諏訪原城出曲輪は静岡県島田市金谷城山町にあります。
諏訪原城の案内図によれば諏訪原城の出曲輪として描かれています。
旧国道一号(現 県道381号)が金谷の町から牧之原台地に登る途中にあり、諏訪原城の見学をしても出曲輪の見学をする機会は少ないのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7a/9be3600ab33a0298f00a46f9c5dd84b2.jpg)
出曲輪の位置 諏訪原城 案内板の図
旧国道1号の道路工事で出曲輪の一帯は道路で取り巻かれたように改変され、諏訪原城本体との関係が断ち切られてしまっています。そのため諏訪原城本体との関連の調査研究は今の所進んでいないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/31/8da9190c67b00ad5b3b1041ce6be863b.jpg)
出曲輪縄張図 発掘調査報告書より
縄張図を頼りに現地を訪れました。旧国道からの進入路は細い道で、個人宅に入っていくのではないかと心配しながら恐る恐る狭い路地を進みました。
この図を参照して以下をご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/87/c45e58ca5189ac367030158649b7c2c9.jpg)
進入路入口には「城山延命地蔵尊入口」の看板がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ca/088a8be201362d7e9cba08dfa504dbd0.jpg)
城山延命地蔵尊の小祠と周辺
細い路地をたどって城山延命地蔵尊の祠のある場所に出ました。
たまたま居合わせた付近の住民の方にお話をお聞きしました。写真左手Dには滝が有ったとのことでした。
近世になって、ここに人が住むようになり公営水道が引かれるまで、諏訪原城内のカンカン井戸から水を引いて使っており、その水を利用して滝が作られた。おじいさんの頃までは滝が流れていた、と伺いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/46/1c2a8e870e35e954151a1a248fdde27d.jpg)
出曲輪 櫓台と削平地が有る
今に残る地形だとAが櫓台、Bの平坦面が曲輪のようですが、児童公園になっているのでどの程度の改変があるのかは明確ではありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/43/fa9dc822d76fbc05be9313a8e143ebc1.jpg)
櫓台地形Aは大きな岩の上
付近の住人の方のお話では、この付近一帯だけが岩の上にあり、諏訪原城から大井川への崖が崩れずに残されていたので出曲輪が作られ、後になって人が住むようになったとのことでした。今は住宅の建っている場所も地下には岩があるのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/a5/92d2d24982ef2c7dd4579d1fdd941684.jpg)
Bの平坦地のヘリ部分は円礫だらけ
Bのヘリを下から見ると円礫だらけで、今も崩れつつあるようでした。岩を支えにしてかろうじて地形が保たれているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6e/10d5fbb83722bf3a085ca9ca5b06ad9e.jpg)
日本古城絵図では出曲輪は描かれていない
絵図の本丸南東に小さな字で「岩山」と書かれたあたりが出曲輪のあたりかと思われるが、絵図を描いた頃には出曲輪は埋もれてしまって認識されなくなっていたことが考えられます。残念ながら明確なことは確認できませんでした。
※日本古城絵図は国立国会図書館デジタルコレクションのホームページで見られます。
諏訪原城本体は発掘調査が進み新しい発見が次々に有ったようです。この出曲輪についての調査は住宅が立ち並んでいて難しいとは思いますが調査を行って諏訪原城本体との関連を明らかにしてほしいと思いました。
諏訪原城の案内図によれば諏訪原城の出曲輪として描かれています。
旧国道一号(現 県道381号)が金谷の町から牧之原台地に登る途中にあり、諏訪原城の見学をしても出曲輪の見学をする機会は少ないのではないでしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7a/9be3600ab33a0298f00a46f9c5dd84b2.jpg)
出曲輪の位置 諏訪原城 案内板の図
旧国道1号の道路工事で出曲輪の一帯は道路で取り巻かれたように改変され、諏訪原城本体との関係が断ち切られてしまっています。そのため諏訪原城本体との関連の調査研究は今の所進んでいないようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/31/8da9190c67b00ad5b3b1041ce6be863b.jpg)
出曲輪縄張図 発掘調査報告書より
縄張図を頼りに現地を訪れました。旧国道からの進入路は細い道で、個人宅に入っていくのではないかと心配しながら恐る恐る狭い路地を進みました。
この図を参照して以下をご覧ください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/87/c45e58ca5189ac367030158649b7c2c9.jpg)
進入路入口には「城山延命地蔵尊入口」の看板がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ca/088a8be201362d7e9cba08dfa504dbd0.jpg)
城山延命地蔵尊の小祠と周辺
細い路地をたどって城山延命地蔵尊の祠のある場所に出ました。
たまたま居合わせた付近の住民の方にお話をお聞きしました。写真左手Dには滝が有ったとのことでした。
近世になって、ここに人が住むようになり公営水道が引かれるまで、諏訪原城内のカンカン井戸から水を引いて使っており、その水を利用して滝が作られた。おじいさんの頃までは滝が流れていた、と伺いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/46/1c2a8e870e35e954151a1a248fdde27d.jpg)
出曲輪 櫓台と削平地が有る
今に残る地形だとAが櫓台、Bの平坦面が曲輪のようですが、児童公園になっているのでどの程度の改変があるのかは明確ではありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/43/fa9dc822d76fbc05be9313a8e143ebc1.jpg)
櫓台地形Aは大きな岩の上
付近の住人の方のお話では、この付近一帯だけが岩の上にあり、諏訪原城から大井川への崖が崩れずに残されていたので出曲輪が作られ、後になって人が住むようになったとのことでした。今は住宅の建っている場所も地下には岩があるのかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/a5/92d2d24982ef2c7dd4579d1fdd941684.jpg)
Bの平坦地のヘリ部分は円礫だらけ
Bのヘリを下から見ると円礫だらけで、今も崩れつつあるようでした。岩を支えにしてかろうじて地形が保たれているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6e/10d5fbb83722bf3a085ca9ca5b06ad9e.jpg)
日本古城絵図では出曲輪は描かれていない
絵図の本丸南東に小さな字で「岩山」と書かれたあたりが出曲輪のあたりかと思われるが、絵図を描いた頃には出曲輪は埋もれてしまって認識されなくなっていたことが考えられます。残念ながら明確なことは確認できませんでした。
※日本古城絵図は国立国会図書館デジタルコレクションのホームページで見られます。
諏訪原城本体は発掘調査が進み新しい発見が次々に有ったようです。この出曲輪についての調査は住宅が立ち並んでいて難しいとは思いますが調査を行って諏訪原城本体との関連を明らかにしてほしいと思いました。