小長谷城は静岡県榛原郡川根本町にあります。小長谷城は「こながいじょう」と読むようで小長井をあてることもあるようです。
「静岡の山城ベスト50を歩く」では遠江の山城に分類されていますが「静岡県の中世城館跡」(静岡県教育委員会文化課・編)によると駿河に分類されています。
それはさておき、小長谷城は大井川をさかのぼり、SLで有名になった大井川鉄道の千頭駅の対岸にあります。城域は大井川に突き出した崖上の台地に作られ、神社、学校や海洋センターの造成工事で一部の遺構が失われたようですが、三日月堀の丸馬出などの遺構がよく残っていました。

現地案内看板の図を抜粋して加筆・図の下が北に注意!
小長井氏は当初今川氏に属したが、武田氏の南進で武田氏に属したとされ、今残る城郭遺構は武田氏に属した時のものと考えられています。
遺構にはA:食違い虎口 B:桝形虎口 C:丸馬出 D:角馬出 などの各種遺構が揃っていました。

徳本神社の参道と城址碑
Aの食違い虎口は徳本神社造営時の参道工事で半分くらいが失われていましたが、よく見ると一部が残されていました。

一号堀 徳谷神社の裏側
小長谷城は神社のある主郭と海洋センターのある副郭に別れていて、両者の間には堀があったとされます。堀は現在埋められて道路となっていました。
神社の裏側には一号堀と二号堀が二重に掘られて山側(東側)の防御をしています。

主郭の三の丸
主郭は三段に削平されていて、案内板では神社のある上段から本丸、二の丸、三の丸と名付けれれていました。三の丸の参道入口がAの食違い虎口です。三の丸には石積の深い井戸がありました。写真の奥には曲輪を囲む土塁が見えています。

三号堀 いわゆる三日月堀で武田氏時代の築造とされる
南東隅(図では左上に注意!)に三号堀(三日月堀)がありました。Bの半円形の土塁との組み合わせで、武田流の丸馬出が築かれていました。

五号堀 今は道路工事でかなり埋まっている。 奥に副郭の海洋センターが見える。
写真左手が西です。道路の西側にも城域が伸びていたようです。五号堀は右手に曲がって海洋センター下(今は道路)を東に伸びて一号堀につながっていました。
図のCの附属曲輪と名付けられた部分は各馬出とされ地ますが、帰宅してから改めて図や資料をを見ると、西側(図では下)の鳴沢の崩落があったようなのでヒョットするとCの曲輪も丸馬出だったのが崩落で削り取られたのかもしれないと思いました。
小長谷城は自宅からの距離があるので、ついつい駆け足の見学になってしまいましたが、もう一度ジックリ見学したい興味深い城郭でした。
「静岡の山城ベスト50を歩く」では遠江の山城に分類されていますが「静岡県の中世城館跡」(静岡県教育委員会文化課・編)によると駿河に分類されています。
それはさておき、小長谷城は大井川をさかのぼり、SLで有名になった大井川鉄道の千頭駅の対岸にあります。城域は大井川に突き出した崖上の台地に作られ、神社、学校や海洋センターの造成工事で一部の遺構が失われたようですが、三日月堀の丸馬出などの遺構がよく残っていました。

現地案内看板の図を抜粋して加筆・図の下が北に注意!
小長井氏は当初今川氏に属したが、武田氏の南進で武田氏に属したとされ、今残る城郭遺構は武田氏に属した時のものと考えられています。
遺構にはA:食違い虎口 B:桝形虎口 C:丸馬出 D:角馬出 などの各種遺構が揃っていました。

徳本神社の参道と城址碑
Aの食違い虎口は徳本神社造営時の参道工事で半分くらいが失われていましたが、よく見ると一部が残されていました。

一号堀 徳谷神社の裏側
小長谷城は神社のある主郭と海洋センターのある副郭に別れていて、両者の間には堀があったとされます。堀は現在埋められて道路となっていました。
神社の裏側には一号堀と二号堀が二重に掘られて山側(東側)の防御をしています。

主郭の三の丸
主郭は三段に削平されていて、案内板では神社のある上段から本丸、二の丸、三の丸と名付けれれていました。三の丸の参道入口がAの食違い虎口です。三の丸には石積の深い井戸がありました。写真の奥には曲輪を囲む土塁が見えています。

三号堀 いわゆる三日月堀で武田氏時代の築造とされる
南東隅(図では左上に注意!)に三号堀(三日月堀)がありました。Bの半円形の土塁との組み合わせで、武田流の丸馬出が築かれていました。

五号堀 今は道路工事でかなり埋まっている。 奥に副郭の海洋センターが見える。
写真左手が西です。道路の西側にも城域が伸びていたようです。五号堀は右手に曲がって海洋センター下(今は道路)を東に伸びて一号堀につながっていました。
図のCの附属曲輪と名付けられた部分は各馬出とされ地ますが、帰宅してから改めて図や資料をを見ると、西側(図では下)の鳴沢の崩落があったようなのでヒョットするとCの曲輪も丸馬出だったのが崩落で削り取られたのかもしれないと思いました。
小長谷城は自宅からの距離があるので、ついつい駆け足の見学になってしまいましたが、もう一度ジックリ見学したい興味深い城郭でした。