(笑)。」
矢野「そうなんです。そうでない時に作っていると、ああだこうだ、試行錯誤が多くてね。で、時間とお金だけ一杯使ってしまうって事が、よくあります。」
岡部「あ、それで難航してしまうと。」
矢野「はい。」
岡部「作っていくレコーディングの段階でも、まだずっとずっと試行錯誤していく訳ですね。」
矢野「ええ、そうです。」
岡部「そういう状態っていうのは、どうやって切り抜けていく訳ですか?もう、それは、時間がどんどん過ぎていくだけなんですか?」
矢野「何とか泥沼から脱したいと思いつつ、泥だらけになっていくしかないです(笑)。」
岡部「と、ニコニコと、微笑みながら笑顔でおっしゃいましたけど。」
(ここでテープエンド。最後まで録音しきれていなかったのが残念…。ともあれ、この「発掘」が、80年代ミュージックシーン研究の一助になれば幸いである。なお、この翌週にOAされた「PART2」(ゲストは引き続き矢野顕子)の音源も所持しており、機会があれば紹介したい。)
※※以前紹介した、80年代FMラジオの記事※※
FM東京「音楽ってなんだ!」(1986年6月7日22:00~O.A、MC・加藤和彦)ゲスト・坂本龍一
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/afe67c31f343f7cf49ba14f411619a25
(PART1)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/602035dab05af2f179e700b384b29619(PART2)