城と歴史歩きを楽しむ

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尾張・品野城 桶狭間合戦の前哨戦が行われた山城 遺構がよく残る

2018-10-06 | 歴史
品野城は愛知県瀬戸市上品野にあります。
 鎌倉時代・健保年間(1213~19)山田重忠の家臣大金重高によって築かれたと伝わります。その後城主は幾度か替わり時は流れ戦国時代となり今川方の三河松平氏が尾張北部の品野城を織田方から奪いとった。桶狭間合戦の直前、織田軍は品野城を攻め城は落城して廃城になったようです。この時の戦いを桶狭間合戦の前哨戦と呼んでおり、桶狭間合戦のときには織田と今川の最前線が長く伸びていた事がわかります。
 遺構はよく残っていて、主郭部分には稲荷社が祀られています。何回か訪れていますので主郭の稲荷社が次第に傾いて危険な状態になっていく過程をみていましたが、今回の台風でついに完全倒壊してしまいました。


なんとか持ちこたえていた主郭の稲荷社でしたが・・・・

今回の台風のためか、ついに倒壊してしまいました


山下の稲荷社からの登城路入口はわかりにくく、踏み跡も薄くなっている
品野城の山下の登り口には立派な稲荷社が造営されていますが、山上の稲荷社は奥宮の位置づけなのでしょうか。以前訪れた時の古老の話では、高速道路で参道が分断され、みんなも年を取ったので山上までお参りに行く人はなくなったと言うことでした。あちこちの山城でも同様の話は聞きますが、時代の流れとでも言うのでしょうか。


品野城 縄張図 東海古城研究会の縄張り図作成研修での拙作
東海古城研究会の活動の一部で縄張図の作成研修があり、品野城を対象とした縄張図作成研修もありました。ベテラン会員さんのご指導とアドバイスで作図しました。品野城は城域から細尾根が何本か伸びていて、その細尾根から竪堀城の地形が何本も下っています。この地形を竪堀として描いている先行の縄張図もありますが、今回は自然地形と見て描きませんでした。


竪堀に見える尾根から下る溝状の地形 今回は自然地形と判断


見どころナンバーワンはこの堀切
虎口、土塁、出郭、腰郭、堀切など山城の要素の見どころ満載の品野城ですが、この堀切の深さ・幅・残り具合から見どころNo.1に挙げたいと思います。

※山上の稲荷社は再建されるのでしょうか? 石造りのお稲荷さんと祠の瓦は、木は朽ち果ててもズット残るのでしょうね。

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