心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

敗戦月の参拝

2012年08月02日 | 参拝



8月1日、いつもの伊勢参拝を行って来ました。いつもと異なる点は、寄り道をした事です。伊勢までの道のりは車両を使っておりますが、丁度京都から滋賀へ抜ける当たりの比叡山で下車し、今注目を浴びている大津市立皇子山中学校へと向いました。

比叡山からこの地域へ抜ける山道を通過中、非常に気の巡りが良くないと察知し、ふと、神戸連続殺傷事件があった峠にある神戸市立友が丘中学校の記憶と重りました。

今から15年前、神戸市長田区にあるお墓の墓参りの帰り道、何も考えもせず、北廻りの高速道路を選んだのですが、そこに向おうとした峠で、非常に邪気を感じ、気分が一転しました。邪気というものは、歴史的な見地からも積み上げられたものでもあります。例えば、交通事故がよく生じる場所というのは、何らかの因果関係はあります。偶然の産物ではありません。引き寄せられる何か、そんなものがこの世にはあちこちあります。

この15年前に通過した峠の頂上手前には、被告少年が通った神戸市立友が丘中学校があり、被害者の首が置かれた校門の前がこの峠を抜ける前面道路でありました。この峠一体には、覆い尽くすかの如く、この邪気が感じられ、酷く滅入ったものです。人間の精神にも過分に影響を及ぼす地場のエネルギーというものがあり、わたしはこの時、こころから恐怖心を覚えたわけであります。

日本は農耕民族とは言え、戦国時代もあったわけですから、日本全国津々浦々、大勢の人々が殺され、処刑され、そのご遺体も粗末に扱われた時代が確かにありました。自然な驚異である大きな災害においても、何かしら、災いを封じ込めるために、悲惨な死を遂げた方々を人神として崇め、供養をして来た歴史もあります。自然神と人神を共に崇拝されたのは、ある種古来の日本人は、傲慢でありながらも、謙虚さを兼ね備えたからこそ、崇拝したのかもしれません。今でも、事件や事故で理不尽な死を遂げられた人々の存在はあるわけですが、現在見ず知らずの方の死に、手を合わせる事もなくなりつつあるのでしょう。

わたしが神様に手を合わせるようになり、祈りの種類を増やしてきた一つに、不慮の事故や事件で亡くなられた方々への哀悼があります。亡くなられた方々の魂と無念の想いを浄化させ、引き上げて頂く事、これを神様に嘆願しています。

その思いから、今回大津市立皇子山中学校周辺へと立ち寄ったわけですが、この地域を通過するだけでも、さまざまな事が感じられました。新聞報道だけでは感じられない空気です。周辺には高層マンションが10棟ほどあり、車両でぐるぐると廻っておりましたが、1つここだと察知したマンションがありました。わたしはその敷地に面した駐車場へと入ったのですが、気分が滅入り、そのままUターンし、再び道路へと出ました。

自殺か他殺かなど、疑義を含む出来事ですが、わたしはむしろその前段を感じました。それは、亡くなった少年の通学中に、加害少年の一人と遭遇した点。そして、絡まれている点。その絵が浮かびました。少年が抵抗しているのを感じました。次が、数字の3、この3が浮かびました。そして、現場を離れ車中想いを巡らせていますと、やはり落ちた階は3階からで、その時加害少年も傍におり、どうも自殺とも他殺とも言いがたい絵が浮かびました。どちらかと言えば、誤って落ちてしまった、この情景が浮かぶのです。

もともと、加害少年には罪という意識が希薄ですから、ふざけた延長にしか捉えてはいません。それは、裁判での答弁でも分かると思います。何が罪なのか、何が悪いのか、その善悪の判断基準そのものを持っていません。ですから、掴んで悪ふざけで落下させてしまったのだろうと、現地周辺を通過して、その答えに車中たどり着きました。よって、加害少年には殺意はありません。しかし、自殺でもありません。客観的に見れば、傷害致死というような事故であると感じられます。

わたしのこころの中での問いかけは、少年に向けて集中し、語りかけたのですが、どちらかと言えば、地上で加害少年と遭遇し、もめている時が一番嫌がっている様子です。どこか、被害少年は、このマンションに上がった段階で、自らの死を察知していたのかもしれません。後、【階段】この場所が何度も感じました。もしかすると、階段の手すりで押し問答があったのかもしれません。

車中、非常に重たい気持ちと同時に、自殺でもなく、殺意のある他殺でもなく、執拗ないじめの中で展開してしまった事故、少年達の無知故にある残虐性、現地に赴き、感じ取った事を集約すれば、このようなものでありました。胸に去来したものは、警察捜査と加害者の自供とは異なる根拠のない話ですが、断片的な感受には、何らかのキーワードにはなるであろうと思っております。






寄り道した車中、重たい空気でありましたが、遅れを取り戻すためかなりのペースで走行致しました。伊勢に入り、まずは内宮へと参拝です。この日高温多湿で熱中症を危惧していたのですが、誠に有難い事に、寄り道した事もあって、曇も多く、そして風も吹き、時折日差しは厳しいものでしたが、恐れていた程暑くはありませんでした。

内宮での鳥居をくぐり、手洗い場で手を洗い、その足でいつも五十鈴川でご挨拶をしています。ここで二礼二拍手一礼をし、本殿を御参りする前に、五十鈴川一体にいる神様に、不浄を払って頂くようここで静かに目を閉じ、少し手を脇より離します。1分ぐらいは直立で滞在しているでしょうか。川の流れる水の音、川で手を入れる人々の声など聞こえつつも、ここで、神様とこころの対話を求めます。いつも、こちらの報告ばかりですが、この日は違っていました。神様の方から、わたしに伝言をなされました。


この世にいる生き物、動物も、人間も、わたしの前では全て等しく平等である。
しかし、人間は動物とは異なる点がある。
それは、神を感じていることだ。
その感じる力が、動物と人間の差だ。
決して、その力を忘れるな。


この伝言とも言うべきメッセージは、感嘆でありました。何故故に。なぜ、今日、このような言葉をわたしに感じさせたのだろう。わたしは、目を開き、二礼二拍手一礼をし、五十鈴川を後にしながら、本殿へと向いました。この間、歩きながら、神様が伝えたい事は何だったのだろうと、必死に考えながら歩きました。そして、このメッセージが非常に強烈な風刺であることに気付かされたのです。

前段にある、動物も人間も等しく平等、これは以前にも感じたものですが、動物との差は、思考であると言う事と同時に、その神様を感じる力とは、何を指すのか?それは、畏敬の念であり、崇拝する心を指しているのだ、という事に気付き始めました。それを逆説的に捉えると、そうした畏敬の念や崇拝する心を持っていない人間は、動物と何ら変わりのない生き物だろうという答えに辿りついたのです。

このメッセージには参りました。確かにそうです。動物は神々の存在を崇拝する事はありません。畏敬の念も持ちません。自然の摂理の中で生き、抵抗することなく、死を迎えます。しかし、人間は自然の摂理の中で生きながらも、自然と抵抗しながらも生きています。この狭間で、畏敬の念や崇拝する心を持つ事の大切さを忘れ、人によっては、神様そのものもいないと思う人もいるのでしょう。

自然に宿る神々は、人間に向け、オマエ達は動物か?人間として保持するものはないのか?と問うているわけです。神々の存在を信じているわたしにとって、このメッセージはあまりにも強烈な皮肉でありました。

おそらく、わたしが寄り道をした事によって、促した伝言であろうと思いますが、このままでいけば、多くの日本人は自然に対する畏敬の念や、神々に対する崇拝する心を失っていくだろう、そうなった時の人間は、動物と何ら変わりがない生き物になるぞ、と警告しているかのようでした。





8月は、お盆の月でもあり、また戦争に負けた月でもあるため、本殿に到着した後、先月無事に乗り越えた感謝と今月も無事に生かして頂く事をお願いし、8月15日の敗戦で亡くなられた全ての先人のご供養をお祈りして来ました。加えて、先ほどの感受もあったため、この国の建て直しを嘆願した次第です。この日、本殿では本当に優しくして頂きました。不思議なほど、心地よかったです。

次に御参りしたのが、本殿北側に位置する荒祭宮です。ここは、大変正直で厳しい事も伝授される神様でもあり、いつもこころを引き締め御参りさせて頂く場所です。この日は、わたしの目の前に2歳満たないぐらいの女の子がヨチヨチ歩いており、思わず見入ってしまいました。どうやら、その女の子の両親は、荒祭宮で参拝せず、通過されるようで、女の子に『だめよー、こっちよー』と声を掛けていました。

しかし、その女の子は、小さな足で一つ一つ石段を上がっていき、途中で振り返ると両親に向って手を合掌し、おじぎをし、また正面に向って石段を上がって行きました。わたしは、この女の子が、天照坐皇大御神荒御魂に呼ばれているため、呼んでいる声の方に一生懸命上がっているのだと感じ、即座に駆け寄りました。丁度、石段半ば当たりで両親が諦め、下から上がって行きました。

両親が女の子を叱ってもいけないと想い、わたしは女の子に向って、『えらいね~、神様に手を合わせようね~、賢いね~』と声を掛け、両親にも聞こえるようにしました。両親は少し微笑みながら最終的には、一緒について上がって来られました。

一番上まで到着すると、女の子は、神様に呼ばれている方向へテクテクと歩いていき、垣根を越えて、玉石の敷地に入ってしまいました。まぁ、神様が呼んでいるので仕方はありませんが、両親もどうしていいものやら、困惑していました。すると、この玉石を整備している若い作業員の青年が、一礼をし、その敷地内に入ってくれて、女の子も無事に両親の元へ戻す事が出来、その後ちゃんと正面で御参りをされ、最後はダッコし、階段を下りられて行きました。

この女の子の歩行に触れ、何の迷いもなく、そして両親にもしぐさで神様に呼ばれている事を表現していたので、驚きと共に、この親子へ幸あれと、こころで願いしました。





その後のいつものコースでありますが、神楽殿前での受付には、いつもの宮司様が待っていましたといわんばかりの笑顔で出迎えて頂き、自ら控え室までご案内頂きました。控え室で待機しておりますと、どうも他に申込者がおらず、結果わたし1組での御神楽となりました。ご神殿の大広間に、ポツンと座るのも、貴重な経験であります。

おまけに、この日は祝詞を読み上げて下さる宮司様が、わたしが大好きな宮司様でした。祝詞も創作部分があり、宮司様各様にセリフも異なるため、わたしがおおお!っと感じた宮司様には、祝詞に盛り込まれた内容に、『月参りかかすことなく~』というセリフが盛り込まれています。祝詞は、ご神殿に向け発せられるものですから、神様に聞いて頂く内容になります。この一フレーズを述べられる事は、わたしに取りまして、大変有難き一言なわけです。

しーんとした神楽殿内で祝詞を読んでいただき、雅楽の演奏も聴き、この日は格別なものを感じさせて頂きました。有難き、御神楽であります。

演奏が終わり、御下がりを頂いた後は、表札購入という頼まれ事があったため、境内の神宮崇敬会にて購入しようと表札そのものを見せて頂いたのですが、包装紙がないということで、会館なら包装出来ると仰り、そちらへ行く事になりました。

内宮を出て、おかげ横丁の角にある赤福へ立ち寄ると、これまで購入する事が出来なかった壱日餅が数箱残っており、声を掛けて頂いたので1箱購入することにしました。壱日餅は、赤福が毎月1日にしか作らないお菓子で、早朝参拝の方々が購入されるため、貴重な代物である事は知っていました。なかなか購入が難しいものだけに、買ってはみたものの、サイズは大しかなく、日持ちがしないので、どうしようかな~と想いを巡らせていました。

とはいえ、おなかも減ります。時間は15時にもなり、いつもの『どん丼亭』でうなぎ丼と伊勢うどんのセットを食べにお店へ入りました。しかし店内は誰もおらず、今日は参拝客が少ないと改めて感じることとなりました。すっかり顔なじみになったこのお店では、今日はおかみさんが一人、厨房で調理をされ、外では呼び込みにご婦人が対応されていました。

わたしはご飯を食べ終わったら、壱日餅をおかみさんと分けようと思い、食事が終わった後に、おかみさんに『すみません、ご無理を言っていいですか?あの・・・実は・・・』と壱日餅のお話をし、わたし自身4つだけ欲しいので、ラップを頂きたいという事と、残りはおかみさん達で召し上がって頂くようにお願いしました。おかみさんは恐縮し、食事代金のお金の500円玉をわたしに渡そうとされたので、『食事代と、これは、別ですから。そんな気遣いしないで下さい。』と丁重にお断りし、せっせと小分けをさせて頂きました。

おかみさんも気を遣われたのか、壱日餅は予約が出来るのでと仰り、小さなメモで赤福の予約電話番号をわたしに渡し、予約した場合の商品受け渡し場所などを説明して下さいました。

顔しか知らない、名前も知らない、毎月一日に食べに来る客であっても、幾度と無く通えば情も互いに沸くものなのでしょう。今日は壱日餅を分けましたが、また来月はどうなることやら。





内宮内の神宮崇敬会で購入しなかった表札を、神宮会館にて購入するため、店をあとにし、御下がりの紙袋と赤福を片手に、10分ほど歩き、到着しました。ホールの横にある売店では、内宮内には置いていないものも数々あり、思わず見入ってしまいました。

ぐるっとレジを中心に商品が陳列されていたため、わたしはゆっくりと見渡しながら、レジ前付近で立ち止まりました。そこには書籍コーナーがあり、あれ?っと気付き手にその書籍を取りました。それは、竹田恒泰さんの『現代語古事記』というぶあつ~い書籍でありました。

随分前に、竹田先生がテレビにご出演された際、とにかく全ての日本人の人に知ってほしい、それは日本の歴史を知る手がかりとしてまずは、古事記を読んで欲しいと言われていた事を思い出しました。

あ・・・・・

わたしは、今日内宮本殿前において、”この国の建て直し”を嘆願したのと合致し、その書籍を手にした時、呼ばれたなぁと、この本と出会うように今日はなっていたなぁと感じました。表札購入の依頼を受けたのは、あくまでも、ここに導かれるためのものにしか過ぎなかったという事を察知しました。

レジにて、上品なご婦人に書籍をまず渡し、精算してもらい、続けて表札の購入を申し出すると、ご婦人は即座に5つほど箱を並べ、さっと蓋を開き、『柾目がございますので、お好きなものをどうぞ、見て購入下さい』と仰ってくれました。

ああ・・・、なんと出来たご婦人だ。わたしは思わず嬉しくなり、即座にこれでと決め、包装をお願いし精算をしました。包装の包み方も、エレガントなわけです。また、精算後も大きな袋はご入用ですか?とお尋ねされる念の入れように、深々とおじぎをし、『お気遣い有難うございます。袋はこちらで取りまとめ致しますので、結構でございます。有難うございます。』とさらにおじぎをし、この場を後にしました。

丁寧に接して頂いたご厚意に対し、昔の日本人の姿を重ね合わせ、心地よさに包まれながら、会館を後にしました。

その後、猿田彦神社、月讀宮、外宮を参拝し、寄り道した分時間が押して、参拝終了時間は午後7時前でありました。






暑さ厳しき8月1日の参拝でありましたが、それでも、祈りに対し神様が応えるかのような、導きの組み合わせに、改めて戦前の日本にあったより良き日本人のこころを顧みることになりました。

わたしの中にある、憂いそのものは、この国の衰退であり、日本人の魂の喪失感に尽きます。先日、朝まで生テレビにおいて、憲法を議題にした議論が繰り広げられていましたが、そもそも、日本人はどのような民族性を持っていたのか、そして戦争を負けた事によって、何が骨抜きになったのか、今一度本気で考えねばならない時期を迎えていると思います。

この日、五十鈴川で感じた神様からの伝言は、わたしには警告として強く感じるものがありました。神様も、止める事が出来なかった東日本大震災、そして、神様も、止める事が出来ないでいる日本人の精神、神様は本当に憂いているのだろうと感じます。

統治システムと民族性、神様の伝言は、この両方を糾す事への問題提起だとは感じましたが、一体、この憂いをどれだけの人々が我が身がナイフで切られるかの痛みのように感じているのか、想像するにあまりにも少ない人数であろうと感じています。



昭和20年8月15日、この日を境に、わたし達は一体何を失ったのでしょう。
何を守り、何を捨てたのでしょう。
その判断は、正しいですか? その判断の後の行く末は、見えていますか?
神様は、日本人に対し、今、等しく問いかけているかのようです。
重い、重い、問いかけであります。

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