NPO法人 専攻科 滋賀の会

盲・聾・養護学校高等部への専攻科設置拡大、そして広く特別な教育的ニーズを有する青年たちの教育機会の保障をめざす滋賀の会

書評「知的障害者の大学創造への道―ゆたか『カレッジ』グループの挑戦―」

2015年12月30日 20時22分48秒 | 会員募集のお知らせ

当会と連携させていただいている社会福祉法人鞍手ゆたか福祉会(福岡県本拠地に置き、他拠点で専攻科事業を展開)長谷川理事長執筆の出版物が先日刊行されました。

今回は当会の森本理事(滋賀県立近江学園勤務)より、当出版物に関して書評として御紹介いただきます。当会の森本先生とカレッジ福岡の長谷川理事長先生とは学友である事も驚きでしたが、お互いにリスペクトしあう間柄である事は非常に羨ましい限りですね。

下記、御参照ください。


書評「知的障害者の大学創造への道―ゆたか『カレッジ』グループの挑戦―」

長谷川正人 著 田中良三・猪狩恵美子 編 クリエイツかもがわ出版

 先日私のもとに一通の招待状が届いた。日本福祉大学大学院時代のゼミ友で、福岡県を中心にさまざまな福祉事業所を運営している社会福祉法人、鞍手ゆたか福祉会理事長の長谷川正人氏が本を出版したことを記念してのパーティーの招待状である。タイトルは『知的障害者の大学創造への道』、その内容は彼が最近特に力を入れて取り組んでいる「福祉型専攻科」の取り組みについて紹介したものである。実はこの本の中でも紹介されているように、彼が「福祉型専攻科」の取り組みを始めたのは、私との出会いがきっかけである。

 以前よりNPO法人「専攻科滋賀の会」の役員として専攻科づくり運動に取り組んでいた私は、この運動や研究の全国組織である「全国専攻科(特別ニーズ教育)研究会」(全専研)の全国研究集会を2010年12月滋賀県で開催するため、独自のパンフレットを作成し、いろいろな人たちに協力やカンパを呼び掛けていた。当時日本福祉大学大学院で学んでいた私は、ゼミでも指導教授やゼミ友に呼びかけて、パンフレットを配布しカンパをいただいた。その時に「専攻科」の存在を知った長谷川氏はその後「専攻科」について研究し、翌2011年同氏より「福岡市に『福祉型専攻科』を開設するための設立総会を秋に行うので、見晴台学園の藪氏と共にシンポジストをお願いしたい。」との依頼が、突然私にあった。二人とも仕事をしつつ大学院の修士論文執筆の真最中であり、どこにそんなエネルギーと時間があったのかと大いに驚かされたものである。さらに彼の場合は、社会福祉法人の理事長として多くの事業所の運営に携わりながら、2012年4月の「カレッジ福岡」開設に向けての準備や、1月の修士論文の最終提出に向けてのラストスパートと、想像を絶する生活をしていたに違いない。

実際彼も私も、2011年12月に愛知県立大学で開催された全専研全国研究集会には、一日目の全体集会と分科会のみ参加をし、翌日は同じ名古屋市内にある日本福祉大学大学院での修士論文中間報告会に出席をするといった、かなりハードなスケジュールをこなしていた。しかし、彼の頭の中には「カレッジ福岡」の開設を一年遅らせるという選択肢は微塵もなく、社会福祉法人として全く初めての事業の立ち上げと、かなり厳しいことで有名な教授たちを満足させる修士論文の執筆を見事同時にやり遂げたのである。

 このように著者である長谷川氏とのこれまでの交流から、鞍手ゆたか福祉会が運営している「福祉型専攻科」の取り組みについてはある程度理解をしていると思っていた私は、本のタイトルを見て正直少し大げさなという印象もあった。しかし、この本を読み進めるうちにそのような気持ちはどこかに吹き飛んでしまい、読了後はとてもさわやかで温かな感動に包まれたのである。

講演中の長谷川先生(理事長Blogより)

この本によれば長谷川氏は、無認可の作業所から始めて次第に地域の人々の信頼を得て、次に強度行動障害の人たちを受け入れるための小規模グループ棟の入所施設を日本で初めて開設し、その後障害のある人やその家族のニーズに応えるための事業を次々と立ち上げ、そしてこの三年間で「カレッジ福岡」をはじめとした「福祉型専攻科」を五か所も運営しているのである。彼の眼は常に世界に向けられていて、障害福祉の最先端と言われる所へ実際に何度も足を運び、自分の目でその現実を確かめ、その実践はなおも日々進化をし続けており、今は知的障害者の高等教育の実現という未来社会を確実に展望している。そして私がこの本の中で最も感動したのは、おそらくこれが彼の原動力になっているであろう、障害のある人たち自身の成長と彼を信じて支えてくれている仲間たちの存在がこの本の中に散りばめられていることである。それはまさに、「知的障害者福祉の父」と呼ばれた糸賀一雄が、戦後の混乱期に知的障害児と戦災孤児の総合施設である近江学園を仲間たちと共に創設し、その後さまざまな課題に応じて多くの施設を新たに開設し、戦後の障害福祉を牽引してきた姿にオーバーラップするといえば言い過ぎだろうか。実際私は、糸賀一雄の名著『この子らを世の光に』を初めて読んだ時に似た心の震えを、この本に感じたのである。

 今、全国では障害青年に高等部卒業後の豊かな学びを保障するため、障害者総合支援法の自立訓練(生活訓練)事業の制度による「福祉型専攻科」が注目され、毎年増え続けている。また、ゆたか「カレッジ」グループのように自立訓練(生活訓練)事業2年間、就労移行支援事業2年間、計4年間の「知的障害者の大学」と銘打っている事業所もある。その中で長谷川氏たちのゆたか「カレッジ」グループは比較的新しい事業所ではあるが、彼と彼の仲間たちは「カレッジ福岡」の立ち上げに向けて、全国の特別支援学校専攻科や「福祉型専攻科」を訪問し、それぞれの良いところを学び実践する中で、今では全国の「福祉型専攻科」をリードする存在となっている。また、2012年4月に「カレッジ福岡」をスタートさせた後も常に、学生たちのニーズに合わせてカリキュラムを充実させる一方で、「障害の重い青年の学びの場を」というニーズにも応えるため、「普通科」に加えて新たに「生活技能科」をスタートさせた。このような重度障害のある青年への取り組みは、他の「福祉型専攻科」では例を見ない実践であり、そこにはこれまで鞍手ゆたか福祉会が、我が国で初めて作った小規模グループ棟による強度行動障害者専門施設である「サンガーデン鞍手」での実践が生かされているに違いない。「サンガーデン鞍手」は、大規模集団の入所施設が主であった当時、7年越しで厚生労働省や県の担当者を説得し、2003年8月にようやく完成した施設であり、そこでは職員たちがアメリカで学んだ構造化という環境調整や、カードなどの視覚的支援を活用した非言語コミュニケーションが実践されていた。

サンガーデン鞍手

その結果、それまでどこの学校や施設でも安定することがなかった激しい行動障害のある自閉症の人たちが、半年から二年の間にパニックのない穏やかな生活を送れるようになったのである。しかし、その間の職員たちの努力は並大抵のものではなかったはずであり、この努力の蓄積が職員たちの自信と法人としての力量として、その後のさまざまな事業展開の原動力となっていたに違いない。

 長谷川氏が1991年4月に2名の利用者と共に、10坪のプレハブでスタートした無認可作業所が、今では29事業所、総利用者1336名、職員230名の大きな法人に発展した。そして今、ゆたか「カレッジ」グループは国連「障害者権利条約」で提唱されている、知的障害者の高等教育の保障へと新たな挑戦を始めている。そこにはまだまだ乗り越えなければならない大きな壁が、いくつも待ち受けているに違いない。しかし彼ならきっと、インクルーシブな未来社会への扉を開けてくれることだろう。福岡には、一昨年107歳で他界した昇地三郎氏のしいのみ学園をはじめとする実践が脈々と息づいている。昇地氏は糸賀一雄と同じ時代を生き互いに敬愛していたが、糸賀が54歳の若さで他界したのに対して、昇地氏は100歳を過ぎてもなおその知的好奇心は衰えることを知らず第一線で活躍していた。この点では長谷川氏にも昇地氏を見習って、ますますの活躍を期待したいものである。50年後世界はどのように変わっているだろうか。

滋賀県立近江学園 森本 創

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