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3月29日 再び玄界島を調査

2005年03月29日 15時38分53秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月29日 再び玄界島を調査。この日、大石司・市議会副議長をはじめ、上野忠之・党市議団団長と浜崎達也県議と私が玄界島に向かった。島に残って島民の留守を守る地元消防団の梅田土一分団長(50)の案内で被災現場を見て回った。島の傾斜地に密集する家々は多くが傾き、石垣はえぐれ、道路には亀裂が走る。「危険」「危険宅地」の赤い紙が張られた家屋が異様に目に付き、地震災害の深刻さを物語っていた。市災害対策本部によると、家屋の被害は全半壊が全体の8割強。
【写真 ブルーシートは家を守るよりも家財道具を雨から守っている】

 建物の危険度を示す判定でも、「危険」(127戸)と「要注意」(55戸)で約8割を占めた。断続的に続く余震や雨の影響で2次災害の危険も増している。市漁業協同組合玄界島支所では、同支所運営委員会の伊藤和義会長、玄界校区自治会の寺田至会長から要望を聞いた。席上、伊藤会長は家屋の被災状況を一軒一軒調べ、倒壊や修理不能で住めない家屋が約160戸あったことを明らかにし、「島内に公費で恒久的な集合住宅の建設を」と訴えを受けた。

 さらに、復興には行政や専門家の力が必要として、島に復興支援スタッフの常駐、被災者の個人資産を補償するための法整備などを求めた。また、寺田会長は「孫、ひ孫のためにも、一日も早く安心して漁ができる島にしてほしい」と真情を吐露していた。

 その後、県消防防災安全課の古賀裕之事務主査の案内で、この日から始まった仮設住宅建設の予定地を視察した。戸数は、玄界島と福岡市側に計200戸建設する。完成は4月30日の予定。

【神崎代表が被災地を調査】
 第2次福岡県西方沖地震災害調査団に参加しました。

支柱に亀裂が入ったマンション

2005年03月26日 15時36分47秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月26日 この日、高橋雅成県議と私。笹栗純夫・前原市議が調査に向かった。前原市の7階建てのマンション、14階建てのマンションを調査

 築年数13年の7階建てマンションの1階部分の駐車場の支柱には、致命的な亀裂が走っていた。構造建築士の診断によると「90センチ四方の支柱が斜めに割れ、中の鉄筋で建物本体を支えている状況」強い余震が起きると倒壊の恐れもあり、「近く、管理組合の積立金を崩して、応急的に支柱を支える鉄の柱を立てる」(小田義雄・管理組合副理事長)。

 「要注意」と判定された14階建てマンション(築年数13年)では、管理組合が地震保険に加入していなかった。「巨額の修理費を入居者が負担するとなると大変。ぜひ、行政の支援を」と、岩下征宏・元管理組合理事は苦しい胸の内を訴えた。

 私は、マンション被害は都市型地震災害の特徴。建物の建て替えなどへの支援策や、避難住民に対する公営住宅の空き部屋提供など、被災者側に立った救済策を考えていかなければならない。と強く感じた。

 また、災害救助法適用は福岡市のみ。同じ被害を蒙っているにもかかわらず、差別があってはならない。是非、法改正を含めて考えていかなければならない。

鉄筋がむき出しになった壁

2005年03月24日 15時35分18秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月24日 福岡市中央区でも警固断層の東側、特に被害が多かったのは大名、今泉地区周辺。この日、公明党福岡県議団から高橋雅成と大城節子と私。福岡市議団公明党から上野忠之市議が調査、14階建のマンションを調査した。

 エレベーターが動かず階段で最上階の14階へ。途中の4階~7階のドアが変形して潰れている。壁に亀裂が入り穴が開いていた光景を目の当たりにした。最上階の清水眞子宅は、足の踏み場がないほど。「思い出したくありません。家具が目の前を飛んでいった」「築5年しかたっていないマンション。引っ越したいが25年のローンを考えると・・」と頭を抱えていた。

知事に要望書を手渡す公明党福岡県議団

2005年03月22日 15時31分40秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月22日
予算特別委員会で広田誠一、上岡孝生両議員が、調査活動の結果を元に福岡県の対応をただし、被害者へのきめ細かい対応を求めた。この日、公明党福岡県議団として麻生知事に「福岡県西方沖地震」に対する要望を行った。

内容は、

1. 補正予算を含む、万全の予算措置を講ずること。
2. 国による激甚災害の指定をはかること。
3. 被災家屋への被災者生活再建支援法の適用については支援額の増加、住宅本体の建築、補修にも適用できるよう弾力的運用をはかること。
4. 被害の大きかった漁港・港湾の早期復旧、整備をはかること。
5. 倒壊の危険のあるマンションなど集合住宅の立替に対して支援策を講じること。
6. 避難住民のため、緊急避難的に県営住宅や住宅供給公社の空き部屋を提供するなど、早急に入居枠を確保すること。
7. 物的被害を受けた学校施設の速やかな復旧、特に被害の甚大な玄界小学校の移転をはかること。
8. 被災のための失業、休業した方への支援をはかること。
9. 避難生活者のためのきめ細かな食料、医療、毛布、日常品などの支給をはかること。
10. 被災した建築物の瓦礫や家庭からの廃棄物等の処理・搬出については特段の支援措置を講ずること。
11. 特に被害が大きく、今後の生活にも不安の大きい玄界島については、現地に国、県、福岡市合同の支援本部を設置するとともに、ライフラインの早急な復旧、仮設住宅の建設、漁業者への支援、倒壊家屋の復旧、教育環境の整備などへ支援策をはかること。

の11項目を要望した。
麻生知事は、「ご指摘の点は、早急にやっていきたい。特に一番被害が出ている玄界島に対しては、ライフラインの確保や道路、住宅の復旧に全力を上げ、漁業関係者だけでも島に戻り、漁業ができるようにしたい」と答えました。

 この日、国においても、首相官邸で神崎武法代表、東順治国会対策委員長、木庭健太郎参議院幹事長等が、小泉純一郎首相宛てに緊急の申し入れを行った。

3月21日7:00~ベイサイドに集合

2005年03月21日 15時29分30秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月21日
7:00~ベイサイドに集合
7:30~調査船で玄界島へ急行災害対策本部の木庭健太郎本部長、弘友和夫参院議員、江田康幸衆院議員を先頭に、県議団の野田栄市、浜崎達也、高橋雅成、そして私の4人。市議会公明党から大石修二、石田正明、川辺敦子の3議員が急行。

地元消防団の方達も緊張した面持ちで、足元を確かめながら私たちを案内してくれた。「ここから先は行ったらいかん。危なかです」消防団の声が響いた。消防団の人が指差す方向に小学校があった。「体育館が少し傾いてしもうとるでしょ・・・」私は、家が崩れたのではなく、島が崩れているという印象だった。

昨日から「やず漁」が始まったばかり。岸壁が崩れてしまっている。

「船が出せんとです。この数ヶ月で年間の半分を稼ぎよっとです。一日の水揚げは、一日三千万円は上がりよったとです」と漁協の人の顔が曇る。

伊藤和義漁協組合会長は「仮設住宅を作ってほしい。一日も早く島で暮らせるようにしてほしい」と強い要望を受けた。島を一巡した時、上空からヘリで現地に降り立った麻生知事と出会った。

島を一巡し、崩れかけた家の傍で涼やかな花の香りがした。沈丁花の木が一本「凛として」立っていた。
13:30~
 警固小学校にて避難者へのお見舞い。ほとんどが、マンションなどにお住まい。部屋の片付けに行かれていた。疲れ果てておられた。
14:40~
 西浦で被災された方々へのお見舞いと調査。陸路で近づくにつれて屋根瓦にブルーシートをかぶせる人たちが多く見られる。西浦に到着。傾いて住めない家が散見される。外見は何ともないような家だが、中に入ると部屋が傾いている。被害の調査は精査する必要がある。
 山崎福岡市長と出会った。途中、県庁の保健福祉部の課長に会った。「県庁の災害対策本部にいても現場が何を欲しているのかは分かりません。数名の職員とまず現場を見ようと来ました。自分達が何をしなければならないかが良く分かりました。」県庁職員にも現場主義の人がいてうれしかった。
16:40~
 福岡市災害対策本部へ。被害認定条件の緩和、市営住宅の確保など柔軟な対応を求めた。
17:30~県庁にて翌日の予算議会への対応

3月20日 午前10時53分頃

2005年03月20日 15時26分52秒 | 忘れまじ福岡西方沖地震
3月20日 午前10時53分頃、福岡県西方沖を震源(深さ9km)とするマグニチュード7.0の地震が発生。私は、震度6弱の揺れを自宅の2階で経験した。正直うろたえた。グラッときた瞬間、私は、タンスを押さえるのが精一杯だった。タンスを押さえながら「火災が起こる」と観念した。

 揺れがおさまり、部屋を見渡すと、本棚からほとんどの本が落ち、食器が落ち割れていた。割れた食器をかたずけているときに、不覚にも棚から落ちてきたガラスコップを握り、親指を切ってしまった。テレビをつけるとすべてのチャンネルが地震の報道をしていた。電話も携帯も通じない。かろうじてメールが通じた。メールで安否を確認しながら冷静になってきた。車で近辺を回り火災が発生していないことに安心した。公民館に避難している方達を見舞い、被害状況をメールや途切れる電話で県本部に送った。

公明党本部が、直ちに災害対策本部を立ち上げ猛烈な勢いで情報収集、対応が開始された。公明党の真骨頂が災害現場でも展開される。その一員として私は、現場を動き回った。液状化現象や歩道の隆起、地割れを発見。西新商店街でもお店の壁が剥落したり、ビン類が割れたりという被害が出ていた。ラジオから博多区でブロックの下敷きになった女性が死亡。数百人が怪我をしていると報道。とにかく情報収集に努めた。

 玄界島の人たちが自主避難を開始、九電記念体育館に一時避難。夕刻、木庭健太郎参院議員を中心に西区の志岐安彦元市議、川辺敦子市議らと一緒に、九電記念体育館に急行し、皆さんをお見舞いし、惨状を聞いた。口々に地震の恐怖を語り、着の身着のままの避難に今後の不安を訴えておられた。福岡市の職員の皆さんも懸命のお世話をしていただいていた。翌朝、一番で玄界島を調査することを決めた。