洗礼式が始まるまで、どんな風になるのかどうか分からなかったが素晴らしい式になった。
式が始まる前、私の頭に塗油する油を忘れていたため、シスターメルシーマリアが司教のところまで急いで取りに行った。
これは胸に塗油する油と違い、司教のところまで取りに行かなくてはならない大切なものだったので、慌ててメルシーマリアは取りに行った。
なんとサイクルリクシャーも彼女は使わざるを得なかった、そこで「500ルピーだ」とか言われたが、無事にマザーハウスに戻って来れた。
だから、式は少し遅れて始まった。
さて、何を書こう、式の内容を書こうか、それとも、その後のことを書こうか、悩むところであるが、とりあえず、簡単に書こう、今日は三時にはシュシュババンに行かなくてはならない、登録のボランティアを始めるのである。
式のジョンの説教は私の葛藤の話などを聞くと、この20年掛かった時の重さからだろう、やはり涙が溢れてきた。
隣ではママも時折涙を流していたようだった。
式にはマザーハウスのほとんどのシスターが出席し、ボランティアもまたそうだった。
式を終えると、ゆっくり少し祈ろうと思ったが、すぐにマリオに呼ばれた。
マリオはこの日、特別に待者をしてくれた。
チャペルの外に出ると、まずセントジョンから観想会のシスターラファエルをはじめ、他にもたくさんのシスターが待っていてくれた。
シスターラフェエルはシスターニルマラからの手紙を持ってきてくれた。
シスターニルマラ{マザーの次に総長になったシスター}はまだ不自由な手で手紙を書いてくれた。
そこで待っていてくれたシスターと一人ひとり握手をした。
シュシュババンの院長をしているシスターポリタも来てくれた。
彼女とはベンガル語だけで話した。
以前と何ら変わらぬ屈託のない笑顔で祝福してくれた。
シスターカリーナも待っていてくれた。
彼女は私が10年前、他のボランティアのようにミサの間になぜパンを食べに行けないのかと涙を毎日流していたことを知っているので、彼女が私の手を強く握った時には感極まった、そして、大きなイエスの絵をくれた。
それから、グジャラートで一緒に働いたシスターニルマラマリアも満面の笑みで私を待っていてくれ、祝福の手紙をくれた。
アルゼンチンのボランティアの女性も私に手紙とパパ様のカードをくれた。
ナンバー3のシスターガットゥルーダも私にマザーのカードなどいろいろとくれ、祝福と私の額にキスをしてくれた。
書き忘れたがミサの最後には日本語で「あめのきさき」をシスターたちは歌ってくれた。
これには流石に驚いた。
この歌は私が大好きな歌で12月のアピアのライブの時に歌った歌であった、やはりとてつもない繋がりと導きを感じた。
そして、マザーのお墓のところに行き、そこでまた日本語の歌をメルシーマリアやクリスティーたちが歌ってくれたが、練習不足か、何回か間違え、笑いを誘った。
もう一曲は英語の「congratulation」だったので他のボランティアたちもみんなで歌ってくれた。
ほんとうにみんなに祝福された、それは想像以上の何ものでもなかった。
すれ違うシスターたちは皆満面の笑みでおめでとうと握手をしてくれた。
ボランティアたちもそうだった。
マザーハウスのカウンセラーのシスターからは、マザーハウスにあるマリア像と一緒の小さなマリア像をプレゼントしてくれた。
メルシーマリアやマーガレットからはロシア人のアーティストが作ったロザリオやカードなどをもらった。
そのロシア人の絵はマザーのお墓のところに飾られていたこともあった。
他にもスペイン人の神父やボランティアたちやママからもプレゼントをもらった。
カトリックになると言う事は家族の一員になることであると言う事は肌身で感じ教えてもらった。
ここまで書いたが到底書ききれぬ祝福を私は受けた。
日本に帰ったら、またゆっくり書こう。