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美濃・阿寺城 興味深い遺構が尾根上に多数展開 東美濃の雄族遠山氏の支城

2021-08-10 | 歴史

阿寺城は中津川市手賀野斧戸(ヨキド)の南方の北下がりの尾根上に所在します。築城、廃城の時期は詳らかではないようですが、長く遠山氏の支配した地で遠山一族の城主が在したとされます。織田・武田の境目の城として改修が重ねられたとされ天正二年(1574)には武田軍に攻められ落城し、城主が討ち死にしたと伝えられています。
 今回の参考資料は(1)「岐阜県中世城館趾総合調査報告書第3集」加茂地区・東濃地区2004  (2)「信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015 です。


阿寺城 昭和8年発行地図と現況を比較し、旧道(歩く道)を確認する
 資料(1) によると阿寺城から山続きに南方約12km先の岩村へ続く道があったとされます。往時のメインルートは東側の谷底の道(中津川沿い)ではなくて西側の手賀野集落から阿寺へ抜ける旧道付近ではなかったかと思います。


阿寺城 見学ルートは最高所の御嶽神社への参道を利用
 阿寺城の城道は城域北端の尾根を北に下っていたようですが、見学ルートは明治になって主郭に創建された御嶽神社の参道を利用していました。


阿寺城 堰堤付近の道標 御嶽神社登山道の表示がある
 手賀野配水所付近に駐車し、見学ルートをたどると砂防堰堤に出ます。堰堤を越えた沢筋に写真の道標がありました。沢を越えて進みますが、雨の降った後などで増水していると渡るのがちょっと心配ですね。
  ※駐車は自己責任で!

阿寺城 尾根上に興味深い遺構が連続する 
 往時の城道と御嶽神社の参道が重なったり離れたりしながら①にある最高所の御嶽神社に向かいます。


阿寺城  虎口1 
 図3の虎口1は両側に大きな岩が配され、両側に土塁が続いていてなかなか厳重な、いかにも虎口!という感じでした。


阿寺城 ①の北辺の参道石段 左に城道
 ②から①へ登る道は右側の参道と左側の①の東側を巻く道がありました。写真ではわかりにくいですが、参道を登る道には石段が設けられていましたが今はかなり埋まっていて注意しないと見落としそうでした。
 阿寺城の城道はほとんど尾根の東側に設けられていますので、西側の旧道を意識したもののように想像しましたがどうでしょう。


阿寺城 ①の最高所に祀られる御嶽神社  石段は神社の参道
 ①は平場が北下がりに四段あり最高所に御嶽神社が祀られていました。資料(2)によれば神社は明治17年創立で斧戸集落の方々によって守られているとありました。天気の良い日には見学ルートの途中から北に木曽の御嶽山が見えるようですが、ここからは樹木に遮られて望めないようです。
 城郭遺構としては目立ったものはありませんが①でも城道と参道がありました。


阿寺城 大堀切ハ 阿寺城最大の堀切
 ①の最高所の南側の尾根は大きな堀切ハが設けられていました。堀中に大きな石が見えますが、参道の石段に用いられていた石と同種の石のようで、地山に多く含まれている石なのかと思いました。


阿寺城  堀切地形トは  堀切?  切通道?
 大堀切ハの南側にはニ、ホの2条の堀切が設けられていました。資料ではハ・ニ・ホの三条の堀切で南尾根を遮断しているとされ、堀切地形トは描かれてはいるものの具体的に触れられていませんでした。
 三条の堀切から離れていることもあり、阿寺城の城郭遺構ではないと評価されているのかもしれませんね。
それにしても、堀切のように見えませんか?!


阿寺城 図3 ③-④間の石垣
 ③からは④の平場へ降りる道があり、石垣がみられました。資料(1)では平場④は廃城後に設けられた石切り場で④への道の側面に積まれた石垣の可能性を示していましたが資料(2)では具体的な評価はされていませんでした。

阿寺城は他にも概略図では表わしきれていない堀切や竪堀、曲輪など面白く興味深い遺構が多数あり、大いに楽しめてよかったです。


 

 

 

 

 


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