今日から病院の訪問をバーニーと始めた。
バーニーは昨日ディスペンサリーから患者を運んだ時に、あまりに酷い病室を見て、私に今朝病院に行きたいと言った。
今回病院の訪問について話し合った時はとても訪問に消極的だった、三年前私と一緒に行って以来病院の訪問はしていなかったが、彼女は変わった。
彼女は言った、「私にはとても勇気がいるし、言葉も通じないことが多くて辛い、祈るだけで何もしないということがとても難しい。だけど、とても行く必要性を感じる。家族もなく、誰も訪れない人がたくさんいる、、」
いろいろな問題がたくさんある、まず私とバーニー以外は病院の訪問は難しいだろう、どのような形で彼らと接して良いのか分からないからだ。
誰を助けて、誰を助けない、誰に家族がいて、誰に家族がいない、などは簡単に分かるものではない。
季節外れの雨が降り出した中、私とバーニーは病院に入った。
日曜と言うことであろう、ナースやマーシーもあまり居なかったが、ほんとうに苦しみもがいている患者たちはたくさんいた。
異臭悪臭漂う病室に入ると、まず一人目の患者の前に立ち、手を合わせ、笑顔で挨拶すると、患者は身を起こし、笑顔でそれに答える。
ほんとうに不思議である、私たちがどこの誰かも知らない患者たちだが、私たちを感謝とともに向かいいれてくれた。
彼らの中の神さまが光り輝くようだった。
患者の中にはモーフもなく、シーツに包まり、丸くなっている患者がいた、空腹で着ている服もなく、かなり経っている治療した足には指がなかった。
他にも英語を話せる患者もいた、とても紳士的に私たちを迎えてくれた。
私は彼らの神さまの意にそぐわぬように深く広く心を保ち、笑顔を絶やさなかった。
一人の男性が近づいてきた。
彼は笑顔でこう言った、「あなたたちがここを訪れてくれると、すべての患者が幸せになる、ありがとう」
信じられるだろうか、今日は初日である、にもかかわらず、彼らは私たちの中に何かを見ているのだろう。
神さまがマザーに「私を貧しい人たちのところに連れて行ってほしい」と言ったように、私たちが神さまを病院に連れて行ったのだろうか、そんな気がしてしまう、神さまを否応なしに感じてしまう、信じる信じないではなく、神さまとともにあることを感じざるを得なかった。
私は明日も彼らに触れたい、そう思うのは私の中の神さまであろう。
祈りが必要である、祈りがなければ何もなくなってしまう。
心の深いところから愛を湧き出させよう。
シアルダーは患者なしだった。
私とバーニーはサウスステーションに行った。
プラットホームの先に大きな木があり、そこに村からきた家族たちがいる。
そこで小さな子供、赤ちゃんたちにゆで卵をあげる。
列を作らせ座らして、一人ひとりにゆで卵を渡す、二歳ぐらい子供が汚れきった顔にゆで卵を当てるようにして口にしていた。
その近くに一人の男性が一人いた。
彼にはバーニーがバナナ、パン、ゆで卵など、大きな体で丈夫そうなの人にはそんなに食べ物をあげないのに、どうしてかと思うと、彼はドブネズミを食べているから、しっかりとご飯をあげるということだった。
あなたにはきっと分からないかもしれない、私の瞳に映るものはこの文章からでは読み取ることなど決して出来ないだろう。
臭い、音、埃、煙、などは届かない。
だけど、どうか祈りを持って、あなたはそれを想像してほしい。
それが誰かに愛を運ぶ導きになるかもしれないから。
笑顔を忘れないように。