つい先日、当ブログ宛コメントの中に、「潰れてしまった想い出のスロ屋のメダル(コイン)を、今も大事に所持している」といった内容のものがあった。
成程、店そのものは跡形なく消えてしまっても、そこで使ったメダルが一枚でも手元にあれば、実戦時の香ばしい記憶が「フラッシュバック」して、当時を思い返す事もできるだろう。
何の変哲もない僅か20円分の「遊技用品」でも、その価値は「プライスレス」かもしれない。
かくいう自分も、以前に足を運んだホールのメダルが、「たまたま」カバンに入り込んだりして、自宅の机の引き出しに今でも「保管」してある。
さすがに2号機、3号機時代のものは残っていないだろうが、1990年代末~2000年代初頭の4号機全盛時、都内や神奈川、或いは「旅打ち」などで訪れた各店のメダルが、数にしてざっと150枚ほど手元に残っている(「窃盗」とか言われると、元も子もないが…)。
同じ店のメダルが重複するケースもあり、店舗数にすると約40店分くらい。過去に足を踏み入れたホールの総数から見ればわずか数%に過ぎないが、さんざん通い詰めて記憶に「刺さった」店のメダルも多い。すでに潰れてしまったホールもあったりして、今や大切な想い出の品。かつての「戦場の証」として、後生大切にとっておくつもりだ。
という訳で、今回は手元に残っているメダルのうち、既に潰れるなどして現存しない店のものを、幾つか公開したい。相変わらず、「局地的」な話題で恐縮だが…。
(1)
京王線・多摩センター駅沿いにあったパチ屋「シーザースパーラー」の30Φメダル。
2002年頃、ハウ〇モノと思しき「シオラー30」を叩きに行った店だ。すぐ近くの「K」にもシオラーのBモノ(32Ver)があり、両店をハシゴする事もあった。この店の25Φは「サンダーV」をよく打った。パチでは、大一「ダイナマイト」、三共「ライフワーク」、ニューギン「ミルキーバー」など、現金機の権利モノを末期まで置いていた。漫画家の蛭子能収さんが「一日店長」でこの店に来店した日に、偶然立ち会った事も懐かしい(高尾の「CR蛭子能収L」新規導入と、蛭子さんの著書「ヘタウマな愛」の出版記念を兼ねた、新装時イベント)。
(2)
JR町田駅、東急ハンズ向い(大和横丁)沿いにあった「回専問屋さくら屋」の30Φメダル。
この店は、元々「町田さくらセンター(MSC)」という併設店だったが、スロ専門店に移行後、2000年頃に沖スロを導入。この店の歴代沖スロを振り返ると、「ハイハイシオサイ30」「シオラー30」「島唄30」「島娘30」「スロットパラダイスII-30」「ビッグシオ30」といった所だ。
中でも、ここで私がもっとも打ちこんだのは「シオラー30」だった。2002年~2003年当時の常連の中で、一番多くシオラーの回転数を稼ぎ、ビッグ回数をかけたという自信がある。高設定を示唆する「シーサー」の置物(金・銀・黒)や、端末による「台予約制」も特徴だった。その節は、大変お世話になりました…。
(3)
小田急線・町田駅前のマクドナルド脇にあったスロ屋「モモタロウ」の25Φメダル。
ピアやゴードンといった大手チェーンがひしめくエリアで、ひっそりと営業していた小店だ。元々は老舗のパチ・スロ併設店だったが、2000年を超えた頃に突如改装して、スロ専に移行。新装直後に入店した時は、映画のセットかと思うような「隙間タップリ感(ガラーンとした空間)」に唖然とした記憶がある。ただ、ダイノ2、クランキーコンドル、ゲッターマウス、玉緒でポン、ルパン三世、ガメラなど、改装後も香ばしい4号機の数々をマッタリと打ち回った。因みに、併設店時代の90年代には、3号機「スーパープラネット」、4号機「ハットトリックA」「ラッキーチャンス」「スーパージャックポット」などを設置。
(4)
小田急線・登戸駅、再開発前の小田急改札正面にあったパチ屋「玉の家」の25Φメダル。
ここは2号機時代(ベンハーやビッグパルサーがあった頃)から足を踏み入れたが、このメダルは恐らく2000年以降に打った時のモノ。「花火百景」「おさるの超悟空」「二代目五右衛門参上」など、2Fパチスロコーナーでアルゼ(当時)系の機種を好んで打った。北電子の初代「ジャグラー」や山佐の「タイムパーク」なんかもここで打ったな…。
(5)
新宿・歌舞伎町、西武新宿駅近くの「エビ通り」沿いにあったスロ屋「エルニド3」の25Φメダル。
ここは、低換金・高設定多数をウリに一時期は話題をさらったが、徐々に人気・設定共に下り坂となり、2006年頃に閉店してしまった。全盛期には、「万枚突破」を示す獲得枚数の貼り紙が、階段脇の壁にベタベタと貼られていた。
なお、1999年当時のラインナップは、以下の通り。
BF…マックスボンバー、ロイヤルバー、ドクターA7、花月、バーサス
1F…ウルトラマン倶楽部、シルバーブレット、ダブルウルフVCT、クレオパトラ、マッスルトマト、ハナビ
2F…クランキーコンテスト2、ミスタードゥ、アステカ、ビーマックス、サンダーV、ファニーサンタ
3F…シベリア―ナ、ポッパーキング、チェリー12X、ジャパン2、エスプ、イプシロンR
(6)
少々見づらいが、東急・自由が丘駅のガード下にあったパチ屋「三光」の25Φメダル。
ひっくり返った「ミコトV」で、よくハマらせて貰った。山佐の「河童の湯」も打った記憶アリ。まぁ、正直あまり勝った記憶はないが。10円玉っぽいカラーリングは、新宿東南口の「パチンコ平和」で3号機「コンチネンタルI」を打っていた時のメダルを彷彿とさせる。
(7)
JR横浜駅西口「プリンス」の25Φメダル。てっきり現在も営業中と思っていたが、今年の3月いっぱいで閉店した模様…。10円玉をあしらったデザインの「20」の数字は、「一枚20円」の意か。折角なら、2002年頃に打った沖スロの30Φメダルが残っていれば良かったのだが…。ハナハナ30、ビッグシオ30といったパイオニアの「定番」の他に「海人30」(エイベックス)、さらに「カジマヤー30」(高砂)なんてマニアックな機種まで置いていた。
因みに、手元にある25Φのメダルは、恐らく「ミリオンゴッド」を打った時のもの。普段ミリゴなど絶対に手を出さなかったが、この時はなぜか食指が動いたのを覚えている。一枚だけ手元に残ってるってことは、多分ドル箱を使うことなく負けたのだろう…。
(8)
地下鉄日比谷線・東銀座駅、東銀座交差点(歌舞伎座近く)にあった「モンタナ」の25Φメダル。
名機「コンチネンタルIII」を末期まで設置していた店。ただ、ここは店員のチェックがやたらと厳しかった。ちょっと1枚掛けしただけで注意されたり、隣の人に目押しをするのもタブー(店員が目押しするのも禁止だった)。パチの固定ハンドルなども、厳しくチェックされた。
因みに、ここは大一の「アンテナショップ」的存在で、CRデジパチの名機「CRバトルヒーローV」や、権利モノの「ラッキーボーイ」「CRエキゾチック」を長く置いていた。それを示唆するように、メダルの裏には、こんなデザインが施されていた。
(裏)大一のオリジナルキャラクター「ダイナマイト」
(9)
コチラは、JR仙台駅近く・定禅寺通沿いにあったパチスロ店「スロット円蔵」の25Φメダル。
2001年頃、祖父の墓地の移転絡みで仙台まで出向き、ホテル近くにあったこの店を見つけて一勝負した。たった一度の入店にも拘らず、設置機種ががあまりに香ばしかった為、記憶にズップリと刺さっている。
バルテックの「スペースインベーダー2000」「アタナシア」「ナイトフォックス」という三つ巴に加え、マックスアライドの「チャビーファンク」や、タイヨーの「エイトマン」「コンバットアームズ」という垂涎のラインナップだった。周りの挙動を見る限りでは、どう考えても「ひっくり返って」いた。残念ながら状態に入る事はなかったが、偶然見つけたスロ屋の「異空間」で勝負できただけで、十分幸せだった。しかし、よくこのメダルが残っていたな…。
とりあえず、今回はこんなところか。あとは、現在も営業中のパチ屋のメダルとか、どこの店のメダルか不明なものばかりで、記事にするのはちょっと控えたい。
ともあれ、皆さんも机の引き出しをひっくり返して、かつての思い出が眠っていないかどうか、一度探してみてはいかがだろうか。
※追記(2014.8.24)えむさん
コメント有難うございます。中心部分が色付きで、材質が異なる感じの「カラーコイン」、たまに見かける事がありましたよね。そういえば、「OSCAR」と書かれたカラーコインが映った1990年頃の資料があったな…と思い調べたら、やっぱりありました。ご参考までに載せておきます(右隣のコインは「みとや」かも…?)。
個人的には、新宿・歌舞伎町「日拓II」のカラーコイン(中央に青いシール?が貼ってあり、「N」のデザイン文字が書かれていた)が印象的です。5連アポロンで状態に入って、カラーコインをカチ盛りするのが気持ち良かったですね。(追記、ここまで)