小屋山城(伊平小屋)は静岡県浜松市北区引佐町伊平にあります。
小屋山城の位置についてや小屋山城を詰の城とした居館については明確な資料が少ないようで、各種の情報が錯綜していましたが、大河ドラマ「おんな城主直虎」によって、地元の町おこしも加わって、更に拍車がかかり多数の案内板が林立する事になりました。
今回は基本に立ち返って『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978 を資料として、小屋山城を訪れ見学しました。
資料によると武田軍の山形昌景が三方ケ原の戦いの直前に東三河から柿本城を攻略し、 炭焼田峠から鳳来寺街道を南下して伊平に侵入した際に仏坂で大きな戦いとなり、伊平城主と柿本城から退避した柿本城主が討ち死にしたと伝わり、この戦いを「仏坂の戦い」と呼びます。この時、伊平軍が陣したのが小屋山城であったとされますが、その遺構が残されているのかを見学するのが今回のテーマです。
小屋山城 殿村館を通る旧道を北に向かって登る。城域は明確でない
殿村館は「仏坂の戦い」の20年後に設けられた井伊直種の居館とされ「仏坂の戦い」があった時にはこのあたりに木戸が設けられていたとされます。
※仏坂古戦場付近の墓石群「ふろんぼ様」はこの戦いで命を落とした将兵の墓と伝わります。
小屋山城 殿村館からの比高は約150m、北に600mの高所に所在する
資料によると、城砦の遺構が不明確のため小屋山城の正確な位置がわからないとされ、かなりの広範囲を図示していますので、ここでは資料の図を概略トレースして示しました。
小屋山城 殿村館北の山頂292mの三角点。付近に遺構らしきものが見当たらず
資料で図示された山頂部の三角点まで登りましたが、城郭遺構らしき地形を発見できませんでした。錯綜した情報の中には殿村館の遺構と混同したのではないかと思われる「土塁や曲輪跡などが残る」とされるものもありますが、付近を歩き回ってみましたが僕の目ではそれらしい地形は見つけられませんでした。
小屋山城 城域にあった凹んだ地形。井戸? 倒木などの自然地形?
歩き回った中で唯一見つけた特徴ある地形が井戸跡とも見える凹んだ地形でした。よくある倒木の跡かもしれませんので井戸跡は想像を膨らませ過ぎかもしれませんね。
具体的な山城の遺構を見つけられませんでしたが、このあたりが小屋山城ということで見学を終え下山しました。
小屋山城 殿村館から東三河に向かう街道の峠道
下山の途中で峠に立ち寄りました。殿村館は街道を扼する位置にあるとされ、殿村館からの道が残っていました。道は峠を越えて続いており、仏坂の古戦場方面へ出て、東三河に向かう鳳来寺街道になるようです。
殿村館は仏坂の戦いの20年後に設けられたとされますので、戦い当時の道とは限らないように思いました。
◼資料では中腹の館が殿村館となっていますが現地案内板や城址標柱では「井平城」となっています。
ここでは「伊平城」とは呼んでいません。南東方向には「伊平城」とされる情報もありますのでやや
こしいですね。さらに小屋山城は伊平小屋とも呼ばれ、伊平はここにも出てきます。
資料による殿村館は今城、城山ともよばれるようです。
◼殿村館以外にも殿村居屋敷、殿村氏居館とされる場所が三ケ所ありますので混乱に拍車がかかっています。
殿村館または伊平城を詰の城と考えると、それよりも標高が低い居館A,B,Cなどを館跡に想定するこ
とが考えられますが、どうでしょう。
伊平の地元でお聞きした話によると「三方ケ原の戦い」はなくて「仏坂の戦い」が誤って伝えられているという説があるそうです。
各種の説や情報が錯綜する伊平の地ですが、三方ケ原の戦いにつながる重要な戦いのあった場所として楽しく見学ができました。