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天下分け目の 関ヶ原の合戦はなかった!

2018-05-08 | 歴史
東海古城研究会の会員でもある高橋陽介さん。
これまでも自費出版で3冊を出版された。
第一弾 一次資料にみる関ヶ原の戦い。第二弾 一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)
第三弾 豊臣秀吉の死去は 朝鮮在陣の島津義弘らに どのように伝わったのか
そして 第四弾 天下分け目の 関ヶ原の合戦はなかった を河出書房新社から出版された。

センセーショナルなタイトルとは裏腹に、これまでも一次資料といわれる古文書の原文を
丹念に読み込んで読み解き、いわゆる「通説」とは異なる説を発表してこられた。

右から 第一弾~第四弾
第一弾から第三段までは原文の翻刻と読み下し、現代文訳で、なれないと読みにくい
印象が有ったが、第四弾は現代文訳のみで記述されているので、読みやすかった。

・石田三成の陣は自害峰に近い藤下付近、戦いは山中と言われる地区で行われた。
・徳川家康は桃配山へは着陣しなかった。
・大谷吉継の陣は藤古川の東側だった。・・・・などなど
衝撃の内容だが、通説を信じてきた者にとっても納得できる説が展開せれている。
第四弾は一般書店やAmazonなどで販売されている。


自害峰と藤下あたり 中山道を不破の関から西に向かうと籐古川があり
川を渡ったあたりが藤下になる。左手奥が自害峰、右側に石田三成の陣が有ったという
ことです。 定説では、石田三成の陣は笹尾山で、ここから約1.5Km北側です。


自害峰の三本杉
自害峰の名は壬申の乱で自害した大友皇子の首をこの尾根に埋葬し、自害峰と呼び目印が三本杉だという伝承からだそうです。巨樹・大木好きなら必見です。


自害峰の遺構?
大垣から、夜 雨の中を移動した西軍が布陣して、4時間ほどで戦闘が始まったので本格的な陣地はなかったと思われ、現地を見ても遺構は明確ではない。現代には果樹園なども有ったようなので、遺構との見分けは難しい状態です。

関ヶ原の合戦も神君家康公を顕彰する物語として伝わり、定説化したようで
古文書を丹念に読み解くと、ずいぶん違ったものになるようです。