*ブログ記事【循環と道の医学】に続きます・・・
「案ずるより産むがやすし」という言葉があります。
直接には「お産の前はあれこれ不安になるものだが、産んでしまえば何とかなってしまうものである」という意味ですが、
転じて「物事はあれこれ心配するよりも思い切って実行してみれば意外とたやすいものである 」という意味で用いられています。
昔も今もお産は大なり小なりのリスクを伴うものであることに違いはありません。
しかしながら、私たちの祖先はお産にのぞむことで代々の命をつないできたのも事実です。
古くはお産婆さんや今なら医師・助産師などの介添えがあるとはいえ、
出産(経腟分娩)は女性が本来持ち合わせている分娩能力が発揮されることで成し遂げられます。
「産むがやすし」とは、その出産能力はあれこれ考えなくても自然に備わり、発揮されることを示しているのでしょう。
「案ずる」の不安になる、心配になるというのは心の問題です。
思考活動は脳によって行なわれているのは周知の事実ですが、
「案ずる」とはつまり頭の中で不安や心配がぐるぐる回っているような状態であるといえます。
ですが、どれだけ不安や心配でいようとも、
胎児が無事成長し、時期が来れば出産にのぞまなければならず、
その時には本来持ち合わせている出産能力が発揮されることになります。
「道の医学」において、
心配や不安が頭の中でぐるぐると回っていることは、
心配や不安という一種のエネルギーが頭の中で循環し続けているといえます。
それに対して、女性が本来持っている出産の能力というのは、
妊娠出産というサイクルに応じて自然に発揮されるものです。
それは我々の意識の及ばない思考を超越した能力といえます。
頭は身体の一部分であり、頭の中での循環は身体全体の循環に対して「小循環」であるといえます。
そして、頭の中の思考回路と、意識や思考を超えてサイクルに応じて発揮される身体の能力は、
それぞれ「小循環」と「大循環」の概念に置き換えることができます。
そこで、改めて「案ずるよりも産むがやすし」ですが、
頭の中という「小循環」で「案ずる=心配や不安」というエネルギーをめぐらせるよりも、
そのエネルギーを身体という「大循環」を信じて委ねるべきである。
そのような解釈ができると思います。
不安や心配がいつまでも頭の中でぐるぐる回っていてはあまり良くないだろうというのは分かりやすいと思います。
そのため「小循環」から「大循環」へと導くのが「道の医学」の役割であります。
心配せずとも「道」はつながっているのです。