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会津若松城 陸奥 復元された天守、残存する高石垣、門跡など見どころが多い 東海古城研究会の見学会で訪れました

2023-08-22 | 歴史

会津若松城は福島県会津若松市にあり鶴ヶ城、 黒川城とも呼ばれます。豊臣秀吉の奥羽仕置きで蒲生氏郷が奥羽ではまだ普及していなかった石垣普請を行い初の天守造営を行ったと伝わります。戊辰戦争後に建物は撤去されましたが石垣は残り、昭和40年に今見る天守などの建物が外観復元され、多数の門跡などと併せて見どころが豊富でした。今回の参考資料は (1)見学会当日資料 (2)現地案内パンフレット などです。


会津若松城 戊辰戦争での白虎隊自刃と新政府軍の砲撃が知られている
 大河ドラマなどでも戊辰戦争の籠城や白虎隊の自刃などがよく知られていますが、今回は城郭としての会津若松城の見学が中心でした。新政府軍の砲撃は約1.3㎞離れた小田山の砲陣から行われ、城にアームストロング砲の多数の砲弾が降り注いだとされます。


会津若松城 表門(鉄門)と走長屋  奥に天守 右手に本丸
 悲しい歴史を秘めた近世城郭ですが、復元された天守や建物は青空の中に輝いていました。


会津若松城 遺構の名称は資料によって異なっている場合がありました。
 石垣や堀は良く残されて、石垣の上に築かれた近世城郭の往時の姿を想像しながら見学が出来ました。堀も埋められることがなかった様で、50m幅の堀も見学出来ました。


会津若松城 追手門と枡形 南から
 門跡の打ち込みはぎの石垣が見事で、雁木が備わった外枡形もバッチリでした。資料では打ち込みはぎとなっていましたが、切り込みはぎに近い完成度だと思いましたがどうでしょう。


会津若松城 椿坂の西側土塁北端部 北から
 北出丸から太鼓門への道は椿坂と呼ばれ、道の両側に土塁が設けら、残存状態も良好でした。土塁の東外側は三岐濠、西外側は鐘撞堂下三角堀でした。


会津若松城 太鼓門 北東から
 椿坂から右に一度折れると太鼓門跡に出ました。ここでも見事な石垣を見ることができました。往時は時を知らせる太鼓が櫓で打ち鳴らされたのでしょうか? 戊辰戦争の時には新政府軍の砲弾が降り注いだ後に城内で太鼓が打ち鳴らされて落城していないことを城下の人たちも知ったと伝わっているようです。


会津若松城 武者走り  太鼓門とセットで椿坂からの侵入に備えたか
 椿坂の突き当りの石垣は太鼓門とセットで外枡形となり、城内側には石垣に登る階段が設けられていました。椿坂からの侵入を太鼓門で足止めして外枡形の上からの攻撃が出来るようになっていたように見えました。
 

会津若松城 南走長屋 奥に干乾櫓  北から
 資料では天守、走長屋、表門、南走長屋、干乾門が連なって設けられて区分された東側を本丸、西側を帯郭としていました。干乾櫓は非常時に備えて食料が貯蔵されていたと伝わります。


会津若松城 本丸南辺の折れのある石垣 奥に干乾櫓 東から
 本丸南辺の石垣は複数の折れを伴っていて、いわゆる屏風折れの石垣でした。石垣の南側は五軒丁濠となっていて広いところでは50m程の幅があるようでした。


会津若松城 本丸南東隅の月見櫓 西から
 本丸の南東隅には堀に向って張り出した武器庫だったと伝わる月見櫓がありました。本丸の南辺と東辺に横矢が掛る備えとなっていた様でした。


会津若松城 茶壷櫓 南から
 蒲生氏郷は利休の切腹によって千家の茶道が消滅するのを惜しんで、千利休の子を会津に匿たと伝えられ、ゆかりの茶室が本丸の鱗閣とされます。茶壺櫓は大切な茶道具を保管した櫓で、北側の廊下橋の守りも兼ねていたといわれます。


会津若松城 高さ20mの高石垣と廊下橋 茶壺櫓から 見どころです
 本丸東辺の石垣は高さ20mとも18mともいわれ、城内でもっ高く美しい石垣で見どころでした。廊下橋を渡った東側は二ノ丸でした。


会津若松城 廊下橋門 南側の石垣上から
 廊下橋門付近の石垣も見事でした。往時は石垣の上を取り巻くように塀が設けられていたようなので、想像しながら見学しました。


会津若松城 廊下橋 奥に天守 東から
 会津若松城は、天守をいろいろな場所から見ることが出来ました。二ノ丸からも廊下橋と高い石垣の向こうに天守が見えていました。登城する人に対する権威付けのアピール度が高かったのではないでしょうか。


会津若松城 裏門と天守 北から    正面奥に本丸御殿
 会津若松城の本丸へは表門(鉄門)と裏門から入れた様で、裏門からも天守がカッコよく見えました。


会津若松城 弓門  西側の梅坂から
 西出丸から梅坂を進むと弓門が設けられていました。濠で囲まれた本丸へ入る門は弓門、太鼓門、廊下門の三ヶ所ですがどの門も高い石垣があり、立派な高い石垣と城門が権威を象徴していたことがうかがえました。

会津若松城を俯瞰すると北出丸、西出丸、二ノ丸が堀に囲まれた馬出曲輪のように見え、難攻不落の城だったことが伺えました。戊辰戦争では射程の長いアームストロング砲の攻撃を受け開城しましたが、後詰にあたる奥羽列藩同盟が崩壊しては如何ともし難かったのではないかと思いました。

見学会の時間の制約もあり急ぎ足の見学となりましたが、復元された近世城郭を堪能できて大満足の見学となりました。

 


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