これは 慶長出羽合戦 長谷堂城合戦図です。江戸時代中期に描かれました。
右下の小山で志村光安が陣を張っています。
城から上杉軍に打って出ている部隊がいますね。
この辺の経緯は 武蔵の五遁のブログに詳しく書かれています。
第一話 http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1674.html
第二話 http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1675.html
第三話 http://tutinosiro.blog83.fc2.com/blog-entry-1677.html
興味がありましたら、覗いてみてください。
千余の軍勢で防衛戦だけではなく、二万の上杉軍に夜襲をかけたりの機動戦を展開します。
一進一退の攻防戦が続いた半月後、戦況は大きく変化します。
慶長5年西暦1600年9月15日 関ケ原の合戦で豊臣方(西軍)の敗戦。
その報が入ると、西軍だった上杉軍は長谷堂城包囲を解き撤退を開始します。
絶体絶命と思われる長谷堂城での攻防戦が終わって、志村光安はのち酒田の亀ヶ崎城3万石城主となります。
志村一族はこの戦に参加していたと思われます。祖先も光安の手足となって働いていたことでしょう。