今日は仕事を始めてから、初めて何もしない完全の休みを取っている。
ほんとうは今日、日本の私のうちにも遊びに来たことがあるダバタさんが一週間だけ来ているので、彼女のホテルに泊まっている日本人数人と一緒に少し出かけようと思ったが、生憎彼女たちに用事が出来てしまい、キャンセルになったのは残念だった。
ハウラーの橋のところにある花のマーケットに行って、ママに花を買ってきてあげたかった。
そして、ハウラー橋を歩いて渡り、フェリーに乗り、運良くイルカを見れれば、素晴らしい気分転換になると思っていたが、まぁ、ここでの約束はなかなか果たせないのが常時であるから、それはそれ、次の休みはいつになるか分からないが、またいつかの機会に行こうと思っている。
用事が無くなったので、ミサの後、ママの家に寄り、ゆっくりと朝食を食べられたのも、これも良かった。
洗礼式に着る服をママとジムが私にプレゼントしてくれるようである、それは土曜日の12時にシアルダーで待ち合わせて、一緒に買いに行くことになった。
それとママが殺されそうになった話を詳しく教えてもらった。
ママは十月に午後6時半くらい家の近くの通りを歩いている時に行き成り後方から頭部を殴られ倒れ、一瞬気を失い、また気の狂った男が切り崩されたセメントの塊を持って、殴りかかってきそうになったところを必死に走って逃げたらしい。
その男もママが逃げ出したので、反対方向に逃げたらしい。
腕と肩を骨折し、手術を受けた。
だが、ママはその時、髪の毛が長く、ポニーテールにしていたのが運が良く、ワンショットのアタックを少し和らげたようである。
今も少し肩の痛みを感じているが、普通の生活は大丈夫、しかし、まだリハビリをしていて、病院には通っている。
このことはママのNZの子供にはさすがに内緒にしていると言う、もし言えば、心配のあまり、カルカッタにママを住ませないようにするだろうからだ。
それはそうだろう、だが、ママはこんなことがあっても、このカルカッタを愛しているのだろう、ここからまだ離れるつもりはまったくないようである。
ママは笑いながら話した、私の逃げ足はほんとうに速かったと、それは自分自身でも信じられないと言うくらいの感じで話していた。
ちょっと違うかもしれないが、火事場の馬鹿力が働いたのか知れない、生き延びるために普段使わない力が出たのかもしれない。
よく言われることだが、「カルカッタでは何でもポッシィブル{可能}である」と長期の滞在者は言う。
それは自国では考えられないようなことが平気で起こる事実を何度も目の当たりにするからである。
しかし、私たちはそのすべてを乗り越えて行くのである、マザーがそうだったように。
もちろん、何人かのボランティアは離れても行くが、その問題は起こった事実よりもその個人の内面の問題が大きく関わっているように思える。
昨日アドレーションの後、スイスから来たイングリットに会った、彼女とも三年前に一緒に働いた。
彼女はシュシュババンから子供を養子として受け入れ、もう一人子供を他から受け容れている女性でスイスでホテルを経営している。
また彼女に会えて嬉しかった。
それと明日からケベック出身の女の子をシアルダーに入れる、彼女は6月までカルカッタにいるので、私たちには必要であった。
とても可愛い子であるが、どんな人間性の持ち主なのか、一緒に働くのが楽しみである。
その彼女はミサやアドレーションでの姿を見ていると、シスターになりたいのではないかと言う感じである、これはアイリッシュジョンが言っていた。
さて、今日はこれから家の掃除をする、今ここに来る前にゴザは干してきた。
観葉植物もこの前一つ買ってきたので、ママにもらったバンブーと二つになり、なかなか感じの良い部屋になっている。
掃除をしたら、しっかりベンガル語の勉強をしよう。
病院の両足のない患者がほんとうに分かりやすくベンガル語を話してくれるのに、それが理解出来ないのは胸が痛むのである。