新横浜 占いの真龍堂です
金運にご利益がある神社を巡ります
今回は 秩父今宮神社 です
御祭神
祭神
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)・
須佐之男大神(すさのおのおおかみ)・
八大龍王神(はちだいりゅうおうしん)・
宮中八神
(大宮売神・神御産霊神・高御産霊神・生産霊神・
足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)・
役尊神(えんのそんしん 役行者=神変大菩薩)・
聖観音神(しょうかんのんしん)・
宇迦之御霊神(稲荷神)・
大国主命(おおくにぬしのみこと)・
厳島姫(いつくしまひめ)・
稚霊日神(わくむすびのかみ)・
栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)・
菅原道真公(天神)ほか
秩父今宮神社は日本有数の古社である。
信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、
この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、
有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である
「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。
天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、
秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで
天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。
役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である
「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、
「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となった。
平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、
37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。
永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」
が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、
宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立された。
京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に
勧請したのは天文4年(1535)。疫病が猛威をふるったため、
病魔退散を願って勧請された。永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の
一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなる。
その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。
江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と
「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」
「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、
総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。
明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、
「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と
今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、
独立して管理されるようになったが、
御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っている。
◇所在地
埼玉県秩父市中町16−10
◇交通アクセス(最寄りの駅)
秩父鉄道秩父本線 御花畑駅
<秩父今宮神社 ホームページより >
http://www.imamiyajinja.jp/
新横浜 占いの真龍堂です

◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇
真龍堂では飛沫飛散防止パネルを対面鑑定用に取付けるなど
感染予防対策を講じ営業しています
Skypeによるオンライン鑑定・電話鑑定・メール鑑定もご利用ください

◇ 新横浜占いの真龍堂10月の予定 ◇

真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください
※鑑定中の場合やご予約が入っている場合もありますが、
予約システム・お問い合わせフォーム・お電話・メール
から、まずはお気軽にご連絡ください
電話に出られない時もありますが必ず折り返し連絡しております
※指定曜日(時間)以外でも可能でしたら対応させていただいております
電話 080-6597-7388
メール ma@shinryu-do.com


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今回は 秩父今宮神社 です
御祭神
祭神
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・
伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)・
須佐之男大神(すさのおのおおかみ)・
八大龍王神(はちだいりゅうおうしん)・
宮中八神
(大宮売神・神御産霊神・高御産霊神・生産霊神・
足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)・
役尊神(えんのそんしん 役行者=神変大菩薩)・
聖観音神(しょうかんのんしん)・
宇迦之御霊神(稲荷神)・
大国主命(おおくにぬしのみこと)・
厳島姫(いつくしまひめ)・
稚霊日神(わくむすびのかみ)・
栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)・
菅原道真公(天神)ほか
秩父今宮神社は日本有数の古社である。
信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、
この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、
有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である
「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。
天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、
秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで
天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。
役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である
「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、
「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となった。
平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、
37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。
永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」
が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、
宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立された。
京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に
勧請したのは天文4年(1535)。疫病が猛威をふるったため、
病魔退散を願って勧請された。永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の
一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなる。
その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。
江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と
「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」
「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、
総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。
明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、
「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と
今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、
独立して管理されるようになったが、
御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っている。
◇所在地
埼玉県秩父市中町16−10
◇交通アクセス(最寄りの駅)
秩父鉄道秩父本線 御花畑駅
<秩父今宮神社 ホームページより >
http://www.imamiyajinja.jp/
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