3月21日
7:00~ベイサイドに集合
7:30~調査船で玄界島へ急行災害対策本部の木庭健太郎本部長、弘友和夫参院議員、江田康幸衆院議員を先頭に、県議団の野田栄市、浜崎達也、高橋雅成、そして私の4人。市議会公明党から大石修二、石田正明、川辺敦子の3議員が急行。
地元消防団の方達も緊張した面持ちで、足元を確かめながら私たちを案内してくれた。「ここから先は行ったらいかん。危なかです」消防団の声が響いた。消防団の人が指差す方向に小学校があった。「体育館が少し傾いてしもうとるでしょ・・・」私は、家が崩れたのではなく、島が崩れているという印象だった。
昨日から「やず漁」が始まったばかり。岸壁が崩れてしまっている。
「船が出せんとです。この数ヶ月で年間の半分を稼ぎよっとです。一日の水揚げは、一日三千万円は上がりよったとです」と漁協の人の顔が曇る。
伊藤和義漁協組合会長は「仮設住宅を作ってほしい。一日も早く島で暮らせるようにしてほしい」と強い要望を受けた。島を一巡した時、上空からヘリで現地に降り立った麻生知事と出会った。
島を一巡し、崩れかけた家の傍で涼やかな花の香りがした。沈丁花の木が一本「凛として」立っていた。
13:30~
警固小学校にて避難者へのお見舞い。ほとんどが、マンションなどにお住まい。部屋の片付けに行かれていた。疲れ果てておられた。
14:40~
西浦で被災された方々へのお見舞いと調査。陸路で近づくにつれて屋根瓦にブルーシートをかぶせる人たちが多く見られる。西浦に到着。傾いて住めない家が散見される。外見は何ともないような家だが、中に入ると部屋が傾いている。被害の調査は精査する必要がある。
山崎福岡市長と出会った。途中、県庁の保健福祉部の課長に会った。「県庁の災害対策本部にいても現場が何を欲しているのかは分かりません。数名の職員とまず現場を見ようと来ました。自分達が何をしなければならないかが良く分かりました。」県庁職員にも現場主義の人がいてうれしかった。
16:40~
福岡市災害対策本部へ。被害認定条件の緩和、市営住宅の確保など柔軟な対応を求めた。
17:30~県庁にて翌日の予算議会への対応