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望月青木城 柑子集落の入口を守る望月村嶋城の支城か

2025-01-07 | 歴史

望月青木城は滋賀県甲賀市甲南町柑子(こうじ)にあります。望月村嶋城主望月重元の次男、重武の居城とされ、柑子集落の入口に当たる尾根の北端部に築かれ、望月村嶋城を守り、集落への侵入に備えた出丸的な位置付けだった可能性がありそうでした。今回の参考資料は(1)「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010と現地案内板 などです。望月村嶋城は→こちら

望月青木城 周囲には甲賀の集落ごとに小領主の領地と城が見られる  
 望月村嶋城の周囲にはいくつもの城址が残り、小領主が割拠していたようで、望月青木城は望月村嶋城のある柑子集落の北側の入口を守る位置に在りました。
望月青木城 城域は尾根の北端部から南側の尾根に展開していた
 望月村島城から北に延びる尾根の先端部に主郭Ⅰを中心にした城郭遺構が集中し、南側の尾根に平場が延びていました。望月村島城との間の尾根上にも遺構があり両城は一体だったとの見方もあるようですが、資料(1)では、城郭遺構と認められる地形は無く、両城は別になっていたとされます。
望月青木城 見学路入口の案内板
 案内板付近の路肩に車を止めて道aを登りました。道aは明瞭で、途中に井戸跡かもしれない二つの土坑①がありました。

望月青木城 平場②と城道a 南東から 左に城道
 Ⅰ郭を取り巻くように平場がいくつも設けられていました。遺構の残存状態は良好で城道もしっかり残っていました。

望月青木城 平場③ 中央にため池 南から
 平場③には溜め池があり、写真でも確認できるように今も水を湛えていました。

望月青木城 北端の平場⑤ 南から
 Ⅰ郭を取り巻く平場群は、後世の耕作地としての利用の可能性もあり地表面観察での確認は難しいですが、周囲の状況から、城郭遺構の平場と考えてよさそうでした。

望月青木城 周囲よりも一段高い平場④ 西から
 平場④は周囲よりも一段高い位置に在り丁寧に削平された平場でした。北方を見張る物見の場所だったかもしれないと想像しました。城道は平場③から平場④の南下(写真手前)を通ってⅠ郭に登っていました。

望月青木城 Ⅰ郭 北から 青木城先祖之碑と城址看板
 Ⅰ郭は丁寧に削平された曲輪で今は植林されていました。曲輪の周囲に土塁等は見当たりませんでした。
青木城先祖之碑は望月氏の子孫の方が建てたのではないかと思いました。

望月青木城 
平場⑦  奥上にⅠ郭 南から
 Ⅰ郭の南側には平場⑦が設けられていました。主郭①と尾根の平場⑧の中間の高さでした。

望月青木城 南尾根の平場⑧ 南から 東側の地形はあいまい 土採りがあったかも
 尾根を削平した平場⑧ですが、東側は輪郭がはっきりしない曖昧な地形でした。後世の土採りによる改変なのかもしれないと想像しました。

望月青木城 平場⑨ 北端部 北から
 平場⑨は尾根を削平した細長い平場でⅠ郭と平場⑪を繋ぐ通路的な役割のようでした。

望月青木城 平場⑨ 南端の低土塁⑩ 西から
 平場⑨の南端部には低土塁が設けられていました。30Cmほどの低い土塁でしたが、平場⑪との区切りとしての役割のようでした。

望月青木城 平場⑪ 現代の瓦などが見られる 奥に自然地形の尾根
 平場⑪は城域の南端とされる平場です。東側の下には廃屋⑬があり、現代の生活にまつわる瓦や便器などの廃物が見られました。平場⑪は比高が低く、井戸跡かもしれない土坑イなどもありますので往時は居住空間だったかもしれませんね。

望月青木城 墓地⑫ 墓地は土葬だったかも
 現在 墓地⑫は使われていないようでしたが、少し前まで土葬の墓地だったかもしれません。

望月青木城は望月氏が柑子集落守るための重要な城郭で、青木村嶋城の見学でお目にかかった望月氏のご子孫の方のお話などからも、望月の名を誇りにして柑子を代々守って来られたことを痛感した見学でした。


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