シニア担当のYokoです。
今日は「こころのひと」に会いました。
「こころのひと」とは自分の意中の人という意味ではありません。
あったかーーいこころを持っている人と言う意味です。
こころの人は どうやら不器用です。
こころの人は 恥ずかしがり屋
こころの人は こわがりやさん
こころの人は ちょっぴり頑固
こころの人は 正気もの
こころの人は 一生懸命
こころの人は あたたかい
シニアのクラスに来る人はみんな「こころのひと」
今日はミニワークの一回目
やる側も受ける側もみんながどきどき そして わくわく
今日のミニワークはきっとこれから先も語り継がれる時間になると思いました。
不器用で恥ずかしがり屋で怖がりでちょっぴり頑固ででも正直で一生懸命な二人が
作り出したもの。
やる側も受ける側もそしてそれを見守る私たちも誰もが学ぶ事がありました。
このクラスは「生きがい」がテーマです。
シニアのアートワークを学びながら、自分の生きがいを実感していく。
それが目的ですから、私はこう伝えます。
「アートのプログラムを作る人を育てる場所でありません。」と。
プログラムを作るだけなら、やり方はいくらでも教えます。
この画材にはこれが合います。
このテーマならこういくといいでしょう。
だけれども一方的に与えられたものをやる。指定されたものをやる。
そこにその人らしさはどれだけ現れるのでしょうか?
私は「あなた」という人が大切です。
ここで「あなた」という人が現れなければ、これから現場に出てもやり方ばかりに目を向けて
「あなた」の味わってもらいたいもの、本当に作り出したいものは感じないし、見えてこないと思うからです。
ここと出会わなければ「生きがい」とも出会えないと思うのです。
そしてその場に来てくれるシニアの方も一方的なものだけを味わってしまったら、それは受け身の人生になってしまい
「いつまでも自分らしく生きる」という事にはならないと思うのです。
100人いれば100通り
そこにあなたという個性が輝き、他との違いから学び、認め合い、
自分と違う人と人が関わり合う事で生まれる素晴らしいもの。
それが100人いれば100通り
出会っていけば、100個の素敵なものが待っているのです。
それがシニアアートワークの現場の素敵なところ。
「こころのひと」は正直だからぶつかり合います。
「こころのひと」はちょっと頑固だから受けとる事がちょっと下手くそです。
だけれども「こころのひと」は自分の気持ちをごまかさずに伝え合いました。
その様子を「こころのひとたち」が見守り、自分の事として受けとって学んでいきました。
素敵なミニワークでした。
てんこもりのミニワーク
自分達がやりたいことをやったミニワーク
ここはクラスです。
現場ではありません。
だからいいんです。
ここで完成を作らなくてもいいのです。
なぜなら完成を作らない(作れない)事で学んだ事は次に必ずつながります。
それはまだまだたくさん自分の伸びしろを知る事でもあるのです。
なにより人生に「完成」などないのですから。
今日の「こころのひと」はまるで万華鏡のようでした。
こころのひとはてんこもりになる位味わってもらいたいものがあって
それだけたくさんの素敵を持っているのです。
そのたくさんの素敵は、そこに触れた人の素敵をたくさん引き出していくのです。
「こころのひと」は二人でなかよく大きな荷物を抱えてかえっていきました。
あれれ? 二人の間に見えない空間があったのに、帰りはちょっと近づいて肩を並べて帰りました。
誰もが「こころのひと」
「あなた」は「こころのひと」
「あなた」がいるから「わたし」は自分の素敵を知るのです。
「あなた」と「わたし」という違う「こころのひと」同士
響き合い輝きあい
だから世界は素敵なのです。
今日は「こころのひと」に会いました。
「こころのひと」とは自分の意中の人という意味ではありません。
あったかーーいこころを持っている人と言う意味です。
こころの人は どうやら不器用です。
こころの人は 恥ずかしがり屋
こころの人は こわがりやさん
こころの人は ちょっぴり頑固
こころの人は 正気もの
こころの人は 一生懸命
こころの人は あたたかい
シニアのクラスに来る人はみんな「こころのひと」
今日はミニワークの一回目
やる側も受ける側もみんながどきどき そして わくわく
今日のミニワークはきっとこれから先も語り継がれる時間になると思いました。
不器用で恥ずかしがり屋で怖がりでちょっぴり頑固ででも正直で一生懸命な二人が
作り出したもの。
やる側も受ける側もそしてそれを見守る私たちも誰もが学ぶ事がありました。
このクラスは「生きがい」がテーマです。
シニアのアートワークを学びながら、自分の生きがいを実感していく。
それが目的ですから、私はこう伝えます。
「アートのプログラムを作る人を育てる場所でありません。」と。
プログラムを作るだけなら、やり方はいくらでも教えます。
この画材にはこれが合います。
このテーマならこういくといいでしょう。
だけれども一方的に与えられたものをやる。指定されたものをやる。
そこにその人らしさはどれだけ現れるのでしょうか?
私は「あなた」という人が大切です。
ここで「あなた」という人が現れなければ、これから現場に出てもやり方ばかりに目を向けて
「あなた」の味わってもらいたいもの、本当に作り出したいものは感じないし、見えてこないと思うからです。
ここと出会わなければ「生きがい」とも出会えないと思うのです。
そしてその場に来てくれるシニアの方も一方的なものだけを味わってしまったら、それは受け身の人生になってしまい
「いつまでも自分らしく生きる」という事にはならないと思うのです。
100人いれば100通り
そこにあなたという個性が輝き、他との違いから学び、認め合い、
自分と違う人と人が関わり合う事で生まれる素晴らしいもの。
それが100人いれば100通り
出会っていけば、100個の素敵なものが待っているのです。
それがシニアアートワークの現場の素敵なところ。
「こころのひと」は正直だからぶつかり合います。
「こころのひと」はちょっと頑固だから受けとる事がちょっと下手くそです。
だけれども「こころのひと」は自分の気持ちをごまかさずに伝え合いました。
その様子を「こころのひとたち」が見守り、自分の事として受けとって学んでいきました。
素敵なミニワークでした。
てんこもりのミニワーク
自分達がやりたいことをやったミニワーク
ここはクラスです。
現場ではありません。
だからいいんです。
ここで完成を作らなくてもいいのです。
なぜなら完成を作らない(作れない)事で学んだ事は次に必ずつながります。
それはまだまだたくさん自分の伸びしろを知る事でもあるのです。
なにより人生に「完成」などないのですから。
今日の「こころのひと」はまるで万華鏡のようでした。
こころのひとはてんこもりになる位味わってもらいたいものがあって
それだけたくさんの素敵を持っているのです。
そのたくさんの素敵は、そこに触れた人の素敵をたくさん引き出していくのです。
「こころのひと」は二人でなかよく大きな荷物を抱えてかえっていきました。
あれれ? 二人の間に見えない空間があったのに、帰りはちょっと近づいて肩を並べて帰りました。
誰もが「こころのひと」
「あなた」は「こころのひと」
「あなた」がいるから「わたし」は自分の素敵を知るのです。
「あなた」と「わたし」という違う「こころのひと」同士
響き合い輝きあい
だから世界は素敵なのです。
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