城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

甲州・要害山城

2018-05-24 | 歴史
5月18日~20日は東海古城研究会の2泊3日の特別見学会に参加。
要害山城→八王子城→平井城→太田金山城→唐沢山城→小山評定跡→祇園城
→鷲城→結城城→古河城を見学しました。

順次見学の模様を紹介したいと思います。 まずは山梨県の要害山城からです。
ここは昨年の見学会で麓の登城口まで行きましたが、あいにくの雨で再訪問を
誓って、見学を断念したので、再度訪れました。

武田信玄の父親の武田信虎が、平地居館の躑躅ヶ崎館の「詰の城」として
築いたといわれる山城で、武田信玄はここで誕生したと伝わります。
麓の積翠寺に信玄公産湯之井戸があり、積翠寺で誕生したという伝承も有るようです。

この城は、背後の高い山の尾根筋に築かれた山城で、背後の尾根からの攻撃に対しての
厳重な防御を意識した遺構を見ることが出来ました。


一番目の城門跡
登城口から主郭までの間に8ヶ所の門と10の曲輪があり、長い上りの所々には
古い石積も見られた。 ほとんどの城門には虎口と枡形が備わっていて、
それぞれが地形に応じて形が違っているのが興味深かった。


主郭背後の大きな掘切には石積が見られる
主郭は、背後からの攻撃に備えて、高い土塁と、土橋の両側を削り込んだ大きな掘切と
それに続く竪堀があった。予想外の堀の規模と石積に参加者のスゴイ!の声が大きかった。


大きな竪堀で両側を削り込み、折れを用いた細い尾根道
大きな掘切の先には人ひとりが通れる程度の幅に尾根を削り込み、更にわざと道を曲げて
折れを入れ、直線的に進めない様にした尾根道が続いていた。
これも、背後から尾根を通って攻撃する敵に対する備えでしょう。
この先にも掘切が2ヶ所有って守りを固めていたようですが、今回は時間の都合で
見学はここまででした。