三雲城は滋賀県湖南市にあります。1478年に三雲典膳が主家の觀音寺城主六角高頼の命によって築いたのがはじめとされます。時は流れて1568年六角承禎が織田信長の上洛軍と対峙し觀音寺城から三雲城に逃れたと伝わります。その後1570年に信長軍の佐久間信盛に攻められ三雲城は落城したとされます。
六角承禎は変転を経て生き永らえ、後に豊臣秀吉の御伽衆になりました。
過日のウッディパル余呉の城郭見学会(城郭フォーラム)に参加し三雲城を訪れました。城郭フォーラムは滋賀県の城郭研究家・長谷川博美先生が解説と案内をしてくださいました。

三雲城 見どころの一つ 八丈岩
三雲城は岩石の山で、城域にも巨岩があちこちで顔を出していますが、城道に立ちふさがるように八丈岩と呼ばれるひときわ大きい岩を見ることができました。

最大の見どころ 枡形虎口に到着 ワクワクします!
三雲城の見どころは多いのですが、なんといってもこの枡形虎口が最大の見どころです。
長谷川先生の解説では、はっきりした枡形空間を持っていないので少し前の年代の鈎折れの形の導入進路の虎口が(暫定的に)考えられるとのお話でした。
落城後の改修や材の持ち出しがあったとの説もあるようなので、現段階での決定的な結論は難しいようです。

L字形に残る枡形虎口の巨石の石積
片側しか石積が見られないのは、七尾城の九尺石の虎口もそうでしたが、後世の崩落や石の抜き取りなども考えれれるのかもと思いました。それにしても大迫力の石積で、この虎口を通って城内に向かう人は、さぞかし威圧感を感じたことでしょう。

L字枡形虎口の反対側の斜面に築かれた竪土塁
枡形虎口の巨石に目を奪われていると、この竪土塁が重要だと解説がありました。確かに枡形虎口からの侵入者を上部から狙い撃ちできる位置に竪土塁の遺構がありました。見落としがちな遺構を丹念に解説していただけるのが長谷川先生の見学会だと改めて感心しました。

L字枡形虎口を上から見下ろす
振り返って見ると、枡形の石積の迫力に改めて驚きますが、ひょっとすると往時はこの上にまだ石組みがあって更に高かったかもしれないと想像しました。写真右側には石組みはありませんが、もともとなかったのか??です。この斜面に竪土塁が築かれています。ここからもう一度写真の左手に道が曲がって井戸のある曲輪へ入ります。

井戸のある大きな郭 写真奥に巨大な土塁が見える
城内で最大の面積の郭で二の丸に該当するようです。

破壊道に注意!
見学路の途中で土塁を切り取った道(破壊道)がありました。長谷川先生の解説がなければ小さな虎口だと思ってしまうところでした。切り取った断面を丁寧に見ると、道はあとから付けられとことが判りました。

城道の途中の食い違いの堀切
通常の見学では立ち入らない奥へどんどん進みます。途中の土橋状の道で食い違いの堀切の解説がありました。確かによく見ると食い違った堀切の遺構が浅く残っていました。

現代の石切り場跡
三雲城の城域を西に進むと林道に出ました。更に西には(仮称)奥の城があり、見学会ではそこまで行きました。その間の道筋に現代の石切り場跡を見ることができ、改めて三雲城が岩石の山であることを確認できました。
今回の見学会でも長谷川博己先生がご自身で計測した緻密な縄張図に基づいて、普通なら見過ごしてしまう遺構の数々の解説があり丹念に見学することができ大満足の見学会でした。
六角承禎は変転を経て生き永らえ、後に豊臣秀吉の御伽衆になりました。
過日のウッディパル余呉の城郭見学会(城郭フォーラム)に参加し三雲城を訪れました。城郭フォーラムは滋賀県の城郭研究家・長谷川博美先生が解説と案内をしてくださいました。

三雲城 見どころの一つ 八丈岩
三雲城は岩石の山で、城域にも巨岩があちこちで顔を出していますが、城道に立ちふさがるように八丈岩と呼ばれるひときわ大きい岩を見ることができました。

最大の見どころ 枡形虎口に到着 ワクワクします!
三雲城の見どころは多いのですが、なんといってもこの枡形虎口が最大の見どころです。
長谷川先生の解説では、はっきりした枡形空間を持っていないので少し前の年代の鈎折れの形の導入進路の虎口が(暫定的に)考えられるとのお話でした。
落城後の改修や材の持ち出しがあったとの説もあるようなので、現段階での決定的な結論は難しいようです。

L字形に残る枡形虎口の巨石の石積
片側しか石積が見られないのは、七尾城の九尺石の虎口もそうでしたが、後世の崩落や石の抜き取りなども考えれれるのかもと思いました。それにしても大迫力の石積で、この虎口を通って城内に向かう人は、さぞかし威圧感を感じたことでしょう。

L字枡形虎口の反対側の斜面に築かれた竪土塁
枡形虎口の巨石に目を奪われていると、この竪土塁が重要だと解説がありました。確かに枡形虎口からの侵入者を上部から狙い撃ちできる位置に竪土塁の遺構がありました。見落としがちな遺構を丹念に解説していただけるのが長谷川先生の見学会だと改めて感心しました。

L字枡形虎口を上から見下ろす
振り返って見ると、枡形の石積の迫力に改めて驚きますが、ひょっとすると往時はこの上にまだ石組みがあって更に高かったかもしれないと想像しました。写真右側には石組みはありませんが、もともとなかったのか??です。この斜面に竪土塁が築かれています。ここからもう一度写真の左手に道が曲がって井戸のある曲輪へ入ります。

井戸のある大きな郭 写真奥に巨大な土塁が見える
城内で最大の面積の郭で二の丸に該当するようです。

破壊道に注意!
見学路の途中で土塁を切り取った道(破壊道)がありました。長谷川先生の解説がなければ小さな虎口だと思ってしまうところでした。切り取った断面を丁寧に見ると、道はあとから付けられとことが判りました。

城道の途中の食い違いの堀切
通常の見学では立ち入らない奥へどんどん進みます。途中の土橋状の道で食い違いの堀切の解説がありました。確かによく見ると食い違った堀切の遺構が浅く残っていました。

現代の石切り場跡
三雲城の城域を西に進むと林道に出ました。更に西には(仮称)奥の城があり、見学会ではそこまで行きました。その間の道筋に現代の石切り場跡を見ることができ、改めて三雲城が岩石の山であることを確認できました。
今回の見学会でも長谷川博己先生がご自身で計測した緻密な縄張図に基づいて、普通なら見過ごしてしまう遺構の数々の解説があり丹念に見学することができ大満足の見学会でした。