城と歴史歩きを楽しむ

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伊勢・千種城 千種街道の軍事、経済上の要衝を抑える北伊勢の雄、千種氏の城

2019-01-07 | 歴史
千種城は三重県菰野町千種にあります。鈴鹿山脈越えの千種街道が近江から根の平峠を越えて伊勢に下った地点にあります。千種街道は織田信長が杉谷善住坊に狙撃されて九死に一生を得たと伝わることで知られています。
 千種氏は南北朝期に北伊勢に入り千種城の東約5kmに位置する禅林寺城を築きました。後に千種城を築きここに移ったとされます。
 弘治元年(1555)近江佐々木六角軍の伊勢侵攻がありこれと結び、以後近江軍の伊勢侵攻の拠点となりました。元和元年(1615)大阪の陣で千種又三郎が討ち死にすると廃城になりました。


国土地理院地図をカシミール3Dで加工、加筆
千種城は鈴鹿山脈の裾野の尾根の先端部を堀切で切り取り、南北は水路で守り築城されています。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの3つの郭で構成されⅠ郭が主郭とされますが、土塁と堀の配置からⅡ郭が主郭であった可能性も考えられるようです。


Ⅱ郭の切岸面の階段と説明板
Ⅱ郭への階段と案内板がⅡ郭の東面にありました。階段は後世の改変のようで往時のⅡ郭入り口は北東隅に虎口が設けられていたようです。現在も不鮮明ながら虎口の痕跡と思われる遺構が残っていました。
※Ⅱ郭北端はⅠ郭への道路工事のために改変の可能性があります。


千種城 Ⅱ郭からⅠ郭への虎口
Ⅱ郭から虎口を通り土橋を渡ってⅠ郭へ入ります。虎口の両側には土塁が築かれています。虎口から両側に堀が掘られた土橋を渡ってⅠ郭に入ります。
 通常の順序は「土橋を渡り虎口を通って城内に入る」のが普通ですので主郭がⅡ郭だった説も可能性がありそうに思いました。


千種城 Ⅰ郭を西から見る 奥に虎口
Ⅰ郭の南西隅には後世の火薬庫が設けられるなど一部改変が見られます。Ⅰ郭北側には土塁が見られませんが往時には土塁がありⅠ郭の四囲を土塁が取り巻いていたのではないかと想像しました。Ⅰ郭には大型の城址碑が立っていました。
 Ⅰ郭の西側は尾根を断ち切る大きな堀切になっていました。
※Ⅰ郭北側には後世の道がついて車でもⅠ郭に登れるようになっていました。


千種城 Ⅲ郭 今は私有地で内部の見学は遠慮
Ⅱ郭とⅢ郭の間には堀切が設けられていたようですが、宅地化と道路工事で堀の原型が少ししか残っていませんでした。Ⅲ郭への道は後世の改変がありますが、道の北側には堀が残されていました(写真左手)。往時はⅢ郭へ土橋を渡っていたのではないこと思いますが、その場合はⅢ郭への道の南側にも堀があったかもしれないと想像しました。

千種城は集落に隣接しているため宅地化や道路工事での改変がありますが、残された遺構から往時を想像できる見ごたえのある城郭でした。