夕方、現地からホテルに帰る。勿論、ジョグです。その前に和田岬駅前の惣菜店で夕食を購入。
~惣菜店~
いそいそと、惣菜店へ行く。ガラスケースには、豚カツ、チキンカツ、串カツ、牛カツなどなど。
芋くし、コロッケ、焼き豚を注文する。
芋くしは、ジャガイモを茹で塩味つけフライにしている。くしに3個刺してある。
コロッケは一般的な味だ。焼き豚はスライスしたのを100g、甘さがいいかな。
店員さんは、お姉さんと年配の女性で感じがいい。厨房は結構広い、9月からオープンしていたとか。
勘定を済ませて、リュックにしまう。
これが大惨事になることを、誰が予想しただろう。
さあ出発だ!マルコじゃないが。軽快に、和田岬駅前から今出在家、中之島へと進む。
~新川橋から港湾を望む~
兵庫津、兵庫運河を横目に快走、信号がある度に止まるのがじゃまくさい。
<兵庫津>
兵庫津は、平安時代末に平清盛が日宋貿易のために整備し、
室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港である。
<兵庫運河>
兵庫運河の建設は、明治に入り神戸の貿易の拠点が兵庫港から神戸港へ移ったことを受け、
兵庫港周辺の経済活動を活性化させる目的で、神戸の商人神田兵右衛門が中心となって1876年(明治9年)の避難地である新川運河が完成。
その後八尾善四郎が中心となって1899年(明治32年)12月に運河全体が完成した。
この工事により和田岬を避けて須磨・駒ヶ林方面と兵庫港との間を航行することが可能となった。
~新川運河~
本題に戻ろう。中之島から中央市場まで来た。中央市場は青果では神果と言い、我が町からはブロッコリー、ミニトマト、デラウェアを送っている。
関西への拠点である。
建て替え前の市場の食堂には何回か昼食に訪問した。何処の店舗か忘れたが
小貝柱のかき揚げは、たまらん旨し!でした。
~中央市場~
中央市場から山側に走る。そうだ、だいぶつっあん見よう。運河を渡りタッタッタと進む。
この辺、右やったなぁ?見えたわ!能福寺到着。
~能福寺・兵庫大仏~
◯の日は釣瓶落としだ、薄暗くなって来た。
<能福寺>
天台宗、山号は宝積山(ほうしゃくざん)。御本尊は薬師如来。
寺伝では805年(延暦24年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており、1180年(治承4年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められた。
<兵庫大仏>
1891年(明治24年)に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された。この大仏は1944年(昭和19年)に金属類回収令で国に供出されるまで日本三大大仏の一つに数えられた。
現在の大仏は1991年(平成3年)に再建されたものである。毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると高さ18mになる巨大な坐像である。
~だいぶつっあん~
兵庫大仏を初めて見たのは、10年以上前だ。その時は、まだ銅色だった。
今は、緑青色である。クロネコの近くなので、たまに見に来る。
以外と大河ドラマまでは知られていなかった。大河も人気はなかったなあ。
神戸から香川に移り住んで来た人も、当時は供出されて無かったので知っている人も少ない。
お参りを済ませ、兵庫大仏を後にする。暗くなってきた宿路を急ぐ。
ホテルに到着。どへ~!買った、コロッケと芋くしが、リュックの中で揺れて油が表面に出て、ベタベタだ。芋くしの串が袋を破った上に、原形が少し....。
まぁ、お疲れ様でした。
しかし、東海地区の方のお遍路 人気ブログを、見習うつもりだったが無理でした。
上手くいかない!長文と詳細な表現は難しい。文才も必要やね。
おせつワールドに戻そう