2泊3日の特別見学会は2日目を迎えた。前日は、結構比高のある要害山城と
八王子城を見学したが、今日は平城の群馬県藤岡市の平井城からスタートします。
関東管領山内上杉氏の居城であった平井城は、室町時代の永享の乱があった
永享10年(1438)頃に、山内上杉氏の命によって築かれたと伝わります。
永享の乱によって、鎌倉公方足利持氏と対立した山内上杉憲実は鎌倉から
上州平井に退去しました。平井城の詰の城として南西1.2KMには平井金山城が
あります。
平井城は越後の長尾景虎(上杉謙信)の元に身を寄せるまで120年間関東管領の
城として上杉氏が在城しました。(以上、地元ガイドさんから頂いた資料を要約)
平井城の遺構は、殆どが住宅地や耕作地、畜舎などになり、城の遺構としては
少ししか残っていませんでした。本丸部分は寺院が建てられたため墓地とともに
残ったようです。その寺院も今はなく、地元の方の努力と地権者の方の協力で
なんとか遺構の一部が復元され、公園化されていました。
復元された土塁の一部 背景に詰城の平井金山城が見える
公園に立つ案内板 二の丸と堀跡の文字は加筆しました。
復元された堀と橋
ほんの一部の復元だが、これだけでも貴重なものだ。
本丸の一部に墓が残る 以前は寺院もあった
二の丸跡 今は耕作地となっている
関東管領として120年間山内上杉氏が拠点とした城としては、現況はやや寂しい
感じがするが、遺構を残したり復元することよりも大事なことが生活の中には
有るので、ここまでのご努力に 感謝!
次は、石垣遺構がしっかり残る群馬県太田市の太田金山城に向かいます。
八王子城を見学したが、今日は平城の群馬県藤岡市の平井城からスタートします。
関東管領山内上杉氏の居城であった平井城は、室町時代の永享の乱があった
永享10年(1438)頃に、山内上杉氏の命によって築かれたと伝わります。
永享の乱によって、鎌倉公方足利持氏と対立した山内上杉憲実は鎌倉から
上州平井に退去しました。平井城の詰の城として南西1.2KMには平井金山城が
あります。
平井城は越後の長尾景虎(上杉謙信)の元に身を寄せるまで120年間関東管領の
城として上杉氏が在城しました。(以上、地元ガイドさんから頂いた資料を要約)
平井城の遺構は、殆どが住宅地や耕作地、畜舎などになり、城の遺構としては
少ししか残っていませんでした。本丸部分は寺院が建てられたため墓地とともに
残ったようです。その寺院も今はなく、地元の方の努力と地権者の方の協力で
なんとか遺構の一部が復元され、公園化されていました。
復元された土塁の一部 背景に詰城の平井金山城が見える
公園に立つ案内板 二の丸と堀跡の文字は加筆しました。
復元された堀と橋
ほんの一部の復元だが、これだけでも貴重なものだ。
本丸の一部に墓が残る 以前は寺院もあった
二の丸跡 今は耕作地となっている
関東管領として120年間山内上杉氏が拠点とした城としては、現況はやや寂しい
感じがするが、遺構を残したり復元することよりも大事なことが生活の中には
有るので、ここまでのご努力に 感謝!
次は、石垣遺構がしっかり残る群馬県太田市の太田金山城に向かいます。