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毎朝新しい恵み
私たちへの神の誠実な配慮がすべてを変えます。
哀歌 3:22-23 新共同訳
[22] 主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。 [23] それは朝ごとに新たになる。 「あなたの真実はそれほど深い。
マタイによる福音書 6:30-32 新共同訳
[30] 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 [31] だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 [32] それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
預言者エレミヤは暗い夜の悲しみを知っていました。エルサレムの破壊とそこに住む人々の罪深さを嘆き悲しんだことから、彼はしばしば「泣く預言者」と呼ばれています。しかし、悲しみの中にあっても、エレミヤは希望を持ち続けることができました。彼は、神の民とエルサレムの町は父なる神の忠実さと限りない慈悲によって回復されるだろうと確信していました。
エレミヤにとって、自信は神を信頼することから生まれたものであり、それは私たちにも当てはまります。どんな困難が起こっても、神は私たちを誠実に世話してくださるという約束があります。その約束はすべてを変えます。神の誠実さと慈悲を信頼することで、私たちは将来への揺るぎない希望を持ち続けることができるのです。
マタイ6:30-32のイエスの言葉は、エレミヤの心の叫びを強調しています。「だから、『何を食べようか』、『何を飲もうか』、『何を着ようか』と言って思い煩うな。…あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要であることを知っておられるのだ。」神は私たちの必要を完全にご存じであり、それを満たすために忠実に働いてくださいます。神の慈悲は毎日私たちに与えられています。エレミヤのように、その慈悲に頼ることを意識しましょう。そうすれば、私たちも自信と平和を経験することを期待できます。
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